第47話 前髪が……?

『エターナエル孤児院、土期上月バザーのお手伝いをお願いします。本日朝より』


 冒険者ギルド一階フロアの壁に張り出された、依頼書の一つにシリューの目が釘付けになる。


「土期の、上月だって……?」


 それは今朝張り出された、当日依頼の物だが、気になったのは内容よりも日付の方だった。


 この世界の1年は365日。それを四つの期に分け、1年の初めが土期、次に火期、風期、そして最後に水期と続く。


 それぞれの期は更に三つの月、上月、中月、下月に分かれ、合わせて十二か月の暦となっている。


 これにはおそらく召喚された勇者が関わっているのだろう。


 それはいい。


 問題は、今現在が土の上月という事だ。


 この街に着いてから今まで、暦を気にした事がなかった。


 シリューがこの世界に召喚され、龍脈に落とされたのは、風の上月。


 つまりあの時から、半年が経過しているという事だ。


「なんで……?」


 確かにエラールの森で気が付いた時、一瞬のようにも、何年も過ぎたようにも感じた。


「そんなにかかってたのか……」


 だが、どうせタイムラグがあるのなら、大災厄が終わった後でも良かったのに、とシリューは思った。


「……それとも……なにか意味があるのか……」


「よう、ルーキー」


 思わず依頼書を手に取った時、背後から声を掛けられシリューが振り向くと、そこに葉巻を銜えたワイアットが立っていた。


「あ、ワイアットさん、おはようございます」


「おお、おはようさん」


 ワイアットは何か言いたげな様子でシリューを眺める。


「あの、何か?」


「ああ、まあちょっとな。実は、Hランクのお前さんに正式に頼める事じゃあないんだが……近いうちに捜索隊を出す事になってな」


「何の捜索です?」


「お前さんが出くわした、例の野盗団だよ」


「ああ……」


 エラールの森でクリスティーナたちを襲った野盗団の事は、シリューも気になってはいたのだが、だからといって依頼もないのに積極的に森に入りたくはなかった。


「それで、お前さんには奴らを見つけた時、討伐に参加してもらいたいんだ。もちろん正式じゃないが金ははずむ」


「そうですね、討伐なら何週間もかかるわけじゃないし、参加してもいいですけど」


「おお、そうか、じゃあそん時は頼む。まあ、それまでにEランクに上がってくれりゃ正式に指名できるんだがな」


 ワイアットはシリューの手にした、依頼書に目を向ける。


「お、クエストか? どんな内容だ?」


 シリューは、依頼書の詳しい表記を読む。


「えっと……中央広場で行われる、孤児院主催のバザーの手伝いですね……」


 受けるつもりで手にした訳ではなかったが、何となく返しづらい。


「う、相変わらずその、地味だなあ……」


 溜息まじりに呟くワイアットの何故かがっかりした様子に、シリューは意味が分からず眉をひそめる。


「……地味? ですか?」


「ああ、何かこう、もっとパーっと派手な事をやらかしてくれた方が、こっちとしては面白いんだが……」


 言ってる意味が分からない。


「やらかしませんよ、それに薬草の採取は面白いですから」


 実際、今のところ討伐系のクエストを受ける気はなかった。


 Hランクで受けられるのは、G級のゴブリンやアルミラージばかりで、もう魔法の練習にもならない。


 それに正直面倒くさい。


 狩りが、と言うより森に入るのが。


〝蛭とか虫とかダニとかいるからな〟


 こちらの世界に来てから、森に入る機会が増えたが、あのじめじめした感じはどうにも好きになれなかったのだ。


 海と山なら断然海派だ。


「ランクが上がったら考えます」


 シリューはワイアットの脇を抜け、逃げるように受付へ向かった。


「……そ、そうか……」

 





 レグノスのエターナエル孤児院では年に二回、中央広場の一角を借りてバザーを行っている。


 出し物は、孤児院所有の畑で栽培した野菜や、寄贈された食物を使ったシチューで毎回なかなかの評判だった。


「へぇー、意外と上手じゃない、ちょっと見直したよ」


 芋の皮を手早く包丁で剥いてゆくミリアムに、寮母のコニーが感心したように言った。


「コニーおばさんっ、意外は余計です。私だって、料理くらい出来ますっ」


 ミリアムは手元から目を離したが、その包丁さばきはいささかも疎かになる事はない。


「いや、大したもんだ。あんた色々と残念だからねぇ、貰い手が無いんじゃないかって心配なんだよ」


 コニーは豪快にわはは、と笑った。


「……残念って言わないで下さいぃ」


「ところでさ、もうすぐ冒険者ギルドから手伝いが来るんだろ。例の彼じゃないのかい?」


「例の彼? ああ、シリューさんの事ですかぁ?」


 ミリアムは、シリューとのやり取りを思い返してみる。


 しかし、自分がいい印象を持ってもらえたイメージが、全く湧かない。


「ど、どうでしょう?」


 シリュー本人の印象も、優しいのか意地悪なのかよく分からない。


 悪い人ではないが、お互い好感度はそう高くないだろう。


「ちゃんとお詫びも出来てませんし……」


「あら、まだ謝ってなかったのかい?」


「謝りましたっ、謝りましたけど……さらに迷惑掛けちゃいましたぁ」


 ミリアムの手が止まる。


「……まあ、あんたらしいっちゃ、あんたらしいか……」


 コニーは大きく溜息をついた。


 そして何気なく顔を上げた時、広場の反対側、噴水の向こうを、こちらに気付く事なく歩いて行く黒髪の少年が目に入った。


「ねえあれ、その彼じゃない?」


 ミリアムはコニーの指さした方を見た。


「あ、ホントだ。やっほーっ、シリューさぁん! こっちですよぉ!!」


 大きく、何度も何度も手招きをするミリアム。


「あれ?」


 ある事に気付いた。


 右手に持っていた筈の包丁。


「えぇ?」


 消えていた。


「ええええ!!!」


 シリューにとっては、災難と簡単に片付けられるものではない。


 自分を呼ぶ、恥ずかしくなる程の大声に振り向いた瞬間、空気が唸りを上げて何かが飛んできたのだ。


 すんでのところで何とか躱したものの、掠った前髪の数十本が千切れて舞った。


 直後、壁にその何かがぶつかる音がして、見ると、木の壁に半分程刃の埋まった包丁が突き立っていた。


「……なっ、マジか……」


 飛んで来たのは広場の反対側……。


「……紫パンツ残念変態……ミリアム……」


 シリューの背中を冷たい汗が一筋。


 ミリアムのいる場所からここまで、およそ50mは離れている。


「どうやったら、ただの包丁が、こんだけ深く刺さるんだ……」


 シリューは壁に突き刺さった包丁の柄に手を掛け、一気に引き抜く。


 中子自体を柄として使えるようにした、共柄の諸刃で、牛刀と呼ばれるごく一般的な包丁。


 そのただの包丁を、あの速度で、この威力で投げる膂力は、前回街灯の柱を壊した蹴りとあわせて、もはや常人の域をはるかに逸脱している。


「……本格的な変態だな……」


 いや、人間かどうか怪しい、シリューに言えた義理ではないが……。


 シリューは千切れて、また短くなった前髪を指で弄った。


「揃ってる……」


 前回切れた部分と、今回切れた部分が、奇跡的に同じ長さで揃っている。


「ふっ、はははは……」


 不気味な笑い声をあげながら、シリューはつかつかとミリアムの方へ近づいていく。


「あ、あああの、し、シリューさん、これはじ、事故で、決してあの、わざとでは……」


「殺す気かっっ!!!」


 シリューは怒りの拳骨を、ミリアムの脳天へと振り下ろした。


「う゛み゛ゃ゛ぁ゛っ」


 女の子に暴力を振るった事など今まで一度もなかった。


 だが、せめて今回は、今回ばかりは、今回ぐらいは、許されてもいいだろう。


「いいい、いきなりひどいですぅ。今めっちゃ脳に響きましたよぉ、頭壊れたらどうするんですかぁ」


 ミリアムは頭を両手でさすり、溢れそうなほど、涙をいっぱいに溜めた目で抗議した。


「元から壊れてるだろ、変態なんだから」


「変態じゃないですもんっ、これはもうアレです、ナントカハラスメントです、もう訴えちゃいます」


 この世界にも、ハラスメントという概念があるのか、とシリューは思ったが、おそらく分かり易い言葉に変換されているのだろう。


「お前今、さらっと自分の事棚上げにしたな。じゃあお前の投げたコレの始末、どうしようか? 俺は別に、訴えてもいいんだけど……」


 シリューの左手には、凶器となった包丁が一本。


「みゅっ」


「俺じゃなかったら普通に死んでるけどね……」


「あうぅぅ」


「お前、これで二度目だよね……」


「ふえぇぇ」


「俺に何か恨みでもあるのかな?」


 口元に笑みを浮かべてはいるが、目は笑っていない。


「し、シリューさん……怖い、ですぅ」


「俺はあの不意打ちの包丁が怖かったんだけどね?」


 徐々に押されてゆくミリアム。


「前髪さぁ、揃っちゃったよぉ」


 そして徐々に崩壊してゆくシリューのキャラ……。


「ご、ごめんなさあああいっっっっっ!!!」


 それはもう、見事としか言いようのない、土下座だった。

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