第5話 お姫様は魔女?

 その日の夜。


 僚は昼の訓練で閃いた感覚を確かなものにしようと、いつものように訓練場に一人立っていた。


 剣の訓練に使う、打ち込み用の立ち木が等間隔で並んでいる。一本一本の距離はおよそ5m。これは並んで稽古しても、お互いの剣がぶつからない為の配慮らしい。


 数は六本、合わせた距離は25m。


 僚は右端の立ち木から、更に10m程の位置につま先で線を引く。


「こんなもんかな……」


 刃引きされた剣を抜き逆手に持ちかえる。


 未だぼんやりとしたイメージが頭の中にあるだけだった。


「……とにかく、やってみるか」


 僚は立ち木に背を向けその場で二、三回ジャンプした。


 そして……。


 矢庭に振り向き立ち木へと走り出す。


 一本目を右に躱し切り返す。


 速度を落とさないよう二本目を左へ。僅かに身体が流れる。


「くっ」


 三本目、右へ。


 四本目左。大きく膨らむ。


 無理やり体勢を立て直し五本目。スピードが落ちる。


 そして六本目、すり抜けざまに剣を振りぬく。


「痛っ」


 タイミングが合わず、思わぬ衝撃が右手に走り剣を落としてしまう。


「……ま、初めはこんなもんか……」


 剣を拾い一旦鞘に納める。


 そのまま剣を下げた位置を眺め、暫く考える。


 思っていた以上に邪魔だ……。


 剣は太目のベルトに鞘を固定するようになっていて、それ程ぶれる事はない。だが、それはあくまで戦闘時においての事で、走る場合は左手で抑える必要がある。実際に全力で走ってみると、何度か鞘が踵にぶつかった。


 それだけではない。靴もこちらで支給された騎士用のブーツで、これもまた走りずらかった。


「鞘をそこらに放っておくってのもなぁ……」


 僚の脳裏に有名な剣豪の台詞が浮かぶ。


「……ま、後で何か考えよう」


 僚はもう一度剣を抜き、今度は反対の方向へ軽めに走る。


 歩数を数えようとして、重要な事に気付いた。


「ハードルじゃないんだから、ここで歩数を合わせても意味ないな」


 実戦では、敵や障害物の間隔は常に違っているだろう。ここでの練習はあくまでも切り返しのスピードだ。


「もう一回!」


 折り返して徐々にスピードを上げてゆく。


 それから何度も、立ち木の間をジグザグに走り抜ける動作を繰り返す。


 だが何かしっくりこない。


 そして、思い切り蹴り足に力を籠め左に跳んだその時だった。


「うわっ」


 着地したと同時に蹴りだした左足が大きく滑り、そのスピードのまま派手に転がってしまった。


「痛たた……」


 受け身は取ったつもりだが、二、三回は転がったのだろう。肩と背中を地面にぶつけた様だ。


 僚はゆっくりと立ち上がろうとしたが、左足首に激痛が走り身体を支えきれずに倒れこむ。


「うぐっ」


 思わず呻き声が漏れる。


 この痛みはかなり不味い。しかもブーツの中にどろっとした感触がある。


 出血しているとすれば、解放骨折の可能性が高い。


 見たくはないが確認しないわけにもいかず、ブーツに手を掛ける。


 少し動かしただけで激しい痛みが全身を貫き、その度にうずくまり息を止めて耐える。


「大丈夫ですか!」


 不意に背後から声が聞こえた。


 僚が振り向くと、息を切らし慌てた様子で駆けて来たのはなんとパティーユだった。


「え?」


 僚は予想外の人物の登場に、驚き戸惑ってしまい言葉が出てこなかった。


「動かないで、すぐ治療します」


 パティーユは僚のすぐ脇にかがみ込み目を細めて頷く。


「大丈夫、これでも私治癒術師なのですよ」


「あ、はい……」


生命いのちの輝きよ、かの者の傷を癒したまえ……ヒール」


 パティーユが囁くような声で呪文を唱えると、かざした両手から柔らかな光が生まれ、僚の全身を包んだ。


 すうっ、と痛みが消えてゆく。


「治癒魔法……」


 ある程度の説明は受けていたが実際に見るのも、もちろん自分で体感するのも初めてだった。


「立てますか?」


 パティーユは、僚の背中にそっと手をまわし優しく支えてくれた。


「ありがとう、あの、もう大丈夫です」


 少し気恥しくなって離れようとするが、パティーユは僚の左腕をしっかりと握りしめ、にっこりと微笑んだ。


「そちらのベンチで暫く休みましょう、ね」


 身体をぴったりと寄せ、パティーユは上目遣いに僚を見つめた。


 僚の左腕にふんわりと柔らかい感覚。


「あ、あの……」


「はい?」


「いえ、すいません」


 パティーユは気付いていない。


 僚は何の疑いもなく見つめてくるパティーユに対して、本当の事を口に出せなかった。


 顔が火照っているのがわかる、多分真っ赤になっているはずだが、幸い月明りの下では、それをパティーユに気付かれる事はなかった。


 二人は寄り添いながら、訓練場の端にあるベンチへと歩く。


「痛くありませんか?」


「はい……」


「もう少しゆっくり歩きましょうか?」


「いえ……」


 ベンチまでのそう長くない距離の中でも、パティーユはたびたび気遣いの言葉をかけるのだが、僚の返事はその都度、いえ、はい、など素っ気ないものばかり。


「……すいません」


 もう少し気の利いた事を言えないものかと、自分が情けなくなり結局出た言葉はそれだった。


 二人並んでベンチに腰を下ろす。


 何気なく間を開けずに座ったパティーユを見て、僚はそそくさと一人分の間隔を開けて座り直した。


「そんなに慌てなくても……」


 パティーユは右手を口元に当て、くすりと笑った。


「そ、確かに……」


 僚もつられるように笑った。女の子と触れ合う機会がなかったとはいえ、あまりにも慌て過ぎて、自分で思い返しても滑稽だ。


「……でも何で王女様が、こんな所に?」


 ふと思いついた疑問を口にしただけで、全く他意はなかったのだが、その言葉に今度はパティーユが慌てる。


「あ、え? そっそれはそのっ、……た、たまたま?」


 まさかの疑問形。


 パティーユは引きつった笑顔で小首を傾げている。


「……もしかして、ずっ……」


「よ、夜風に当たろうと散歩していたのですっ、そうしたら明日見様が倒れるのが見えまして! それでこれは大変と思い駆け寄ったのですっ」


 何故か慌てぶりが凄い。


……ですか」


ですっ」


 パティーユはこくこくと何度も頷いた。


 よく分からないがこれ以上追及しない方がよさそうだと僚は思った。


「……」


「……」


 話をしようとしても、肝心の話題が僚にもパティーユにも思いつかず、ぎこちない沈黙が続いてしまう。

「……痛みは……ありませんか?」


 先に口を開いたのはパティーユだった。


「……はい、もう大丈夫です。助かりました」


 痛みはすっかり引いているし、触った感じも異常はない。


 これが元の世界だったら、手術してその後、何か月も治療とリハビリが続いていただろう。


〝これならすぐにでも練習を再開できるな……〟


「ダメですよ、今日はもう無理をしては」


 パティーユは人差し指を立て、諭すような口調でじっと僚をみつめた。


 その顔は完全に僚の考えを見透かしているものだ。


「な、なんで分かったんですか?」


「何となく分かりますよ、ずっと見ていたのですから」


 パティーユは朗らかに笑った。


「……ずっと?」


「ええ、ずっ……と……」


 パティーユは両手で口元を隠した。が、今更だ。


「いつからですか?」


「……多分、最初の日から……」


 あの夜、パティーユは僚の走る姿にすっかり引き込まれてしまった。


 次の日も、同じ時間にやって来て、僚は訓練を始めた。


そして次の日も、また次の日も。


 訓練の内容は違っても僚のそのひたむきな姿は、草原を渡る風のように、パティーユの心を吹き抜け強く揺らした。


 毎夜訓練場へ通う夜は、パティーユにとってかけがえのない日課となった。


「ごめんなさい……覗き見みたいな真似を……」


「声を掛けてくれれば良かったのに」


 パティーユの言葉を遮るように、僚が声を被せた。


「え?」


「あ、えっと、声を掛けてくれればって思って……」


 声を掛けようと思った事は何度もあったのだが、その度に思いとどまった。


 邪魔はしたくないという僚を気遣う思いと、この時間を壊したくないというパティーユ自身の思い。


〝迷惑だと言われたら……〟


 そんな不安から、結局パティーユは勇気が持てず、今夜まで声を掛ける事ができなかった。


「面白くないでしょう? 練習なんか見てても」


 責めるわけではなく、僚は不思議そうに尋ねた。


「そんな事はありません、とてもステ……き、興味深かったですっ……でも、迷惑でしたか?」


 迷惑も何も、実際パティーユがいる事に僚は気付いていなかったのだ。


 それに見られて不味いものでもない。ここで夜訓練をしている事は誰にも話していないが、特に秘密にしたい訳でもない。


「全然、迷惑じゃないです」


「……本当に?」


 パティーユは眉根を寄せて、軽く握った手を口元に添える。


 上目遣いに僚を見つめる瞳には、期待と不安の色が入り混じっていた。


「ホントです。でも、見てて楽しいかどうかは分からないけど、今度からは声を掛けてください」


 何気なく言っただけだったが、パティーユはその一言に反応し、弾けるような笑顔を見せた。


「また見に来てもいいのですか?」


 僚は目を細め涼し気に笑った。


「はい、それに今日みたいに怪我した時とか、治療してもらえればありがたいなぁって」


 王女に対して少し、いやかなり図々しい望みだがパティーユなら、案外聞き入れてくれる気がした。


「も、勿論ですっ、任せて下さい!」


 パティーユはぴんっと背筋を伸ばし、右手を自分の胸に置いた。


「楽しみです」


 そっと呟いて笑みを零し、パティーユは右手で髪をかきあげ、そのまま耳を覆うように手を止める。

僚は、パティーユの仕草に目を見開いた。


「あの、それ……」


「あ、いえ、これはっ……癖です、ただのっ」


 パティーユは、なぜか恥ずかしそうに顔を背ける。


「癖……」


 美亜と同じ癖。


〝でもな、そんなに珍しい癖でもないよな〟


 僚は心の中で呟いた。

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