第14話 どっちを選ぶの?

「……ごめんね、僚ちゃん。約束、守れなくて……」


 消え入りそうな声で美亜が言った。


 無機質な蛍光灯の明かりに照らされた病室の、白いベッドに横たわる美亜と、その脇の椅子に座り美亜を見つめる僚。


 僚はもう殆ど力の入らない美亜の右手を包む、自分の両手に力を籠める。まるでそうする事によって、命の力を注ぐかのように。


「なんで謝るんだよ……美亜が元気になれば、ちゃんと約束守れるよ……」


 今年の夏も、一緒に海に行こうね。


 私の誕生日、またお祝いしてくれたら嬉しいな。


 クリスマスは、朝まで一緒に過ごそうね。


 そして、これからもずっと、ずっと、同じ道を二人で歩いていこうね。


 ……いつか……家族になろうね……。


 年が明けるまでは、変わらずに元気だったはずの美亜。


 病魔は突然に、そして急激に美亜の命を飲み込んだ。


「美亜はきっと元気になるよ……それまで、俺、待つから、だから大丈夫だよ」


 それは、僚が美亜についた最後の嘘。


 美亜は笑った。病の苦しみに歪んだ顔では無く、最愛の人に自分の笑顔を覚えておいてもらう為に。


「僚ちゃん……やっぱり僚ちゃんは優しいね」


 美亜の命の火は、既に消えようとしていた。


 何故こんな事になったのか。何故美亜が選ばれてしまったのか。何故世界は、自分からたった一人の美亜を奪うのか。


 僚はこの理不尽に、激しい憤りを感じていた。


「ねえ僚ちゃん。お願い……もしもどこかの世界で、生まれ変わったら、また私と出会ってね……また私を好きになってね………私も僚ちゃんを探すから、絶対さがして、そして好きになるから……だからお願い……」


 美亜はその目に最後の力を込めて僚を見つめる。


「ああ約束する。絶対、絶対、美亜を探すから、だから、だからっ……」


「……ありがとう……僚……ちゃ……ん」


 僚の掌に包まれた美亜の手が、握り返してくる事はもう無かった。





〝僚ちゃん、私を、探して〟


 それは召喚の日、あの交差点で見た美亜の幻が囁いた言葉。


 目の前に垂らしたローズクォーツのペンダントが、遠慮がちに揺れる。


「……美亜……どういう意味だよ……」


 ペンダントに尋ねても、もちろん答えは返ってはこない。


 中庭を見下ろす廊下の窓枠に手を置き、僚はぼんやりとそこから見える景色を眺める。人工的な中庭の造形と遠くに見える山々との対比は、まるで現実と幻想の中で揺れる自分の心を映している様で、そして何故か懐かしいものを見つけられる様な気がした。


 だがこのまま眺めていても、探す答えを見つけられる筈もなく、僚は大きな溜息を零す。


「僚……」


 呼ばれた声に振り返ると、そこには書類の束を小脇に抱えたパティーユが、ちょこんっと首を傾けて笑っていた。


「考え事ですか? 僚」


〝僚ちゃん〟


「パティ……?」


 たおやかにほほ笑むパティーユの姿が、ほんの一瞬、美亜の幻と重なった気がした。


「はいっ、おはようございます。久しぶり? ですね、僚」


 久しぶり、と言えるかは微妙だが、確かにこの三日程顔を合わせていなかった。それによく見るとパティーユの目の下には、化粧で隠してはいるものの薄っすらとクマが浮かび、どこか疲れた様に見える。


「大丈夫? パティ。あんまり寝てないんじゃ……」


 あれからパティーユは、勇者たちに掛けられた状態異常を解除する為、それこそ不眠不休で原因の解明にあたっていた。


「平気ですよ、これでも徹夜には慣れて……」


 と、勢いよく胸を張ったとたん、軽い眩暈がしてよろけてしまう。


「パティ!」


 僚は慌ててパティーユの両肩に手を添え支えた。


「本当に大丈夫? 少し休んだ方が……」


 パティーユは返事をせず、そっと僚の胸に顔を埋める。


「あ、あの……パティ?」


「……暫くこのままで……大丈夫、誰も見ていません……」


 そう言ってぴったりと身を寄せるパティーユと、突然の状況にどう対処していいのか分からずあたふたと焦る僚。


「パティ……」


 僚は、とりあえず右手をパティーユの肩にかける。ぴくんっとパティーユの躰が動く。


 ふわりと香ってくるのは香水だろうか、少し甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。


 無防備に身を預けるパティーユの緊張が徐々にほぐれ、その柔らかさが全身に伝わってくる。


 それから一、二分が過ぎたころ、パティーユはそっと身体を離し顔を上げた。


「はぁ、三日振りに僚の顔も見られたし、これで元気になりました……」


 パティーユは上目遣いに僚を見つめた。


「でもね僚……こういう場合、両手は背中にまわすものです」


 そう言って、僅かに頬を染めていたずらっぽい笑みを浮かべる。


「え?」


「まあいいです。今日はこの後皆さんで街を見に行くのでしょう? ゆっくり楽しんで来て下さいね」


 パティーユは書類の束を胸に抱え直し、ぱたぱたと走り去っていった。


 それは彼女の照れ隠しであったのかも知れないが、僚がそれに気付く事はなかった。





 エルレイン王国をはじめ、三大王家と呼ばれるアルフォロメイ王国、ビクトリアス皇国の礎を築いたのは、1200年前の四代目勇者であると言われている。


 現に各王家には四代目勇者の手記が数多く残されており、それが事実である事を証明していた。


 ただ、それ以前である三代勇者までは、紙が発明される前という事もあり、石板等に刻まれた碑文しか残っておらず、故に、彼らの存在ははっきりとせず、神話やお伽話で語られるのみであった。


 今回、パティーユがエマーシュらに命じたのは、遺跡から集められた碑文の解読であった。


 エルレイン王国で発見された遺跡は、生活にかかわる建物跡や生産にかかわる製鉄遺構、更には神殿や祭祀遺構など信仰にかかわるものなど、他国に比べると数も多く良好な状態で残されていたが、本格的な発掘や調査などは行われておらず、ほぼ手付かずのままだった。


 数多くの碑文の中で、エマーシュが着目したのは三代目勇者に関する記述であった。


 神と戦い、神をうち滅ぼしたと伝えられる三代目勇者はその行いから、『反逆の勇者』と呼ばれる事もあり、異彩を放つ人物であったとされる。


 ただ彼が戦った神とは、異形の悪神だとする伝説も残されていて、そもそも実在さえ怪しまれている存在の一人である。


 もちろん、エマーシュにも確証があった訳ではない。 


 研究棟に持ち込まれたまま、埃にまみれ無造作に積まれた碑文の解析にあたって3日。遂にエマーシュは探していた答えを見つけた。


「……これはっ……」


 但しその答えは、望んでいたものとは真逆の、受け入れ難い事実だった。


「……こ、これでは……殿下は…………あまりに……」

 




 人目につかないよう、ひっそりと王城を出た直斗たちは、王都の中心にある貴族街を商業区のある東へ向かって歩いていた。森での訓練の時はいつも馬車なのだが、今日はみんなでゆっくり散策する為、馬車での送迎を断ったのだ。


「すごいね……こんなお家住んでみたいよ」


 有希が貴族街でも一際豪奢な屋敷を眺めて、溜息まじりに呟いた。


「ここは確か、エストラウド公爵家のものですね」


 恵梨香が、以前移動中の馬車の中で聞いた説明を思い出して言った。


 意匠を凝らした立派な門構えに屋敷を取り囲む装飾を施された塀は、現代の日本では見る事のない優雅さを醸し出している。


「どれもこれも、俺の住んでる養護施設の何倍も広いですよ」


 僚は驚きを通り越し、呆れ半分と言った様子で肩を竦めた。


「王城の俺たちの部屋なんて、広すぎて未だに落ち着かないからなぁ」


「ほんと、ファンタジーだよねぇ」


 直斗は誰に言うともなしに呟いたが、ほのかがそれに答える様にこくこくと頷いた。


 綺麗に舗装された石畳の道路に整然と並んだ街並み。


 均等比率左右対称に建てられた建築物は、整数比率の正方形と丸型を基調とし、バイフォレイトと呼ばれる双子窓が並んでいる。


「わたしたちの世界で言う、ルネサンス様式に似てますね……ああ、バッテリーが残っていれば……」


 恵梨香が残念、とばかりに溜息を漏らす。


 こちらに来て三週間、もう既にスマートフォンのバッテリーは空になっていた。


「写真、撮りまくっちゃったもんね……」


 有希はがっくりと肩を落とす。


 物珍しさに、皆躍起になって写真や動画を撮りまくった。そして気付いた時には全員のスマートフォンがバッテリー切れで使用不能になった。もう少し冷静になっていれば、と思ったものの後の祭りである。


 なんとか魔力で充電できないかあれこれとやってはみたが、今のところ上手くいっていない。


「あ、ほら。門が見えてきたよ」


 ほのかが、その場の空気を変える様に指さした先に、貴族街と商業区を分ける門が見えた。

 

 華麗な装飾が施された門は華奢な造りではあるが、緊急時には魔力による障壁を張る事ができる。


 その門をくぐった先の商業区にある広場で、ささやかなお祭りが開催されている。直斗たちの今日の目的はそのお祭りだった。


 いや、直斗たちの、と言うより女子たちの、と言った方が正しいだろう。実際僚も直斗も祭りにはそれ程興味はなく、彼女たちへの付き添いぐらいの感覚だった。


「ほら僚くんっ。今日は楽しもうね」


「珍しい屋台も出てるらしいよ、行こ、僚君」


 それぞれほのかと有希に左右の手を取られ、駆けだした二人に引きずられる様に走る僚。


「ついにあの二人にも春が来たか……」


 直斗が、三人の様子を眺めしみじみと呟いた。


「明日見さん、どっちを選ぶでしょう」


 恵梨香は頬に手を添えて首を傾げる。


「……う~ん……っていうか、まだそんな段階じゃないだろ」


「それもそうですね、今はまだ、楽しめればいいですね」


 直斗と恵梨香はお互いの顔を見て、まるで子供の成長を見守る両親の様な笑みを浮かべた。


 五人はつかの間の休息を心行くまで楽しんだ。

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