第4話 オンユアマーク!

「明日見様?」


 それは、召喚の儀から1週間程たった夜の事だった。僚たち五人はこの世界に関する講義を何度か受け、一般的な常識や知識、文化といったものをある程度知る事が出来た。


 例えば時間や暦。正確な時計などを作れる文明レベルには無いが、元の世界とほぼ同じで1日が約24時間、1年が365日と考えて良かった。


 距離の単位はm。これは過去に召喚された勇者の一人が伝えたものらしい。


 一通りの知識が身についたところで、いよいよ戦闘の為の訓練が始まった数日後の事。


 その日の夜、なんとなく目が冴えてしまったパティーユは、少し夜風に当たろうと宮廷の庭へ足を向けていた。そこで、庭の反対側を通り一人訓練場へ向かう、僚を見つけたのだった。


 声をかけるべきか迷ったが、結局こっそりとついて行く事にした。


「覗きのようで、少し気が引けますね……」


 パティーユは僚が気付かない程度の距離を保ち、訓練場の木の陰に身を潜めた。


◇◇◇◇◇


 誰かに見られているなど思いもしない僚は、訓練場の端に備え付けられた木製のベンチに腰を下ろす。

バッグの中から取り出したスパイクを目の前に掲げ、祈るように目を閉じたあと、こつんっと額を当てる。


 それは、スパイクを履く前の儀式。


「いくよ、美亜……」


 高校に入学する直前の三月。


 僚の誕生日に美亜がプレゼントしてくれたスパイク。


 スパイクピンは、いつものオールウェザー用8mmパウピラから、土用ランスパーク12mmに取り換えてある。


 100mの距離は、昼間のうちに道具を借りて測っておいた。


 決めておいたスタートラインの手前に立ち、深く深呼吸。一回……もう一回。


 身体にかかる無駄な力を抜き、静けさの中に心を溶け込ませる。


〝On your mark〟


 頭の中に響く合図の声。


 腰を落としてラインに手を添え、足の間隔を最もしっくりくる位置へ。


〝Set〟


 一呼吸置き、そして……。


 自分にだけ聞こえるピストルの音。


 全身が爆発的に躍動し、その一瞬世界が弾ける。


〝足を上げすぎるな〟、〝前傾姿勢〟


 ……1……2。頭の中でカウントをとる。


〝身体を起こせ〟、〝加速、加速〟


 風がうなりを上げる。


 ……3……4。


〝足が流れないように、接地時間を短く〟


 今までに感じた事の無いスピードで景色が流れる。身体の重さを感じない、まるで空を飛ぶような感覚。


 ……5……6。


 思い切りゴールへ飛び込む。


「6秒ちょい……」


 僚は信じられないタイムに声を出して笑った。世界記録を軽く、大幅に上回ったのだ、もう笑うしか無かった。


「10秒9だって切った事ないのに……これタータンでスタブロなら5秒切るんじゃないか……」


 昼間の訓練で、身体能力が強化されているのは分かってはいた。直斗と二人剣の扱い方を教わったのだが、鉄製の剣がまるでただの定規の様に軽いのだ。


 また、個人の得意分野については更に上積みされているとの事だった。直斗はパワーとスタミナ、僚はスピードと俊敏性という様に。


「このまま元の世界に戻れば、金メダル確実だな……」


 僚は息を整え、スタートラインを振り返った。


 本当は剣の練習をするつもりでここへ来たのだ。


 実際、訓練でも剣術スキルを持つ直斗と、何のスキルも持たない僚では、僅かな時間の訓練でも、大きく差が出てしまった。


 足を引っ張る訳にはいかない……そんな思いでここへ来たのだが……。


「剣は……明日からでいいか。今日はとにかく思いっきり走ろう」


 僚は夜空を見上げた。


 きれいな月が銀に輝いている。


「こっちにも月があるんだな」


 月明りに照らされる中を走るのもいい気分だ。


 そして訓練場の片隅の木のかげで、そっと見つめる一人のギャラリーがいる事に、僚は最後まで気付かなかった。


「……美しい……」


 それは、早いでもなく、凄いでもなく、パティーユの口から自然にこぼれた言葉だった。


 兵士や騎士達が走る姿を見た事は勿論何度もある。が、たった今目にしたのはそのどれとも違う、ただ走る為だけに、全ての無駄を排除した究極の姿がそこにあった。


 まるで風さえ追い抜き、彼以外の時間が止まったかの様なスピード。


「はぁ……」


 パティーユは無意識のうちに溜息を漏らしていた。


 目が離せない。


 だが、声を掛けて邪魔をしてはならない。そんな気がした。


 結局僚が練習を終えるまで、パティーユは静かなギャラリーでいた。




「さあ、参られよ」


 訓練用の木剣を正眼に構えた僚の正面で、レスターは構えをとる事も無いままで、開始の声を掛けた。

 レスターは僚たちの剣術指南役を担当する近衛騎士で、エルレイン王国でも五本の指に入る剣士である。


 背が高くがっしりとした体形で、短く刈られた栗色の髪に顎鬚を蓄え、一見すると厳つい感じの男だが、いつもまぶしそうに細められた目は微笑んでいる様にも見え、実際極めて温厚な人物であった。


 本人曰く、〝こうして笑った様にしていないと、子供に泣かれてしまう〟のだそうだ。


 しかし今は双眼を開き、温厚さは影を潜める。


「いきます!」


 僚は掛け声と共に間合いを詰め、レスターの左肩を目掛け木剣を振り下ろす。


 レスターは木剣を持った右手をだらりと垂らした状態だ。彼の剣からは、そこが最も遠い距離である事を見越しての一手だった。


 だがレスターは、その攻撃を体捌きで左に躱すと同時に、がら空きになった僚の右脇腹目掛けて振り上げた。まるで最初から僚の動きを知っていたかの様に。


 僚は剣が当たる一瞬前、左に跳んでそれを辛うじて躱し、振り向きざま横薙ぎに振りぬく。


 レスターは一歩身を引き、事も無げに躱す。


 直ぐに切り返し右から左へ。それも躱される。


 構わず連撃。


 下から切り上げ。


 上から袈裟懸け。


 右、と見せかけフェイント。


 だがレスターは、それをことごとく躱して見せる。


 そう、一度も剣で受ける事無く、体捌きだけで僚の攻撃を躱しているのだ。


 そして攻撃の後、大きく出来た隙に対して繰り出される突き。


 唸りを上げ切っ先が迫る。


〝まずい‼〟


 僚は後ろに転がり、何とかそれを躱す。


〝追撃が来る〟


 僚は立ち上がりもせず後ろに跳び、大きく距離を取った。


「参ったな……」


 これまで何度も訓練を続けてきたが、未だにレスターから一本取る事はおろか、彼に剣で受けさせる事さえ出来なかった。


 一方、直斗は既にレスターとほぼ互角に対峙し、剣に属性をのせた技を幾つも習得していた。


 称号とスキルを持つ直斗たちとの、圧倒的な差。


 それは絶望的とも思える、乗り越える事の出来ない大きな壁。


 それでも僚はあきらめたくなかった。


……何かあるはず……。


「そうだ……」


 一瞬の思考の後、僚はレスターをキッと睨み無言のまま。


〝SET〟


 全身のパワーを両脚に掛け、一気に爆発させる。


 土煙が上がり、瞬く間に距離が詰まる。


 一直線に迫る僚の速さに、レスターは顔を歪める。右か左か、考えている暇はない。


 次の瞬間、僚の目線が僅かに右に動くのをレスターは見逃さなかった。


〝右か!〟


 僚の身体が右に揺れる。


〝来る〟


 レスターは左へ。


 だが。


「なにっ⁉」


 視界から僚が消えた。


 ガキィッ!!


 木剣同士がぶつかる激しい音。


 レスターが反応出来たのは、ほとんど偶然、いや本能と言えるだろう。幾多の実戦経験が可能にした、無意識のうちに繰り出された反射的な対応。


「……ダメか、いけると思ったんだけど……」


 僚は真っ二つに折れた木剣を見つめ肩を落とした。


「いえ、そうでもありませんぞ」


 振り向くとレスターがゆっくりと近づいて来ていた。


 もう訓練は終了、そんな表情だ。


「御覧なさい」


 レスターは口元を緩め、右手に持った自分の木剣を見せた。


「あ……」


 それは僚の物と同じく、真ん中からポッキリと折れていた。


「初めて私に剣で受けさせましたな……」


 だが僚の表情は浮かない。


「でも……一本取る事はできませんでした」


 レスターの剣を折ったとしても、自分の剣も折れたのだ、それに勝てたわけでも無い。手放しで喜ぶ気分にはなれなかった。


「もしや、日向殿と御自分を比べておられるのですかな」


 完全に見透かされていた。


「確かに日向殿は剣士として、魔法戦士としての才がおありだ。それは途方もない大きなものでしょう」

 レスターは僚の肩にぽん、と手を置いた。


「ですが、人は一人ひとり違うもの。明日見殿は明日見殿の高みを目指されればよろしいのではありませんか」


 僚は顔を上げレスターの目を見た。


「俺は俺の高みを……」


「ええ、先程の攻撃は見事でした、一瞬目の前から消えましたからな。どうやら明日見殿は打ち合うよりも距離をとり、スピードを生かした動きで翻弄する戦い方が向いておられるようだ」


 僚は、下を向いて考えこむ。


「スピードを生かす……」


 僚の中で、何かが弾けた気がした。

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