アバンタイトル

 夜。

 ある道場の中央で、道着姿の少年が一人、木の床の上で、瞑想し静かに正座している。

 周辺には誰もいない。そして真っ暗だ。

 窓から覗くささやかな月の光が少年を照らしていた。


 ――その少年の背後から、黒いモヤのようなものが迫ってきていた。

 モヤはみるみるうちに大きくなり、少年の身体を包み込もうとする。


 が。


「はあああっ!」


 その瞬間。少年は木刀を握って振り返ると、モヤにむかって思い切りそれを振り抜いた。

 断末魔なのか、不気味な声をあげながらモヤはスーッと消えていく――。


「……見事」


 男性の声と共に、周りを囲んでいたロウソクの火がパッとつき、部屋が明るくなった。


「集まってもらった同士よ。この者は自分の心に打ち勝ち、邪気を打ち払ったのだ。これほどまでの腕前……、異論はあるまい」


 爺は少年のもとまで駆け寄ると、肩をたたいて宣言した。


「本日この時を持って、我が孫・風間欽一郎かざまきんいちろうを、妖怪退治師として任命する!」


 その言葉に、観衆である他の退治師達が総立ちになって拍手を送る。


「おめでとう! いやあ、大したものだな」

「まだ十三だろ? この歳で退治師になるなんて……歴代最年少じゃないか?」

「天才としか言いようがない。さすが銀造さんの孫だな」


 贈られる称賛の言葉に、欽一郎は恥ずかしそうに俯きながら頬をかいた。


「では早速、任命の儀を執り行う。あれを持ってきなさい」


 仮面を付けた巫女が大きな木箱を運んできた。

 いよいよ欽一郎の念願であった、この時がやってくる……!

 爺がその箱を開けると中から出てきたのは、剣先に何枚もの御札が付いた一本の日本刀だった。


「爺ちゃん……、それが……!?」

「そうじゃ。これが、お前がこれから使う事になる武器……」


 妖怪退治師だけが手にすることが許される伝説の剣……!


YO!HU!けんじゃ」

「……ん?」


YO!HU!けんじゃ」

「おう……」


YO!HU!―」

「いやもういいよ!」


 欽一郎は思わず突っ込んだ。


「古来より受け継がれた剣だろ!? そんな読みでいいの!?」

「ちょっと時代に合わせてみたんじゃ」

「無理に現代のトレンドに合わせようとすんなよ……」

 

 その時……。


「「――――っ!?」」


 欽一郎達は何かの気配を感じた。

 とてつもない闇の瘴気、これは……。


「爺ちゃん! これは……」

「うむ。妖怪が現れたようじゃな」

「俺に行かせてくれ! 妖怪退治師として、俺も戦いたい!」


 欽一郎は爺に対して必死にアピールする。

 

「……そうじゃな。何事も経験が大事じゃ。欽一郎。試験が終わって早速だが、行ってくれるか?」

「ああ。勿論だぜ!」

 

 爺の言葉を受け、勢い良く欽一郎は屋敷を飛び出していった。

 

「妖怪は全部、この俺がぶっ倒す!」





 欽一郎が妖気を追いやってきたのは、街で一番大きな公園だ。


 午前0時過ぎ。人通りが少なくなり小さな街灯が照らすだけの薄暗い夜道で、巨大な一つ目の妖怪が長髪の女性を襲っていた。


「何……? 体が、動かない……!?」


 女性は何がなんだかわからない様子だった。それもそうだろう。

 傍から見れば今の彼女は、一人で勝手に苦しんでいるだけにしか見えないからだ。

 普通の人間には、妖怪の姿は目視できない。この状況で妖怪を視ることができるのは、強い霊感体質を持つもの、そして妖怪退治師だけである。


「この野郎っ!」


 欽一郎は一つ目妖怪に対して体当たりする。そのタックルで体がよろめき、女性は妖怪の手から逃れる事ができた。


「お嬢さん、ここは危険だ。すぐに離れたまえ」

「え、ええ。ありがとう……?」


 女性は突然現れた欽一郎の姿に戸惑いつつも、すぐさま立ち去った。


「妖怪【一つ目入道】だな。女性を狙う邪悪なる化身め、この手で成敗してくれる!」


 剣の刃を妖怪に向け、欽一郎はキリッとした表情になって啖呵を切る。



 ――が、すぐににやけた表情になって、しゃがみ込んで悶えた。


「……くぅ~っ! 一度言ってみたかったんだよなぁこの台詞!」


 あの口上は妖怪退治師が戦闘の前に言う決め台詞のようなもの。欽一郎は昔からこの台詞が言いたくて言いたくて仕方がなかった。


 一つ目入道は欽一郎に向かって、じりじりと歩み寄ってくる。

 かねてよりの愛読書であった《妖怪大百科事典》の情報を参考に、作戦を考える。


「『一つ目入道。単眼で視野が狭く、知能も低い』、だったな。……となれば!」


 欽一郎は猛スピードで、一つ目入道の顔前まで一直線に駆け出した。当然一つ目入道もそれを確認する。


 が、次の瞬間、一つ目入道の視界から欽一郎はこつ然と消えてしまった。

 何事かとパニックに陥る一つ目入道。とその時、後ろから衝撃が!


「!?」

「よっし! 決まったぜ、俺の作戦!」


 欽一郎の攻撃だ。


 一つ目入道の視野はあまりにも狭く、目の前のものしか見えない。欽一郎はそれを利用し、光速で相手の後ろに回り込み、見えないところから妖封剣で斬りつけたのだった。

 さらに刀身に貼られた御札の効果もあるのか、今の攻撃は効果抜群だったようだ。


「凄い力だ! これならイケるぞ……!」


 ファーストアタックが決まり、上機嫌な欽一郎。

 しかし、そこから一つ目入道は意地の足掻きをみせた。


 目からビームを繰り出したのだ。


「危ねっ!」


 欽一郎はとっさに剣を盾にしてそのビームを防ぐ。


「へっ! そんなヘボ攻撃効くかって……のっ!?」


 ビームを浴びた剣はみるみるうちに固くなっていき、最終的には石になってしまった。


「うわ、うっそー!? マジで!?」


 欽一郎は驚愕した。この妖怪の事は本で熟知していたはずだったが、石化光線を出せるなんて情報、どこにも載ってなかったからだ。

 それ以上にショックなのは、せっかく爺からもらった大切な剣がこんな姿になってしまった事だった。


「よくも……、絶対ぜってー許さねえ!」


 欽一郎は石になった剣を一つ目入道にぶつけるが、全く効いていない。

 御札ごと石化したことにより、妖怪を祓う力がなくなってしまったのだ。


 すると今度は一つ目入道が欽一郎のボディーにパンチを食らわせる。


「ぐはっ!?」


 防御もままならない欽一郎の身体は、そのまま後ろにあった木まで吹っ飛ばされ、その衝撃で木が折れてしまう。

 ダメージを最大限軽減させる特殊な道着を着ているとはいえ、今の攻撃はまだ十三歳の彼には相当キツイものだった。


「ぐ……、このままじゃ……」


 欽一郎が命の危険を感じた、その時だった。



 リーン



 どこかから鈴の音が聞こえ始めた。

 その音はどんどんこちらに近づいてきて……。

 やがて巨大な影が欽一郎達の前に現れた。


「ネ、コ……?」


 二つの尾を持った巨大なネコの影は、x一つ目入道に向かって吠え立てた。その迫力に圧されたのか、一つ目入道はそそくさと帰っていく。

 それを見届けると、影もその場から姿を消した――。


「……、助かった、のかな……?」


 一人残された欽一郎は突然の出来事に驚きながらも、まずは自分が無事に生き延びた事に安堵しつつ、さっきの影の行動について思案する。


(あれも妖怪だったのか? でも、何故俺を助けて……?)


「――お巡りさんあそこです! あそこに変な人が!」

「え?」


 突然の声に驚いて振り向くと、さっき逃がした女性が、男性警察官を連れてここに戻ってきていた。


「君、中学生? こんな時間に何やってるの?」

「え、いや、あの……」

「それにそんな刀振り回して……。玩具かもしれないけど、人に当たったらどうするの?」


(ヤベえ……。【霧玉きりだま】投げるの忘れてた……)


 通常、妖怪退治師は周囲を危険に巻き込まない為に、《霧玉》と呼ばれる玉を地面に叩きつけて霧を発生させる。その霧の中はある種別次元のようなものになっており、どれだけ暴れても現実世界には被害が及ばない。


 だが、初めての戦いで半ば興奮状態だった欽一郎はその処置をすっかり忘れてしまっていて、既に周りの被害は甚大なものになっていた。

 今更その事に気づいても、後の祭りである。


「まあとにかく、詳しいことは署で聞くから……。って、あれ!?」


気づくと、欽一郎の姿はどこにも見当たらなくなっていた。

また後ろに回り込んだのではない。彼が目を離した一瞬の隙を付いて、爺が欽一郎の身体を引っ張って飛び上がり、その場から逃げおおせていたのである。


孫をお姫様抱っこしながら屋根から屋根へと飛び移る高齢の爺に対し、欽一郎は何を言えばいいかわからない。感謝か、謝罪か、それとも……。


「じ、爺ちゃん……」

「……これはまた、一から基礎を教え直さねばならんな」

「ううっ……」





「あの一つ目野郎……! 次会ったら絶対やっつけてやる~……!


 屋敷に戻った欽一郎は爺からこってり絞られ、そのまま数時間もの訓練を課せられる事になった。

 しかし、欽一郎は嫌な顔一つもせず一心不乱に剣を振る。

 ある野望を果たす為に、強くならなければいけないからだ。


「俺の大事なものを奪ったあいつらに……復讐してやるんだ!!」


最早ネコの影の事など完全に頭から抜け落ちたまま、剣を振るい続ける。

妖怪退治師としての欽一郎の初陣は、苦々しい結果に終わった。

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