第48話 シリューさんは……
「コニーさん、この樽ここでいいですか?」
後ろから声を掛けられ振り返ったコニーは、下ごしらえをしていた野菜を、思わずテーブルの上に落としてしまった。
水のいっぱいに入った樽を、両脇に一つずつ抱えたシリューが涼し気な笑顔で立っていたからだ。
樽は高さが90cm、中央の直径が80cmくらいのサイズで、樽自体の重さは50kgほどあり、水の重さを足すとおよそ280kgになる。
それを二つ、軽々と抱えているのだ。
「あ、ありがとね、そこに置いといてくれるかい」
「どういたしまして」
シリューは軽く会釈をして、その場に樽を並べた。
「ねえ、ちょっとミリアム。あの子あんたより力あるんじゃないのかい?」
コニーは向いで野菜を刻んでいたミリアムに、小声で言った。
「そ、そうですねぇ、私もあのサイズは……無理です……」
残念女子のミリアムだが、生まれながらに天才の域に達する高い魔力と、獣人以上の体力が備わっていた。
「丁度いいんじゃないかい?」
コニーがいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「はい?」
何の話か理解できず、ミリアムは首を傾げた。
「親切で、優しそうな子じゃないか」
「シリューさんが、ですかぁ? あの人……意地悪です……」
ミリアムは少し拗ねた表情で俯く。
「でもそれ、あんたが原因じゃないのかい?」
ミリアムの眉が、困ったようにハの字になる。
「うぅ、そうなんですけど……そうなんですけどぉ」
100%その通り、全く否定できる要素が無かった。
「ちゃんとお詫びしないと、さっきのも含めてね」
ミリアムは力なく頷く。
「……でも……聞いてもらえるかなぁ……」
コニーにも聞こえないほどの声でミリアムが呟いたとき、孤児院から荷物と、子供たちを乗せた2台の荷馬車が到着した。
「コニーさん、ミリアムっ」
大慌てで馬車から飛び降り、コニーたちに駆け寄ったのは、ミリアムより年上の女性の勇神官だった。
シリューは荷物を下ろすため、男性の勇神官で孤児院の院長でもある、オスヴィンと一緒に荷馬車に近づいてある事に気付く。
大きなダッチオーブンに金属製の簡易焜炉。焜炉に使う薪や、調味料に調理器具。
だが、肝心な物が無い。
「あれ? 食材がありませんね……」
今、ミリアムたちが下ごしらえをしているのは、芋や豆など孤児院の畑で収穫された物だけで、シチューの材料としては、全く足りていない。
「本当ですね……。ハリエットに聞いてみましょう」
ハリエットとは、今に馬車でやって来た女性勇神官の名前らしい。
見ると、何やら焦った様子でミリアムたちと話している。
対するミリアムとコニーの表情もどことなく暗い。
「ハリエット、どうかしたのですか?」
「あ、院長……それが……」
オスヴィンに声を掛けられたハリエットが、申し訳なさそうに口ごもる。
「食材が届かなかったのですね?」
シチューの具材のメインとなる、肉や葉物の野菜などは、毎回寄付や寄贈によって賄っていた。
「申し訳ありません。先方にトラブルがあったようで、その……」
食材の担当であったハリエットは、責任を感じて俯いた。
「いえ、あなたが謝る必要はありませんよ。トラブルなら仕方ありません。でも……困りましたね……」
オスヴィンは思案顔で、口元に手を添える。
バザーは寄付金を集めるためだけでなく、恒例行事として、街の人たちも楽しみにしてくれている。
それに、手伝う子供たちにとっては、商売の疑似体験の場でもあり、なにより滅多に口に出来ないシチュー、つまり肉のお零れにありつけるのだ。
「ねえ、ミリアムお姉ちゃん……バザー、できないの?」
子供の一人が、ミリアムの服の袖を摘まんで不安に聞いた。
「あ、えと……」
この街に来てまだ二か月のミリアムには、何のコネもなくどうする事も出来ない。
子供たちに掛ける言葉が見つからないミリアムは、眉をハの字にして胸に手を当てる。
「食材って、どのくらい必要なんですか?」
全員が押し黙った重い空気の中、シリューがなんの気負いもない声で尋ねた。
「そうだねぇ、最低でもアルミラージの肉20kgと、葉物野菜が10kgってとこかねぇ……」
それでも、いつもよりずいぶん少ない分量になる、とコニーが続けた。
「シリューさん?」
シリューを見つめるミリアムの目には、僅かに期待が込められている。
「あの、肉だけならありますよ。アルミラージじゃないけど」
「えっ?」
全員の視線が注がれる中、シリューはガイアストレージから、10kgずつに分けられた肉の塊を五つ、テーブルの上に出していった。
「とりあえず50kgあります。これで足りなければまだ出しますけど」
シリューは包みを開き、中身を見せた。
「シリュー殿……これは?」
目を丸くし、ぽかんと口を開いたまま呆けている四人の中で、最初に声を出したのは院長のオスヴィンだった。
「グロムレパードの肉です。使えますか?」
「グロムレパード!!!!」
四人の声が揃う。
さらに、シリューの顔とテーブルの肉を交互に見る動きまでが、ぴったりと揃っている。
シリューはふき出しそうになるのをどうにか堪え、ああそういえば、と思った。
グロムレパードの肉は結構な高級品だ。驚かれるのも無理はない。
「あの、申し出は非常にありがたいのですが……私どもではお支払いが出来ません。それに、これでは高級品になり過ぎて、皆さんに売り出す事も難しいかと……」
オスヴィンの言う事は、尤もな話だった。
「別に、お金はいりません。
シリューはいつものように涼やかな笑顔を浮べ気楽に言ったが、その場にいる者の反応は違った。
「お一人で狩られたのですか? グロムレパードを?」
「はい、まだ150kgはありますから、心配いりませんよ」
オスヴィンの質問の意図とシリューの答えの間には、明らかなズレがあるがシリューはまだ気付いていない。
「シリューさん……それって二頭分にはなると思うんですけど、一体何頭倒したんですか?」
ミリアムの笑顔が何となく引きつっているように見える。
「二十頭だけど、なんで……」
そこまで口にして、ようやくシリューにも皆の反応の意味が理解できた。
その場にいる全員が、驚愕の表情を浮かべて固まっている。
「お兄ちゃん、お肉くれるの? バザーできるの?」
何と言って誤魔化そうか考えている時、シリューの袖をちょんちょん、と引っ張ったのは、先程ミリアムに質問していた5歳くらいの女の子だった。
「うん、大丈夫。お肉いっぱい持ってきてるから、ちゃんとバザー出来るよ」
シリューが頭を撫でると、女の子の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうお兄ちゃん!」
「どういたしまして」
シリューはこれ以上の質問を躱すため、さっさと荷馬車の方へ向かう。
「シリューさんっ」
ミリアムがその後を追い、シリューの手をそっと掴む。
「いいんですか? その……何の得も、無いのに……」
ミリアムの顔は、嬉しそうにも、困ったようにもみえた。
損得ではない。少なくともシリューにとっては……。
シリューは嬉しそうにはしゃぎまわる年少の子供たちを眺めた。
「楽しみにしてたんだろ、あの子たち……」
大人を手伝う年長の子供たち。
「あの子たちが喜んでくれるなら、それでいいさ」
ミリアムはこの時初めて、シリューの本当の姿を見たような気がした。
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