第31話 あの……あたってます
「シリュー殿、おはようございます」
呼びかけられた声に振り向くと、女性騎士がティーカップを持って立っていた。
金髪で、クリスティーナより少し背の低い位だろうか。ぱっちりした目を細め、朗らかな笑みを浮かべている。
「おはようございます」
シリューも笑顔で答えた。
「昨夜はお疲れ様です。お茶はいかがですか?」
「ありがとうございます」
シリューは馬車の屋根から飛び降り、ティーカップを受け取った。
「夜のうちに、変わった事はありませんでしたか?」
シリューにティーカップを渡しながら、女性騎士が尋ねた。
「はい、特に何も」
実際、半径3km以内の魔物は全て排除したし、懸念していた野盗達が近づいて来る事はなかった。
「そうですか。シリュー殿お一人に見張りを押し付けて、申し訳ありませんでした」
女性騎士は深々と頭を下げた。
「気にしないでください。皆さん回復したって言っても、酷い怪我だったんですから」
それに、大して体力を使う訳では無かったが、素材として魔物を回収するのも面倒になり、最後の方は【探査】【ストライクアイ】【ホーミングアロー】の組み合わせで、長距離から攻撃しそのまま放置した。つまり、殆ど寝転がったままだったのだ。
何ら気負う事も無く、年齢の割に落ち着いたシリューの穏やかな笑顔に、女性騎士は束の間気を取られる。
「……そう言って頂けると……ありがとうございます。朝食の準備が出来たら呼びますので、それまで少し休んでください」
では、と言って女性騎士は踵を返し、焚火の方へ歩いて行く。
日はすっかり昇り、皆朝の準備に取り掛かり始めた。
シリューは草の上に腰を下ろし、皆が朝食の準備の為、火の傍であわただしく動きまわるのを、ぼんやりと眺めながら岩に背を預ける。
昨夜からの、ちょっとしたお気に入りの場所。
ティーカップの紅茶を一口啜り、その芳醇な香りと味を楽しむ。
こんな朝は、出来れば珈琲を飲みたかったが、残念ながらこの世界に来て、未だ珈琲にお目にかかった事は無い。
エルレインもそうだが、この辺りも気候は日本の春から初夏に近い。仮に植生が地球と同じであれば、もっと赤道よりの地域なら生育しているかもしれない。
地球で言うところのコーヒーベルト。
いずれ探してみるのもいいな、とシリューは思った。
「うん。なんか旅の目標が一つ出来たな」
シリューはもう一口、紅茶を口に運んだ。
「おはようシリュー殿」
「おはようございます、クリスティーナさん」
シリューが顔を上げて挨拶を返すと、クリスティーナは身をこわばらせ、その笑顔もどことなく引きつって見えた。
「シリュー殿は、この場所が……好きなのだな」
シリューの座る右側の地面に、ちらちらと視線を走らせるクリスティーナ。
「座りますか?」
シリューは昨夜と同じ場所を開ける為、少し左にずれた。
「いや、あのっ、私は大丈夫っ。このままでいいっ」
クリスティーナは両手を振り、激しく拒絶する。
この慌てぶり……。シリューは少し考えてそしてある事に思い当たった。
「じゃあ、場所を変えましょうか……」
立ち上がって、クリスティーナにそう声を掛け、シリューは岩から離れるように歩き出す。
「ああ、そ、そうだな……」
クリスティーナも、シリューの隣に並んで少し安心した顔を向けた。
〝考えてみれば、美亜もそうだったな……〟
ゆっくりと歩くシリューの脳裏に、ふとなつかしい光景が浮かんだ。
蛇を目撃してしまった場所に、その後頑なに近づかなかった美亜。
蛇が極端に苦手な人の心理なのだろう。今のクリスティーナはその時の美亜と同じ表情をしている。
シリューはお気に入りの岩から適度に離れた、枯れた倒木を見つけて腰掛けた。クリスティーナも、ごく自然にシリューの隣に続く。
ここなら実際にはもういない蛇を、クリスティーナが気にする事もないだろうし、朝の準備をしている人達に聞こえる心配もない。
シリューは黙って、クリスティーナが口を開くのを待った。
「……シリュー殿……昨夜は、その……叩いたりして、申し訳ない……」
クリスティーナはしょんぼりと頭を下げ、なかなか顔を上げようとしない。
「そんな、クリスティーナさんが謝る事ないですよ。脅かした俺が悪いんです、すいませんでした」
そう、今考えれば、クリスティーナに悟られる事なく、黙って処理もできた筈だ。
「……シリュー殿は、私に危険がないよう、教えてくれただけだ……それなのに……」
確かに、あの取り乱し様は尋常ではなかった、余程の事があったのだろうかと思い、シリューは尋ねた。
「いやそれが、特に理由はないのだが、物心ついたぐらいから、蛇を見ると、その、混乱してしまって……だって、手も足も無いのに、うにょにょ動いてっ、それに背筋がぞっとするあの目っ……って……騎士なのに、もうっ、情けない……」
クリスティーナは頬を染めて、大きな溜息を漏らした。
〝美亜と、まったく同じ理由……? いや、でも、まさかな……〟
俯くクリスティーナを見つめ、シリューは頭に浮かんだ考えを否定するように首を振った。
「誰にでも苦手なものってあります。もし立場が逆で、蛇じゃ無くクモだったら、俺が飛びついてたかも」
「え?」
クリスティーナは顔を上げ、目を丸くしてシリューを見つめた。
「だって気持ち悪くないですか? 不必要に八本も足があって、わらわら動き回る割に、妙に素早いんですよ? ああ、ほら、考えただけで鳥肌が……」
シリューは袖を捲って、鳥肌のたった腕を見せながら笑った。
「シリュー殿……」
「あ、でも、飛びつくのは……うん、犯罪だな」
自分を気遣って、シリューが大げさな事を言っているのが、クリスティーナにははっきりと分かった。
嘘が下手な少年だ……。だが、その心遣いが嬉しい。
「別に、シリュー殿なら、胸に抱いて頭を撫でて、慰めてあげてもかまわないが?」
クリスティーナが、ちょこんと首を傾げてウインクする。
「えっ? あ、あのっ」
今度はシリューが赤くなって俯いた。
それは、自分ばかりが驚かされ、恥ずかしい所を見られ、天然っぷりに振り回されて、少しだけ悔しかったクリスティーナの、心ばかりの意趣返しだった。
〝うん、やっぱり天然のたらしで……ヘタレだ〟
クリスティーナは満足そうに微笑むと、シリューの手を取り立ち上がった。
「さ、シリュー殿。そろそろ朝食の準備が整う頃だ。行こう」
戸惑うシリューの腕を胸に抱え、まるで連行するように歩くクリスティーナだった。
〝あの……あたってます〟
シリューは口に出せず、心の中で呟いた。
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