第32話 シリュー・アスカ

 朝食の後、騎士も兵士たちもそれぞれ役割を分担して、粛々と出発の準備を始める。


シリューは手伝いを買って出たのだったが、皆にやんわりと断られた。


「いえいえ、ナディア様の恩人に、このような雑事をお願いするなど……どうかシリュー殿はお気になさらずに」


 終始、下にも置かない態度で接して来る為、シリューはかなり困惑していた。


「シリュー殿は一晩中見張りをして下さったのでしょう? 出発までゆっくりしていて下さい」


 ナディアにまでそう言われ、一人ぽつんと佇むだけだった。


 話し相手の筈のヒスイはと言うと。


「ヒスイはニンゲンの活動に興味があるの、です」


 と言って、後片付けや準備をする兵士たちの周りを、まるで蝶々のように飛び回っていた。


 警戒心が強いと言われるピクシーだが、ヒスイは好奇心の方が勝っているのだろう。どことなく楽しそうだ。


 兵士たちも初めこそ驚いていたが、興味深そうにじっと見つめるヒスイに、にっこり笑顔を返し何やら説明をしている。


 言葉は通じていないが、お互い害意のない事を理解出来ているようだ。


 ちなみにヒスイの話す声は、シリュー以外には透き通るような鈴の音に聞こえるらしい。


 結局手持ち無沙汰になったシリューは、火の消された焚火跡にシャベルを使って土を被せ、綺麗に慣らす作業をはじめた。


 そうする事で、土の中の細菌や環境の再生を助ける、と元の世界で教わったからだが、この世界でも通じる知識なのかどうかは、正直分からなかった。


「シリュー殿、あの、何を?」


 どうやらこの世界では、知られていないようだ。クリスティーナが不思議そうな顔で立っていた。


「あ、いえ。暇だったんで、少し後片付けを……馬車の備品(シャベル)、借りました」


「それは構わないが、意外にマメなのだな」


 クリスティーナはすっかり準備を終え、今はしっかりと鎧を身に着けている。


 ついつい、視線がクリスティーナの胸元に行ってしまうが、シリューも健全な男子高校生だ。鎧の中身を、一瞬想像してしまっても無理はないだろう。


「ところで、シリュー殿は乗馬は出来るか?」


 クリスティーナは、シリューの視線に気付く事なく尋ねた。


「いえ、あんまり得意じゃありません。てか、一、二回練習で乗っただけで……」


「そうか、ではナディア様の馬車に乗ってくれ。使える馬に限りがあるし、丁度良かったよ」


 神妙な面持ちのシリューに、クリスティーナは気にしなくていい、と笑顔で言った。


「では、もうすぐ出発する。馬車で待っていてくれ」






 一行は、ナディアを乗せたキャリッジと呼ばれる、豪華な装飾のなされた馬車を中心に、残りの二台で前後に挟むように配置し、先頭を男性騎士が、殿をクリスティーナともう一人の女性騎士が務めて進む。


 馬に乗れないシリューは、ナディアに向かいの席に座るよう勧められたが、何か起きた時に素早く対処する為、ナディアの乗る馬車の屋根で警戒に当たる事にした。


「奴ら、また襲って来るでしょうか……」


 クリスティーナの隣で手綱を取る、女性騎士が不安げに尋ねた。


「いや、おそらくそれはないだろう。襲うなら夜のうちにそうした筈だ、我々の態勢が整わないうちにな」


「では、奴らも戦える状態にないと?」


「ああ、それもあるが、一番は……」


 クリスティーナは、前を行く馬車の屋根に腰を下ろしたシリューに目を向けた。


「グロムレパード二十頭を瞬殺した男と、誰が戦いたがるかな? 少なくとも、私は御免だ。例え一個中隊、いや一個大隊を率いていたとしてもな」


 クリスティーナは笑ってそう言ったが、女性騎士は訝しむように眉を潜めた。


「隊長……幾ら何でも、一個大隊は言い過ぎでは……」


 女性騎士はあの戦闘の時、グロムレパードのエレクトロキューションを受けて気を失っていた。


「そうか、ブレンダは見ていなかったのだな」


「はい……恥ずかしながら……」


 ブレンダと呼ばれた女性騎士は、申し訳無さそうにこうべを垂れた。


「責めている訳ではない、気にするな。私だって、シリュー殿が居なかったら死んでいたんだ」


 助けられた事について、クリスティーナはすっかり割り切りが出来ているようだ。


「だが……見なくて良かったのかもな……」


「え?」


「色んなものが……崩壊する……」


「ええっ?」


 遠い目をして、ぽつりと呟いたクリスティーナの顔に生気はなく、ブレンダは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。






 揺りかごのように揺れる馬車の屋根に腰を下ろし、シリューは木々の隙間から見える狭い空を眺めていた。


「ん?」


受動的パッシブモード探査】のPPIスコープに、魔物の反応を示す輝点が灯る。


「クリスティーナさん」


「どうした? シリュー殿」


 シリューに呼ばれたクリスティーナが、馬車に自分の騎乗する馬を寄せる。


「南東の方向800mに魔物の群れです。数は八、ハンタースパイダーが一に、フォレストウルフ七です」


「フォレストウルフにハンタースパイダーか……おかしな組み合わせだな」


「調べますか?」


 クリスティーナはまだ見えない魔物たちの方向を眺め、暫く考えた後でシリューに顔を向けた。


「そうしよう、私が行く。シリュー殿、後ろに乗ってくれ」


「え? あ、はい……」


 部下たちに待機を命じ、親指で背後を指したクリスティーナに、シリューは多少の戸惑いを覚える。


〝馬に、二人乗りって……〟


 シリューは馬車の屋根から降りて、クリスティーナの馬の横に立った。


「少し窮屈だが、暫く我慢してくれ」


 クリスティーナが馬上から差し出した手を取り、シリューはおぼつかない動きで馬に乗った。フルプレート用の大き目の鞍に、すっぽりと腰がはまる。


〝えっ? ち、ちょっと、これっ、ヤバいんじゃ……〟


 クリスティーナの鎧は、急所や腕、脚の一部を覆うだけで、背中や鳩尾から下の部分には、剣を下げるベルトの他にパーツは無い。


 つまり、布越しとはいえ、いろんなところがぴったりと密着してしまうのだ。


「腰に手を回して、しっかり摑まってくれ。振り落とされないようにな」


「は、はあ……」


 それでも、クリスティーナはまったく気にした様子もない。


 シリューはおそるおそる、遠慮がちにクリスティーナの腰に手を回す。


〝わ、細っ〟


「あん、シリュー殿、そ、そこはっ……ちょっと、くすぐったい。も、もう少し、上に……」


「わああっ、す、すいませんっ」


 シリューは慌てて腕の位置をずらす。だが焦りすぎて、こつんっと、鎧の胸の部分に腕がぶつかる。


「ん、鎧……邪魔、だった?」


 クリスティーナは顎を突き出すように振り向き、シリューに蠱惑的な流し目を送る。


「いい、いえっ、違います、すいませんっ!」


「冗談だよ、少しからかいたくなっただけだ」


「う……」


 シリューは顔を真っ赤にして、クリスティーナのお腹にしがみつく。


「うん、それでいい。続きは、あ・と・で……ね?」


「え、ええ⁉」


「ははは、冗談だ」


 クリスティーナはいたずらっぽく笑う。


〝この人たちの冗談、ホント心臓に悪い〟


 どきどきと弾む心臓の音を、少しでも鎮めようとシリューは大きく深呼吸した。


「ちょっと、大胆だったかな……」


 いたずら心に、少しだけ揶揄ってみたクリスティーナの頬は桜色に染まり、胸の中はシリューに負けないほど弾んでいた。


「え? なんです?」


「ああぁなんでもないっ。ではいくぞ。シリュー殿、案内を頼む!」


「は、はいっ」


 二人の乗る馬は森の木々を躱し、草を踏みつけ、道なき道を駆ける。


「クリスティーナさん、この先です!」


「わかった、ここで馬を降りよう」


 クリスティーナは手綱を引き馬を止めた。


「ここなら風下です、もうすぐ見えますよ」


 木の陰に隠れたシリューは、同じように身を伏せるクリスティーナに小声で合図する。


「ほら、あそこ」


 シリューがちょんちょんと指さした先に、目標の魔物たちが姿を現す。フォレストウルフ七頭に続き、ハンタースパイダーが一体。まるで行進するように悠然と進んでいる。


「じゃあ……」


「シリュー殿、フォレストウルフを任せてもいいか?」


「え?」


「私がハンタースパイダーをやる」


 シリューはじっとクリスティーナを見つめる。


「大丈夫、任せてくれ」


 クリスティーナが片目を瞑り、にっこりとほほ笑む。


「わかりました。フォレストウルフをマジックアローで一掃します」


「私が合図したら頼む」


 ゆっくりと剣を抜き、左手をシリューに向け、囁くようにクリスティーナが呪文の詠唱を始める。


「闘志の炎、十六夜の空に飛散せよ……今だ!」


 クリスティーナが左手を振り下ろす。


「マルチブローホーミング!」


 七つの魔法の鏃が空を舞い、すべてのフォレストウルフを一瞬のうちに打ち倒す。


「フレアバレット‼」


 クリスティーナが発した三発の炎球が、上下に並んだハンタースパイダーの八つの目を焼く。


 魔法の発動と同時に飛び出したクリスティーナは、巨大蜘蛛の正面から全速で間合いを詰める。


 目を焼かれたハンタースパイダーは、迫るクリスティーナの位置を音で察知し、麻痺毒を吐く。


 クリスティーナは難なく右へ躱し、踊るように回転して剣を振り下ろす。


陽炎斬ひえんざん‼」


 高熱を帯び大気を歪ませる斬撃が、ハンタースパイダーの四本の左脚を焦がし焼き切る。


「はああああ‼」


 左脚全てを失い、無様に転がりもがくハンタースパイダーの頭の付け根に、クリスティーナの剣が深々と突き刺さる。


 びくっ、と大きく痙攣した後、ハンタースパイダーは残った脚を縮め、動きを止めた。


「凄いですね……」


 クリスティーナが振り返ると、シリューが鋭い目を大きく見開いて立っていた。


「ありがとう……。まあ、シリュー殿ほどではないけど……」


 俯き加減に微かに頬を染め、剣を鞘に納める。


「……シリュー殿に、ちょっとはいいところを見せたくて……」


 顔を上げたクリスティーナは、はにかむような笑顔を浮かべ、右手で髪をかきあげ、そのまま耳を覆うように手を止めた。


〝また……同じ癖……?〟


 シリューは押し黙ったままクリスティーナを見つめた。


「あの……シリュー殿?」


「あ、いえっ、何でもありませんっ」


 ちょこんっと首を傾けて、不思議そうに見つめるクリスティーナの瞳を、シリューは直視できずに慌てて目を逸らした。






 その後、シリューたちはもう一晩を森の中で過ごし、次の日の午前中、ようやく広大なエラールの森を抜けた。


 途中何度か魔物の襲撃を受けたが、シリューが事前に探知し、クリスティーナがほぼ一人で排除した。


 シリューは久し振りに見る、木々に邪魔されない空に心を奪われる。


 雲一つなく晴れ渡った青空。


 清々しい空気を胸いっぱいに吸い込み、深呼吸を一つ。


「新しい事を始めるには、丁度いい日だな……」


 シリューは空に向かって呟いた。


 しばらく進むと、遠くに白っぽい城壁が見えて来る。高さは10mに満たない程度で、都市の規模としてはエルレインの王都の半分位だろうか。


 南門と呼ばれる大きな門の前に、大勢の人や馬車が並んでいる。


「シリュー殿。そろそろ馬車の中にお入り下さい」


 馬車の窓から顔を出し、ナディアが屋根の上のシリューに声を掛けた。


「分かりました」


 シリューは、窓から身を滑らせるように中に入り、ナディアの向かいの座席に腰を下ろす。


「随分人が並んでいるみたいですけど、入るまで時間が掛かりそうですね」


「ええ。初めて街に入る人は、ここで審査を受ける必要がありますから。でも大丈夫ですよ」


 ナディアたちの馬車は、審査待ちの行列の脇を抜け、門のすぐ手前で一旦停止する。


 クリスティーナが衛兵に一言二言声を掛け、ナディアの馬車を指さす。


 衛兵たちは、馬車に描かれた家紋を見ると、かしこまった敬礼と共に道を開けた。


「どうぞ、お通り下さい!」


 ナディアたちの馬車はすんなりと門をくぐり、石畳の広場にある噴水の手前で馬車を停めた。


「シリュー殿、本当によろしいのですか? 遠慮なさる必要はないのですよ?」


 馬車を降りようとするシリューの背中に、ナディアが少し残念そうに言った。


 シリューは馬車を降りて振り向く。


「ええ。暫くはここを拠点にするつもりだし、報酬も沢山貰ってますから。どこか宿をとります」


 ナディアからは、彼女たちが滞在する間、アントワーヌ家の屋敷に泊まるよう勧められていた。


 だが、十分過ぎる報酬を貰った上に屋敷に上がり込むなど、恩着せがましい事はしたくなかった。


「仕方がありません、諦めます。でもシリュー殿? 私たちがここにいる間、必ず遊びに来て下さいね」


「はい、そうします」


遊びに来てくださいね」


 ナディアは強調した。


「ええっ? 二度言った?」


「重要な事ですからっ」


 小首を傾げてころころと笑い、ナディアは馬車のドアを閉じた。


「ではシリュー殿、私たちはこれで。屋敷は中央区を入ったところだ、きっと訪ねてくれ。ナディア様もお待ちしている。ああ、もちろん私も」


 馬上のクリスティーナが軽く会釈をして、馬車の後に続いた。


「さあて、行こうか」


 シリューは噴水を迂回して進む、クリスティーナたちを見送った後、冒険者ギルドのある東区へ向かいゆっくりと歩き始める。


 取り合えずここから始まる。


 明日見僚の名を捨て、シリュー・アスカとしての旅が。


「はい、なの」


 胸ポケットから顔だけを出したヒスイが、にっこりと笑って答えた。

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