第27話 からかわないで!

 エラールの森には、幾つもの小高い丘や山が散在している。


 巨木に覆われたそれらを森の外から望む事は出来ず、それにより広大な規模の森の中で、正確な数や位置を特定するのは極めて難しかった。


 その山々の一つに、珍しくもない洞窟が口を開けていた。


 洞窟の入り口は馬一頭が通れる位だが、中に入れば、庶民の家なら十数軒は建てられる空間が広がっている。


 その洞窟の中。


「……グロムレパードが全滅?」


 煤けた洞窟には場違いな程豪華なソファーから身を起こし、男はくすんだ色の金髪を手で撫でつけ、その碧眼を目の前に立つザルツに向けた。


「す、すいません、お頭……」


 ザルツの声は僅かにうわずっていた。


 ザルツだけではない。襲撃から戻り、お頭と呼ばれた男の前に並んだ全員が、極度に緊張していた。


「……預けた仲間も、何人か足りねえみてぇだが?」


「そ、それが、その……」


 ザルツは言葉に詰まり下を向く。


 実際こんな事は初めてだった。


 今までも、戦闘で仲間が命を落とす事はあった。だが、二十頭のグロムレパードを使役した襲撃に、一度たりとも失敗した事はなかった。


 例え腕利きの冒険者が護衛にいようと、二、三十人規模の討伐隊であろうと結果は同じ。そして残った死体は魔物達が綺麗に始末してくれる。


 今回もそうなる筈だった。いや、途中までは上手く行っていたのだ。


「相手は何人だ?」


 頭の男は鋭い眼光でザルツをねめつけた。


「……一人です……」


 ザルツは蛇に睨まれた蛙のように、身じろぎも出来ず小さな声で答えた。


 その答えに頭の男は眉を潜める。


「待て待て、俺は耳が悪くなったのか? いま一人って聞こえた気がしたが?」


 余りにも馬鹿げた話だ。


 二十頭のグロムレパードを、たった一人で倒したなど荒唐無稽にも程がある。


「なあザルツ。仲間がやられたのは残念だ……けどな、魔物は所詮魔物だぜ? 死んだんなら又どっかで見繕ってくりゃいい。だろ? 手間は掛かるにしろ、こいつがあるんだからな」


 男は首に下げたオレンジゴールド色の、オカリナに似た笛を持ち上げて笑った。


〝モンストルムフラウト〟


 どんな魔物でも無条件でコントロール下に置ける、神話級のアーティファクト。


 男はこの笛を使って、魔物を使役していた。


「別に、お前を責める気はねえよ……で、ホントは何人だったんだ?」


 ザルツは男の言葉に少し緊張を解いた。


 この男、ランドルフは冷徹で冷酷だが、嘘は言わない。


 ランドルフが責めないと言うからには、ザルツが責任を取らされてどうこうという事はないだろう。


「……お頭……それが本当に1人なんです……」


 ランドルフの顔から笑みが消えた。





 夜の帳が森の中を包み、焚火の炎だけがその周囲を照らす。


 簡素だが温かい食事にありついた後、ある者は焚火の周りで談笑をはじめ、ある者は武器を手に見張りについた。


 シリューは、焚火の明かりが届くか届かないかの距離で、岩を背に腰を下ろしその様子を眺めていた。


 軍人である彼らは、もう気持ちを切り替えているのだろう。


 昼間、多くの仲間が命を落とした事を悲しむよりも、これからの任務を遂行する事を優先すると。


 ただの高校生だった、今も少し戦闘を経験しただけの、ただの高校生に過ぎないシリューには、簡単には理解しがたいものだった。


 言い換えれば、そういった訓練を受けているのが、軍人や騎士なのだろう。


 シリューはそうして納得する事にした。


 〝……俺には到底無理だろうな……〟


 その焚火の輪の中から一人、ティーカップを両手に持ってシリューの元へ近づいてくる。


「アルタニカ産の紅茶だ、口に合うといいのだが……」


 赤い髪をポニーテールに纏めたクリスティーナが、片方のティーカップをシリューに差し出す。


「ありがとうございます」


 シリューは零さないように、両手で受け取った。


「隣……かまわないだろうか?」


「ええ」


 シリューが頷くのを確認して、クリスティーナはその右側に腰を下ろす。


 ゆっくりとした動作なのだが、彼女が身に着けているのは身体にぴったりフィットしたアンダーシャツが一枚。


 目の前でふるんっと揺れる強調された双丘に、シリューは慌てて目を逸らす。


 いくら思春期の高校生と言っても、それくらいの理性は当然ある。


「ん? どうかされたか? 」


「いえっ、別に。すいませんっ」


 ぶつかった時の柔らかい感触が蘇り、思わず謝ってしまう。


「……熱でもあるのか? 顔が赤い……」


 当のクリスティーナは、そんなシリューの心情に全く気が付いていないようだ。


「大丈夫です、少し疲れたのかも……」


 そう言ってシリューは、クリスティーナが淹れてくれた紅茶に口をつける。


「あ、美味しい……」


 普段は紅茶よりもコーヒー派のシリューだが、それでもこの紅茶がかなりの高級品であるという事位は察しがついた。


「良かった……シリュー殿はかなり東方の出身だとナディア様に聞いたので、口に合うか心配だったんだ」


 クリスティーナはまるで向日葵のような笑顔を向けた。


 落ち着いたからだろうか、話し方が元に戻っている。


 シリューがその事を口にすると、クリスティーナはほんのりと頬を染め俯いた。


「あ、あの時はごめんなさいっ。動揺するとついつい素に戻ってしまってっ」


 と、言いつつ又動揺したようだ。


 弓月の眉に大きく切れ長の目。美しく整い凛々しい印象のクリスティーナが、今は伏目勝ちにおろおろとする様子に、シリューはふっと口元を緩める。


「謝るなんて……素の方がかわいいです」


「か、わ……いい……?」


 瞬きをするのも忘れ、その切れ長の瞳を大きく見開き、クリスティーナはシリューを見つめる。


「お、大人をからかうんじゃないっ!」


 まるで火が付いたように真っ赤になった顔を背け、クリスティーナが叫んだ。


「あ、いや、その……」


 勿論シリューにからかうつもりなどなく、意識する事なく自然に出た言葉だったが、確かに年上の女性に対して使うには適切でなかったかもしれない。


 とは言っても、今更否定する訳にもいかず、取り繕う適当な言葉も見つからず、口ごもってしまう。


「……シリュー殿……」


 先に口を開いたのはクリスティーナだった。


「は、はい」


「シリュー殿は……、だと……言われた事はないか?」


 クリスティーナは、顔を背けたまま口を尖らせぽつりと言った。


「え? あ……」


 確かに、以前何人かに言われたような気がする。


 ただ、ボケよりはツッコみだと自認しているシリューに、その意味は今一つ分からなかった。


「やっぱり……しかも女性からだろう……」


 クリスティーナは、もの言いたげな半開きの目で粘りつくような視線をシリューに向けた。


「な、なんで分かるんですかっ? ってか、何でそんな目で睨まれてるんでしょう……」


 残念な事に、シリューにはクリスティーナから睨まれている理由も、全く理解出来ていなかった……。


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