第17話 発動!

 辺りには夕闇が迫っていた。


 結局、日没までに森を抜ける事は出来ず、適当な場所を見つけて野宿する事にした。


 覚えたてのスキル、翔駆を試してみたのだが、垂直方向は兎も角水平方向はコントロールが難しく、自分の意識した方向に全く進めないうえ、何度も地面に激突した。


「いたたっ……以前なら折れてるよな、これ……」


 火を起こすための枯れ枝を集めていた僚は、左肩をさすりながら呟いた。身体のあちこちに痛みがあるが、幸い折れたり動かせなくなったりした所はない。


「……ええと……」


 集めた枯れ枝を纏め、火を付けようと腰を下ろして気が付いた。


「……どうやって、火を付ける?」


 マッチもライターもない。いや、そもそも今持っているのは身に着けた衣服と靴だけ、武器は勿論ナイフさえない。


 サバイバル系のテレビ番組で、枯れ木を使って火を起こすのを見た事はあるが、それもナイフである程度加工してやる必要があった。


 僚は真剣に集めた枯れ木の山を、空しい気持ちでじっと見つめた。


「……魔法……使えればなぁ……」


 何度か見た事がある着火の生活魔法。


 森での訓練中、ほのかが昼食や休憩時に使っていたのを思い浮かべる。


「……確か……アリュマージュ……」


 その時、ぼんやりと眺めていた枯れ木の山が一気に燃え上がった。


「うわあっ!」


 あまりの火の勢いに、思わず大声を上げ身体をのけぞらせる。


「どういう事だ? 今の魔法……だよな……」


 何故魔法が発動したのか。呪文も詠唱していない、ただ頭の中でイメージしただけだ。


 それに、アリュマージュの火は精々指先程度のもので、言ってみれば蝋燭の炎だが、今のはまるでキャンプファイヤーだった。明らかに規模がおかしい。


「……着火って言うより……放火だよ……」


 僚は毛先の焦げた前髪をいじり呟いた。


 変わっていたのは、身体や身体能力だけではなかったという事だろうか。


 今のところステータスを表示させる事が出来ていない為、詳しい内容は分からないが、以前は生活魔法でさえ使えなかったのだ。


「魔法が使えるようになっただけマシだよな……」


 僚は木の根を枕に横になった。


 木々の間から覗く星空をぼんやりと見上げ、この世界に来てからの事を思い返す。


「……何でこうなったんだろ……」


 だがすぐに考えるのを止めた。


「それより、これからの事だな……」


 勇者たちに見つかれば、きっと命を狙われるだろう。ならば人里離れた場所で、隠者生活を送るか……。


「却下。退屈で死ねるな」


 それに、引き篭もっていては、この世界に転生しているかもしれない美亜を探せない。


 隙をみて反撃して、復讐を果たす?


「うん、それも100パー無しだな」


 その選択肢は確実に魔神への道に一直線だ。それに復讐したいと思う程、恨みがある訳でもない。そこは僚自身不思議だったが、おそらく龍脈から復帰した事で身体に変化があったように、心にも何等かの変化があったのだろう。


「後は……そうだなぁ、冒険者でもやって地道に生活していくか……」


 今の身体能力なら冒険者としても、そこそこ生活していけるぐらいは稼げる筈だ。


「とりあえず、街に入ったら冒険者登録しよう」


 僚は目を閉じ、ゆっくりと眠りに落ちていった。





 夜も深まった時分。


 ふと目を覚ました僚は、ちろちろと燃える焚火の先に、背筋の凍るような気配を感じ慌てて半身を起こした。


 炎の先の暗闇をじっと凝視する。


 ゆらり、と闇自体が揺れたような気がした。


〝やばいっ〟


 心の奥で、本能が叫びを上げる。


 僚は咄嗟に地を蹴りその場から飛び去った。


 刹那、暗闇から放たれた塊が焚火の炎を掠め、今まで僚の居た場所に降り注いだ。


「液体? 何だ?」


 木の陰に隠れ、様子を窺う。だが、どんなに目を凝らしてみても、星明り程度ではその正体を見つける事ができない。


「……どこだ? くそっ」


 この場に留まるのは危険だ、だが下手に動くのはそれ以上に危険だと、僚の本能が告げる。


 気ばかり焦って、冷静に対応ができない。これではまるで肉食獣に追い詰められた獲物だ。


「狩られてたまるかっ」


 そうは言ったものの、この闇の中では敵を見つける事も容易ではない。それに対して、相手からは自分の姿が見えているのだろう。


「……夜行性の魔物……暗視ができるって事か……」


 せめて月が出ていてくれれば……、そう思った時。



【暗視モードに移行します】



「は?」


 翔駆の時と同じように文字が表示され、同時に辺りが昼間のように明るくなった。


「な、何だこれっ?」


 僚は突然の出来事に思わず声を漏らす。


 通常、暗視装置の画像は緑色に調整されている。それは可視光の中間の波長の色が緑で、最も知覚しやすい為であるのだが、今見えているのは、太陽光の下と全く同じ色だった。


 戸惑いはあるものの、これで少なくとも視界に関しては対等だ。


「居た!」


 こちらからは見えていないと思っているのだろう。それは何の警戒も疑念も持たず、ただ怯えて動けない獲物を捕らえようと、真っすぐに走り寄ってくる巨大な……巨大な……。


「きもっ!」


 胴体部分だけで2m、脚を広げれば8m以上はありそうな巨大なクモ。八本の長い脚をわらわらと素早く動かし、非常識なスピードで向かって来る姿に、僚は総毛立つ思いだった。


 だがじっとしている場合ではない。相手がクモなら、さっき飛んできた液体は毒か消化液だろう。まともに喰らえば動けなくなる可能性がある。


「それならっ!」


 僚は巨大グモに向かって一気に駆け出す。


 クモが液を吐いた瞬間、左に躱して飛び着地と同時に右へ切り返す。毎晩の訓練で身に着けた動き。その速さは巨大グモのそれを遥かに凌駕していた。


 一瞬、獲物の姿を見失い無防備になったクモの横腹に、全開の速度を乗せた飛び蹴りを放つ。


 ブーメランのように回転しながら吹き飛んだクモは、巨木に叩きつけられ体液をまき散らし四散する。


「何とかなったな……」


 僚は思ったよりも簡単に片が付いた事に、ほっと胸を撫でおろす。


「そうだ、あいつの魔核を売れば……」


 魔物の体内からは一体につき一つ、魔核と呼ばれる色の付いた水晶状の物体が獲れる。魔核は魔法具を動かす燃料として、また装備を強化する素材として需要が高い。


 魔物のランクが上がれば上がるほど、良質な物が獲れ値段も上がる。


「一撃で倒せた相手じゃ、大した値段にはならないかな……」


 それでも、一文無しの現状からすれば比べるまでもない。身体から素材になりそうな物を剥ぎ取ればそれも幾らかになる筈だ。


 そのためには解体する必要があるが……。ナイフも無しで。


 覚悟を決め巨大グモの死体に近づこうと歩き出した時、僚は背後に迫る圧迫感に気付いて振り返る。


 その瞬間、ぱしゃんっ、と水風船が弾けるように、粘着性のある液体が僚の胸に当たった。


「……何……」


 濡れた部分に触れようとしたが、腕が上がらない。液体の飛んできた方向を見ようとするが、顔も上げられない。


 辛うじて動く目線を向けた先にそいつはいた。


「ま、さ……もう、一匹……」


 先程倒したものより更に一回り大きなクモ。


 ならば、この液体は速攻性の毒だろう。急激に身体の力が抜けてゆき、僚は糸の切れた操り人形のように仰向けに倒れる。


〝ヤバい、ヤバい、ヤバい!〟


 僚は心の中で何度も叫んだ。最早声を出す事もできない。


 毒が効いて僚が動けないのを確信したのか、巨大グモはゆっくり、ゆっくり焦らすように近づいてくる。


〝冗談じゃない〟


 心臓を刺され一度死んで、龍脈から復活したその日に、クモの化物に生きながら喰われて死ぬ。


〝ふざけるなああああ!〟


 恐怖よりもこの理不尽に対する怒りが爆発的に込み上げる。


〝何でもいい! 魔法をっ〟


 その時、ほのかが使った最も初歩的な攻撃魔法が、雷光のように脳裏をよぎる。


〝快速の矢、瞬け! マジックアロー!!!〟


 殆どやけくそだった。なんの確信も根拠もない。ただ叫んだ。心の中で必死に叫んだ。


 僚の頭上に青白い光が輝く。


 その光から、空気を割る衝撃波を伴い透明の鏃が撃ち出された。


 音速を超えた鏃は轟くような大音響を生み、巨大グモの頭と胴体の半分を吹き飛ばし、更に森の大木を数本なぎ倒して消えた。


 その直後。



【麻痺毒をレジストしました】



 身体の感覚が完全に戻り、動けるようになった。


「……なんか、色々ツッコむ必要……あるかな?」


 戦いの後の惨状を眺め、僚はぽつりと呟いた。

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