第二章 エラールの森編 覚醒
第16話 いつか何処かで
そこは眩い光の奔流。
何処へともなく流され徐々に溶け込んでゆく。
自分がもう死んでいるのだと自覚できる不思議な感覚。
既に痛みも苦しみもない。
手足の先から少しずつ消滅しているが、恐怖もない。
やがて身体は完全に消えてなくなり、意識だけが漂う。
「……結局、この世界でも要らないヤツだったのか……」
両親に捨てられ、元いた世界に捨てられ、やって来たこの世界にも捨てられた。
「……なんか、くだらない人生だったのかな……」
思えば、陸上でもこの世界でも何とか頑張ってきたのは、偏に誰かから必要とされたかったから。誰かに必要だと言って欲しかったから。
「要らないんじゃなくて……いちゃいけない存在なんて……」
だが悲しみもない。
それを感じる事ももうできなくなっているのだろう。
「どうでもいいや……」
空が見える。海が見える。森が、草原を渡る動物たちが。
いくつもの光景が同時に見えている。
既に星の意識に捕らわれ始めてるのだろう。最早どこからが自分の意識で、どこまでが星の意識か、その堺も曖昧になってきた。
「このまま……消えるのも、悪くないか……」
もう考える事さえできなくなりそうになったその時だ。
〝いけません!〟
それは、聞いたことのない女性の声。
涼やかで透きとおる様な、嫋やかな、それでいて何処か力強い声が意識に直接響いた。
「誰……? 誰でもいいや、もうほっといてくれ……俺は……もうすぐ消えるんだ」
〝いけません……貴方が消えてしまったら、貴方の大切な人もまた消えてしまう〟
「俺以外にも、覚えている人はいるさ」
〝いいえ、貴方でなければ……貴方が生きてこそ、意味があるのです〟
「俺の……意味……」
〝貴方は約束しました〟
「……約束……確かに、約束したけど……」
どこかの世界で生まれ変わったら、絶対に美亜を探す、もう一度必ず美亜と出会う、と。
〝ならば信じてください……そして、探してください〟
「でも……」
〝貴方は知っている筈です。自らが動いた先に、自らの道が開ける事を〟
この女性が誰なのか、なぜ美亜との約束を知っているのか。
〝貴方を必要とし、悠久の時の中で貴方を待つ者〟
声が答える。
「探す……この世界で……?」
〝そのためには生きて、生きてください〟
「生きて、いいのかな……」
〝もちろんです、貴方が生きる事で生まれる希望もあるのです〟
「俺が、誰かの希望に、なれる」
〝そうです、だからお願い生きて!〟
もう既に身体は無かったにも拘わらず、涙が頬を伝うのを感じた。
「ありがとう。誰か知らないけど……でももう遅いよ。俺は死んでるし、身体も消滅したんだ」
〝諦めないで……強く自分を意識するのです。自分の手を、脚を、目を、耳を、自分の存在を強く強く。貴方にはそれが出来る。それが貴方の真の力〟
「ああ、そうか、それが俺の……」
唐突に理解した。
それは真理の力。
消滅した肉体を再構築してゆく。骨を筋肉を皮膚を内臓を。何故か全てが分かる。頭からつま先、一つ一つの細胞に至るまで、意識を集中させる。
〝いつか、何処かで〟
きらきらと、声が笑った気がした。
「うん。いつか、何処かで」
光の奔流の中を突き進む。もう流されてはいない。
何かに導かれる様に細い流れに入り、やがて小さな、だが確かな点を見つける。
「あれが龍穴か」
一気にその龍穴へと飛び込んだ。
さわさわと木々を揺らし、温かい風が通り抜ける。生を謳歌する小鳥たちの囀りが、そこかしこから聞こえて来る。
草の上に立膝をついて佇む少年は、まるで時の流れに取り残された彫像のように微動だにしない。
やにわに目覚めを促す光風が頬を掠め、少年は目を開く。
一体何時からこうしていたのだろう。もう何年も過ぎてしまったような気もするし、ついさっきのようにも思えて時間の感覚がよく分からない。
「……俺は……」
誰だったのか……。
自分の名前が咄嗟に出なかった事に戸惑いを覚える。
「僚……そう、明日見僚……」
その瞬間に記憶が蘇る。
だがそれは、空っぽの器に明日見僚としてのデータがダウンロードされたような、奇妙な違和感を感じさせるものだった。
「……俺、死んだはずじゃ……」
背中から刺され、龍脈へ落とされ肉体は完全に消滅した筈。そこまでは覚えているのだが、その後どうやって復活したのかが思い出せない。
何か大事な事があったような気がするのだが、肝心な部分は靄が掛かり、霞んでしまってはっきりとしない。それはまるで、目覚めた瞬間に思い出せなくなる夢に似て、考えれば考える程遠く過ぎ去ってゆく。
「探せ……? たしかそう言ったような……」
龍脈を、意識だけとなって漂うさなか、聞こえた女性の声。
「信じて、探せ?」
なぜかその部分だけが、やけにはっきりと蘇ってくる。
僚は、胸のポケットに手を入れて中を探る。それはもう、染みついてしまったささやかな習慣だった。
だが、ポケットの中には何も入っていなかった。
「そうか……あの時、テーブルの上に置いてきたんだっけ……」
美亜への誕生日のプレゼント、形見になってしまった、ローズクォーツのネックレス。
「残しといてくれると、いいんだけどな……」
あまり期待はしない方がいいだろう。もし残してあるとしても、受け取る方法がない。
たった一つの、美亜との思い出の品。
大きすぎる喪失感に耐えられず、僚の頬を涙が伝い、零れて落ちる。
〝僚ちゃん。私を、探して〟
どこからか美亜の声が聞こえた気がして、僚は涙を拭って碧く深い空を見上げた。
「美亜……
答えてくれる者はいない。
ただ、心の中で波のように繰り返される、謎の女性の声。
〝信じてください。そして、探してください〟
「悠久の時の中で貴方を待つ者、か……」
彼女が何者なのかは分からない、だがおそらく彼女は全てを知っているのだろう。
生きてゆこう。
どんなに可能性が低いとしても、あの日の約束を果たすために。
何年かかっても、地の果てを彷徨うとしても、生まれ変わった美亜を探そう。
僚はゆっくりと立ちあがって、木々の隙間からのぞく空を見上げた。
無意識に握りしめて頭上に掲げた右の拳を、こつんっと額に当てる。
「それまで……待っててくれ……美亜」
森を抜ける風が、応えるように僚の髪を揺らした。
「じゃあ、行くかな」
大きく伸びをした僚は、とりあえず現状を把握する為に辺りを見渡した。
「森……か」
ここがシャールの森だった場合、このまま留まるのは得策といえるだろうか。
心臓を貫かれたのだから一度死んだのは間違いない、ならば勇者たちの呪いは解呪されたとみていいだろう。
だがそうでない場合。
生きていると知られれば、追われてもう一度殺されるのだろうか。
血に濡れた剣を握りしめ、涙でくしゃくしゃになったパティーユの顔が浮かんだ。
どことなく、美亜と同じ雰囲気を持っていたパティーユ。美亜と同じ癖があり、何故か僚の好みを知っていた。
「……パティ……」
その瞬間、焼け付く様な激しい痛みが僚の心臓を襲う。
「かはっ、ぐっ」
全身の力が抜けて足元から崩れ落ちる。
「はあっはぁ、はぁ……」
僚は胸を押さえて蹲り、何とか落ち着こうと荒くなった息を整える。
「くそっ……な、んだよ」
おそらく刺された時の記憶と共に、その痛みも再現されたのだろう。シャツのボタンを外すと、丁度心臓の真上に大きな傷跡が残されていたが、幸い心臓はしっかり脈打っている。
「とにかく、逃げよう」
早急に森を抜け、エルレイン王国を脱出する。大した力のない僚には、今はそれが最善だと思えた。
僚は立ち上がり、森の出口を目指して歩き始めた。
あれからどれ位歩いたのか。
「なんだろう、全然進んだ気がしない……」
行けども行けども景色は殆ど変わらず、そもそも真っすぐ進んでいるのかさえ怪しくなってきた。
「……疲れた……ん? 疲れた?」
ふと口をついて出たものの、実際にはただ歩くのに飽きただけで、全く疲れがない事に気付いた。
「どうなってるんだ?」
獣道を通り、草木を掻き分け、かれこれ四、五時間は休みなく歩いている。それなのに、疲れないどころか空腹を感じる事もなく、汗一つかいていない。
「ま、悪い気分じゃないから、気にしないでいいか」
其れよりも差し迫った問題。もう随分日が傾いているし、このままだと野宿は避けられない。
「日が暮れる前に森を抜けたいけど……木の上からなら出口が見えるかな?」
僚は木々を見上げ、登るのに手掛かりになりそうな枝を探す。
「あれなら、届くかな」
4m程の所に横に張り出した枝を見つけた。全体的な枝ぶりから登り安そうでもある。強化されている今の体力なら十分届く筈だ。
僚はその場に深く沈み込み、腕を振り上げるタイミングに合わせ、思い切り脚を踏み込んだ。
大きな爆発音を伴い足元の地面が爆ぜる。
耳に聞こえる空気の唸りは、怪物の叫び声すら生ぬるく、最早ジェット戦闘機の爆音に近かった。
「え?」
ほぼ一瞬の間に、森の樹頭を遥かに超えた上空に到達していた。
上昇が止まり、下降を始める。
「わっ、ちょっと待っ」
高さの感覚が掴めないが、明らかに100m以上はある。この高さから落ちれば……、想像はしたくない。
僚は落下しながら、無意識に足を踏み込んだ。
体育館の床を蹴ったような鈍い衝撃音が響き、再び上昇する。
「何だ? 今、足場ができたような……」
僚はもう一度、今度は意識して脚を踏み込む。
そのタイミングに合わせ足元がひかり、透明な足場が一瞬構築され更に上昇する。
【固有スキル、翔駆を獲得しました】
「ええっ?」
いきなり目の前に文字が表示された事に驚き、僚は手を伸ばすが触れる事ができない。どうやら網膜に直接投影されているか、脳内で視覚として処理されているようだ。
未だにステータスは表示されないようだが、スキルを獲得できた事に僚は思わず口元を緩めた。
が、すぐに真顔に戻る。
「……どうするんだこれ……」
上昇速度は緩やかになってきたが、今や雲を突き抜け数千m。ここまでくると落下と言うより墜落である。
やがて上昇が止まり下降に転じる。
「うわああああ!」
徐々にスピードが上がってゆく。
「まてっ、落ち着けっ、何か、方法がっ……」
だがゆっくり考える暇はない。猛烈な勢いで地面が迫る。
「……そうかっ、階段だっ」
上昇した時は踏み込みに力を入れ過ぎて、言わば階段を2段飛ばしに昇ったようなものだ。ならば、階段を下りる感覚でゆっくり踏み込めば……。
僚は、つま先をつくように踏み込んだ。
足元がひかり、足場が構築され若干落下速度が落ちる。
「よしっ、思った通りだ」
右脚、左脚と繰り返すうちに徐々に速度が緩まり、5m程の所からはそのまま着地する。
「……上手くいった……」
僚は地面に座り込むと大きな溜息を零した。
「次からは……慎重にいかないと……」
スキルを獲得できたのは素直に嬉しい、だが自分の中で何か、いや自分自身が変わっている。
僚にはそれがいい事なのか悪い事なのか、分かりかねていた。
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