第15話 パティーユの愛、そして罪

 今からおよそ1500年前。


 神と戦い、のちに『反逆の勇者』と不名誉な名で呼ばれる三代目の勇者。


 だが彼がうち滅ぼしたのは、この世界の生きとし生けるもの全てを絶滅せんとする、史上最悪の『魔神』であった。


 その『魔神』は、元々人間の男だったと、碑文に記されていた。


 ある理由により命を奪われたその男は、激しい恨みと憎しみによって魂が蘇り、あろうことか大災厄をもその身に取り込み、魔神となって復活した。


 魔神の力は大災厄を遥かに凌駕し、その戦いは苛烈を極めた。


 かの魔神を漸く滅ぼした時、戦いに参加した自然界の力を司る青龍、白竜、赤龍、黄龍の神龍四柱のうち青龍を除く三柱が失われ、二人の従士が命を落とし、世界の半分が壊滅した。


 世界の復興にはその後の四代目勇者を待たねばならず、2000年といわれる神龍の復活には未だ遠い。


 新たな魔神の誕生を防ぐ手立ては……。





「儀式、ですか?」


 直斗は確認するように聞き返した。


「はい。建国前の遺跡から発掘された碑文を調査した結果、今回と同じ事が過去にもあったようです。どうやら皆さまの状態異常は呪いの一種である事が判明しました」


 パティーユは一つ一つの言葉を噛みしめるように、ゆっくりと淀みなく話した。


「呪い?」


 有希の顔に恐怖の色が浮かぶ。


「心配はいりません、呪いと言っても力を制限するだけで、命に係わるようなものではありませんから」


 パティーユの言葉と向けられた笑顔に、有希はほっと胸を撫でおろした。


「ですが放っておいては、その……十分に力を発揮出来ません。情けない話ですが、この世界には皆様のお力が必要なのです」


 パティーユは強い意志を籠めた瞳で直斗たちを見渡した。


 直斗たちも、それは既に納得済みだと言わんばかりに頷く。


「ありがとうございます。ではエマーシュ」


 パティーユに促され、脇に控えていたエマーシュが一歩前に進み、普段よりも恭しく説明を始める。


「皆ようにおかれましてはこののち、午後より召喚の間の下層、龍穴の間において解呪の儀をお受け頂く事となります。儀式の性質上お一人様ずつ順番となりますがご容赦下さい。解呪につきましては皆様全員の儀式が終了したのち、速やかになされると記述されております」


「俺も……ですか?」


 特に状態異常見受けられなかった僚が右手を上げる。


「はい。どうやら明日見様のステータスもこの呪いの影響を受けている様です」


「って事は、解呪されれば俺も何かスキルが使えるようになるんですか?」


 エマーシュが僚を見つめ大きく頷いて微笑んだ。


 これで足手まといにならずに済む。そう思い僚の口元が自然とほころぶ。


 直斗は僚の肩をぽんっと叩いた。


「それでは皆様、お時間になりましたらお呼びいたしますので、それまではどうかご自分の部屋でゆっくりお寛ぎくださいませ」


 パティーユがそう言って、エマーシュと共に深くお辞儀をした。


 僚たちが部屋を出るのを静かに見送った後で、パティーユはまるで魂まで抜けるような深い溜息を零した。


「殿下、本当に良かったのですか? 何も今日でなくとも明日、いえ2~3日後でも……」


 パティーユは目を閉じ首を振った。


「いえ、後になれば……耐えられそうにありません……」


「ではせめて、私かレスター殿に……」


「それはなりません……これは……私の責任、私の罪……私が受けるべき罰なのです……この世界を守る為の」


 パティーユは言葉を詰まらせ、


「……でも、な、なぜ今なの……どうし……て、わたし……の、時代……に……」


 そして大粒の涙をぽろぽろと零し、はばかる事なく泣きじゃくった。



 僚は自分に与えられた部屋のソファーに横たわり、ローズクォーツのネックレスを目の前で揺らしながら、パティーユの顔を思い浮かべていた。


 どことなくいつもの明るさが影を潜め、少しやつれたように見えた。


「疲れてたんだろうな、忙しそうだったし……」


 スキルが使えるようになれば、力になれる事も増えるだろう。昼食の後、そんな事を考えながら、僚は自分の順番が来るのを待っていた。


 コンコン。


 ドアをノックする音が響く。


「明日見様? 宜しいでしょうか」


 僚は身を起こし、ネックレスを持ったままの拳を、こつんっと額に当てテーブルの上に置いた。


「……行ってくるよ、美亜」


 ドアを開けると、パティーユ付きの侍女の1人が立っていた。


「では、ご案内致します。どうぞこちらへ」


 侍女が一礼して歩き出し、僚も彼女について部屋を出る。


「日向さんたちはもう終わったのかな?」


 僚は前を歩く侍女に尋ねた。


「ええ。明日見様が最後となります。皆様別室で待機なされておいでですよ」


「……なんか緊張してきたな……」


 もし儀式を受けても何も変わらなかったら、そんな思いが僚の胸をよぎる。


「ご心配には及びません。きっと上手くいきますよ」


 侍女は軽く振り向いて微笑んだ。


 召喚の間の地下へ続く階段を降り、大きな扉の前で侍女が立ち止まった。


「こちらが龍穴の間となります、中で姫様がお待ちです。それでは……」


 侍女はそう告げると、一礼してもと来た廊下を戻って行った。


「ほんと、緊張するな……」


 僚は扉に手を掛けゆっくりと引いた。大きさの割に軽い事に驚きながら部屋の中へ入ると、奥に祭壇がありその後ろから薄緑の光が立ち昇っている。一見して森で見た龍脈の光と同じ物である事が窺える。


 その祭壇の前にパティーユが一人で立っていた。


「待っていました、僚」


 パティーユの向けた笑顔は、いつもと変わりないように見えた。


「あれ? パティ一人?」


「はい。もっと仰々しいものだと思いました?」


 少なくとも召喚の時ぐらいの規模だろうと予想していた為、僚は何となく拍子抜けした気分だった。もちろん、パティーユと二人だけという事で、緊張せずに済むのはありがたかったが。


「奥にあるのが、龍穴?」


 緊張がほぐれた事で、僚の好奇心が刺激された。


「ええ。覗いてみますか?」


 パティーユに促され、僚はそっと龍穴近づく。3m四方で穴が穿たれ、周囲には1m程の高さの囲いがある。


 囲いに手を掛け覗いてみるが、中は非常に明るくて底を窺い知る事はできなかった。


「気を付けて、落ちたら大変です」


「え? あ、ああ」


 パティーユに注意され、気付くと僚は大きく身を乗り出していた。


「落ちたら……どうなるんだろう」


「そうですね……龍穴に落ちた場合、その身も意識も魂さえ星に取り込まれ、命の輪廻からも永遠に外れてしまうと言われています」


 宗教的な考え方だろうか。僚はその手のものが得意ではなかった。


「つまり、どういう事?」


「簡単に言うと、二度と転生する事も復活する事もできない完全な消滅、でしょうか」


 完全な消滅、それが死とどう違うのか僚には分からなかったが、とりあえず頷いて見せた。


 パティーユはそんな僚に気付いたのか、にっこりと笑った。


「綺麗、ですね……」


 パティーユが龍穴から立ち昇る光を見上げて囁く。


 僚も同じように見上げた。


「このまま少しお話を聞いて下さい」


 僚は光に目を向けたまま頷いた。慌てる必要はないだろう。


「僚……1500年前の三代目勇者の話は聞いていますよね……」


「魔神と戦った勇者だって事は聞いたけど、詳しい話は……」


 僚はその話が、何故この儀式と繋がるのかがよく分からず首を傾げる。


「碑文によると、魔神は元は人間だったそうです」


「魔神が……それって人間が魔神になったって言う事?」


「ええ、そのようです」


 パティーユは僚の後ろにまわり、背中にそっと頬を寄せた。


「それから……三代目勇者様方も、日向様方とまったく同じ呪いに侵されていました」


「そうか、それで、呪いを解く方法がわかったんだ」


 僚の背中で、パティーユは静かに頷く。


「あれ? でも呪いと、魔神が元は人間だったっていうのは、何の繋がりがあるの?」


 少し間をおいて答えるパティーユの声が、心なしか僅かに震える。


「呪いを掛けていたのは、魔神となったその人だったのです」


「え? じゃあ、その人が、魔神に変わる前に、勇者たちに呪いを掛けたって事?」


「正確には、その人が呪いを掛けたというより、その人の存在自体が、勇者様方の力に制限をかける呪いだったそうです。勿論、その人が望んだわけでも、悪意があったわけでもなく、それは不幸な偶然……でした」


 パティーユは僚の服の袖をぎゅっと掴んだ。


「僚……ああ、僚……私は……この時間がずっと……ずっと続いて欲しいと……」


「パティ?」


 その時。


 激しい痛みが背中から自分の胸を貫くのを感じた。


「パ……ティ……何……を」


 僚は自分の胸を貫いた剣の刃先を見つめ、その痛みに顔を歪めた。


「ごめんなさい……」


 僚の背後で剣を握りしめたパティーユの頬を涙がつたう。


「許して下さいなどと……身勝手な……事を、言うつもりは、ありません」


 パティーユの声は悲しみを堪えるように、とぎれとぎれで震えていたが、涙に濡れたその瞳には強い決意が秘められていた。


「……私にはこの国と世界を守る義務があります」


 パティーユは僚の心臓を貫いた剣をその背から引き抜く。


 足に力が入らず僚はその場でよろめく。


「……なん、で……」


 僚は血の流れる胸を押さえ、縋るような目でパティーユに問う。


「碑文に記されていました。呪いを解くには、呪いの存在自体であるその人を……抹殺するしかない、と……。ですが、その人になんの咎があったわけではありません」


「それが、どうして……俺、と」


「命を奪われたその人は、激しい怒りと憎しみによって魂が甦り、大災厄を喰らって魔神となり、世界に復讐を始めたのです」


 霞んでゆく思考の中で、僚はただ救いを求めるように、血濡れの手を延ばす。


「魂の甦りを防ぎ、魔神となるのを阻止する為には、心臓を貫き、龍穴に落とす以外に方法がない、と」


「……まさ、か……」


 なにものも掴めない僚の手が虚空をさまよい、それからゆっくりとパティーユが頷く。


「……その人は……僚、あなたと同じ五人目の召喚者だったのです」


 パティーユは大粒の涙を拭う事もせず叫んだ。


「曇りなき荘重なる氷壁よ、戒めとなりかの者を捕らえよ。アイスプリズン!」


 氷の牢獄が僚を取り囲み宙に浮かぶ。


「俺……が……」


 僚は氷の壁に手を添えパティーユを見据えた。血は止まらない。心臓を貫かれたのだ、助からない事は理解できた。だが、納得できる事ではない。


「未だ三柱の神龍も復活していないのです、あなたを……魔神にするわけにはいきません……もちろん呪いを放っておくわけにも…………ごめんなさい僚。あなたを龍脈に落とします」


「日向さんたちは……この事……」


 パティーユは無言で真っすぐに僚を見つめた。


「……そういう……事、か、そうか……完全に……消滅……パティ、俺、は……」


 僚の身体から一気に力が抜け次の言葉は続かなかった。


 パティーユは涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑った。


「僚、これは私の身勝手、私の責任、私の罪……全てが終わったら私も必ずそちらに行きます……」


 パティーユは両腕を大きく振り上げる。


 僚を捕らえた氷の牢獄が、龍穴の真上へ動く。


「……愛しているわ……僚……」


 パティーユが両腕を振り下げ、そして僚は龍穴へと深く深く落ちてゆく。


 その瞬間、直斗たちの状態異常は解除された。

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