第三章:絵合わせ
第1話:会合当日①
†
記
香風の月吉日、王宮にて《芸術サロン》発足のための技術者ミーティングを行う。
場所:離宮、《緑青》の間
時刻:南中刻
持参:筆記具、帳面、徽章(もしくはネームカード)
禁止事項:写真機の持ち込み
武器、および凶器となるものの所持
事前予約の必要はありません。
以上
王宮文官長 アフェール=トラシオン
†
その日は朝から天気は不安定であった。にわか雨が降ったり、突然晴れだしたり、はたまた突風が吹いたり……。まるでこれから起こることを暗示しているように思われる。
―― いえ、変なことを考えてはなりません。わちきは、わちきのやり方で仕事をするのみです。
チェフィーロは部屋のカーテンを閉めてクローゼットを開いた。今日は王宮に赴くので、並みの服ではいけない。上質なシルクのシャツとスカーフ、サテンの光沢が美しい上下のスーツ、革の鞄には持参するものとしてあげられていた帳面、万年筆とそのコンバーター、予備にカードリッジを二つ、さらに指輪型のペン先をつめて準備完了。それから、部屋の隅に置かれている白い包みを持って広間に降りていくと、朝食の支度をしていた執事長がスカーフの形を整えてくれた。
「あら?どうしたのチェフィ、どこか出かけるの?」
明らかによそいきの上品な格好をした彼を見て、姉のエルネスタは不思議そうな顔をした。そう言う彼女は今日春色のワンピースを着ている。どうやら憲兵の仕事はお休みのようだ。
「本日は王宮に参ります」
「王宮って……。あ、もしかして例の芸術サロンの技術者ミーティング?やっぱり興味あったんだ」
「ええ、まあ」
「そっかぁ、チェフィの絵ならきっと殿下もお喜びになると思うわ。頑張ってね!」
エルネスタは明るく笑いながら口にする。しかし、彼女は昨晩の密会の内容を知る由もなく、彼がそのミーティングに参加する本当の意味も知るはずがなかった。何も知らない彼女は呑気なものだ。が、姉がこうしてのんびりと幸せそうに笑っていられる時は世の中が平和な証拠なのでとても安心できるということは内緒だ。
チェフィーロが席につくと、朝食が運ばれてくる。スクランブルエッグを焼きたてのバケットにのせて食べている彼の目の前で、エルネスタは嬉しそうに微笑みながらこちらを見ている、
「……なんですか」
「いやいや、とうとうチェフィも安定した職を持とうと思ったのね。お姉さんは嬉しいです」
「まだミーティングに出るだけで確定しているわけではないですよ。気が早いですね、ねね様は」
「だって、チェフィなら絶対大丈夫だってわかってるから」
「ずいぶんとわちきを買いかぶっておいでですねぇ」
やれやれと息をついてはしやすめにスープをすする。春も盛りとはいえ、まだまだ朝は冷える。肌寒さを感じていた彼の身は、じっくりと煮込んだ野菜の旨味の凝縮されたスープでたちまちあたたまった。
「エルネスタ様、チェフィーロ様、本日は天気が急変するとの予報でございます。お出かけの際は傘をお持ちになってくださいませ」
「ありがとう、じいや」
「そういえば、ねね様も本日はお出かけなさるのですか?」
男まさりな彼女は日常でもワンピースを着ること自体が珍しい。すると、エルネスタは少し顔を赤らめながら、似合うかな、とぼそぼそと口にする。
「今日は母様とお買いもの行くのだけど、夜に久しぶりにヴェーチェル兄様がお帰りになられるみたいだから。だから……」
ああ、とチェフィーロはすぐに理解した。ヴェーチェルはアディスが迎えた養子、彼らにとっては血のつながりのない兄である。そんな彼に対し、エルネスタが幼少の頃からずっと片想いをし続けていることをチェフィーロは当然知っていた。
「よくお似合いです」
「そ、そうかな。あまり着慣れてないから、違和感がすごくて……」
ますます真っ赤になるエルネスタ。初々しい反応だな、と思う。
「しかし、本日はあいにくのお天気ですから、折角のお召し物が汚れぬよう、どうぞお気をつけなさいまし」
「う、うん。ありがと。じゃあ、行ってくるね。チェフィも気をつけていくのよ」
エルネスタはそう言って赤面した表情を隠して広間を出ていく。チェフィーロはパタパタと手を振ってそれを見送ると、彼女の姿が見えなくなってからそっと息をついた。
「本日も気持ちが落ち着きませぬか、チェフィーロ様」
執事長が心配そうにこちらを見てくる。戴冠式を間近に控えて浮足立つ民の喧騒にチェフィーロが疲れていることに彼はとうに気がついているのだ。チェフィーロはそれに対して、いえ、と短く返事をしてから外を見やる。
「胸騒ぎがするのでございますよ」
「胸騒ぎ、でございますか?」
「ええ、これはひと雨どころか雷雨が来そうです」
「それは天気の話ですか? それとも……」
執事長がなおも心配そうに問いかけてくる。対するチェフィーロはそれに対しての返事はなく、ごちそうさま、と口にして食事を済ませると、白い包みと鞄を持って玄関へと向かった。その時執事長が見た横顔は、いつものチェフィーロとは異なる覚悟を決めたような表情だった。執事長はそれを見て何か思い出したように言葉を失った。
「それでは、行って参ります」
「え、ええ、お気をつけて」
靴音高らかに堂々たる足取りで出かけていくチェフィーロ。すると、その背中を見送る執事長の隣に並ぶように一人の影が立った。
「……チェフィーロ様は、大丈夫なのでしょうか」
「ん? どうした、そんな顔して」
その人影はチェフィーロの父アディスだった。少し思う所があった彼は、王宮に出仕するのを少し遅らせたのである。
なおも心配そうにチェフィーロの消えた庭先を見ている執事長を見てアディスは、まあ、大丈夫だろうさ、と言いながら煙草に火をつけた。
「あいつだっていつまでもガキじゃねえし、そうそう騒ぎを起こすこともないだろう」
ましてや、今回あいつは士官候補生じゃない。《あの時》みたいにはならないさ。
余裕の表情でそう言ってのけるアディス。彼の父として、彼のことをよく知ってる彼のその言葉に執事長も幾分か安心したようだった。
「そうですね。そう信じたいと思います」
その言葉にアディスはニッと満面の笑みを顔にのせて一言、頼んだ、と告げる。黙って頭を下げる執事長。
「とはいえ、俺も心配事がないわけではないからな。……出かける、留守は頼んだぞ」
「かしこまりました」
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