第7話:前夜4

 するとそこにちょうどメイドが戻ってきた。そして、本を閉じて棚に戻している彼に、おかえりになられました、と短く伝えてくる。左様ですか、と返した後、

 「本日はて……父様はいつ頃お帰りになるか聞いておりますか?」

 そう訊ねるとメイドは、夜には戻ると伺っております、と応えてから首を傾げる。何か用件などおありですか、という意思表示だ。チェフィーロは彼女に少し待つように伝えて便箋を取り出すと、万年筆を紙面に滑らせて何事か書き付けたそれを渡す。

 「では、父様がお帰りになりましたらお渡しいただけますか?」

 「はい、承知しました、お預かりいたします」

 なぜ、チェフィーロから直接渡さないのか。そんな疑問を彼女は一言も口にすることなく、二つ返事で書き付けを受け取って大切にエプロンのポケットにしまう。何も詮索することなく応じてくれる彼女にチェフィーロは感謝する。

 「頼みました。……あ、それからラズィカティーをもう一杯、お願いいたします」

 「かしこまりました、すぐにお持ちいたします」

 彼女が部屋を出るのを見送り時計に目をやると、時刻はまだ昼過ぎだった。父は忙しいから夜に帰ると言っても恐らく夜半近くになるだろう。父が帰るまでの時間の使い方を思案しながら、彼は引き出しにしまった仮面の包みに目を落とす。せっかくだし紋様のデザインでも考えようかと彼はペンを握った。



 その夜、夕飯を済ませ寝る前の読書に興じているチェフィーロの部屋の扉がノックされた。時刻を確認すると、やはり真夜中に近い、母も姉もとうに夢の中だろう。

 「入るぞ」

 「ええ、どうぞ」

 彼の返事と共に扉を開けて室内に姿を現したのは、チェフィーロとさして歳も変わらないように見える青年風の男。仕事から帰ってきてその足で直接来たのか、騎士服のままだ。その襟には公爵位を示す徽章、袖には王宮騎士団の紋が刺繍されている。

 「お前なぁ、同じ家に住んでるのにわざわざメイドに渡した書き付けで呼び出すなよ、まったく……」

 「お忙しい所失礼いたしました、てて様。どうしてもお耳に入れておきたいことがございまして」

 そう。チェフィーロの部屋に姿を現したこの人物こそ、彼の父にして王宮騎士団長であるアディス=ラスヴェート公である。疑似魔法を使って二十歳ほどの外見をしている彼だが、実年齢は息子であるチェフィーロも正確にはわからない。先帝エレアンス陛下と幼馴染みであると聞いたことがあるので少なくとも五十近いはずだが、今でも有事の際は王宮警護の最前線に赴くほどである。

 そんなアディスには裏の顔がある。

 「で?こうして人目を避けて呼び出すってことは、用件はこっちの仕事のことではなさそうだな……」

 「ええ、今日は【ギルド評議員のアディスさま】に御用があります」

 魔導師ギルド《白烏》、公には認められていない魔導師たちが集まって作られた組織であり、チェフィーロはギルドメンバーの一人、アディスは最高幹部の一人として数えられていた。

 「だから、〟二人〝も呼んだのか」

 そう言うアディスの視線の先で部屋の窓が静かに開く。そこから身軽な動作でひょいと室内に入ってきたのは、町の雑貨屋の店主で発明家のアッスワール、それからもう一人。

 「ああもう、君たちは人を本当に遠慮なくこき使うよね」

 「病み上がりなのにすみません、ヴェーツ」

 灰白の猫毛を持つ細身の青年。ラスヴェート家の養子として迎えられ、今はアディスの右腕として索敵や諜報活動を行う隠密ヴェーチェル=スペクトラム。《コバルティア》という地下都市の出身で生まれつき太陽の光に弱い彼は、こうして夜でないと気軽に出歩けないのである。

 アッスワールとヴェーチェル、この二人もまた《白烏》のメンバーであった。

 「ワールもすみません、こんな夜更けに呼びだして」

 「気にしないでよ。君から呼びだすなんて珍しいもの。よほど火急の用件なんでしょ?」

 昼間の本、あれはアッスワールと連絡を取ることができる便利な魔法具であった。彼はそれでこの二人を呼びだしたのである。

 「それより、この四人の密会がばれるのは望ましくないね……」

 「ヴェーツの言う通りだ。まずは話を聞こうか」

 三人の視線が一気にチェフィーロに集まる。視線の中心にいる当人は、昨日アッスワールからもらった《宮廷御用絵師》募集の紙を差し出し三人に示した。

 「この仕事を受けようと思うのです」

 「……それだけで俺たち三人をこうやって内密に呼ぶわけないだろう?なんだ、厄介事か?」

 「ええ、テロの兆しがあると……。てて様ならもうご存知なのではありませんか?」

 すると、アディスはヴェーチェルに視線を送り、一つ頷いてからもう一度チェフィーロの方を見た。

 「不穏な動きがあることはヴェーチェルからの報告で既に把握している。現在調査中だ」

 「わかっている所だと、暗殺ギルド《黒豹》の一派と革新派の残党が手を組んで、戴冠式やその後の体制崩壊を目論んでいるってことまでかな」

 二人が口々に言うことを受けて、チェフィーロはテベリスから聞いたことの全容を話し、テロの絶好の機会を作り上げてしまいかねない《宮廷御用絵師》の職に自分が入り、事を未然に防ぐことを提案した。

 「確かにチェフィなら腕も確かだし信用できる。こちらとしても《宮廷御用絵師》を始めとした所謂 《芸術サロン》の方は全くマークできてなかったからな」

 「はい。ですが、事と次第によっては《黒豹》との全面戦争に発展する可能性もありましたため、こうして《白烏》の核たる皆様にお集まり願ったのです」

 「それは英断だったね、チェフィ。 ――それじゃあ団長、僕は引き続きテロを計画しそうな一派について調査を続けます」

 チェフィーロの言葉を受けてヴェーチェルはすぐさま行動に出る。アディスが頼んだ、と短く告げると、彼は一足先に夜の闇の中に静かに消えていった。

 「さてチェフィ。お前のその提案は他のギルドメンバーや幹部にも知らせる。……だが、お前のことを表立ったサポートしてしまえば、テロを企てている奴らが怪しんで何をしでかすかわからない。すまないが……」

 「わかっておりますよ、てて様。全てはこのチェフィーロと発明家アッスワールにお任せを」

 「俺!? ……まあ、そのつもりだったけどさ」

 「二人だけに背負わせてしまって悪いな……」

 そんな二人を見てアディスは申し訳なさそうに頭を下げた。チェフィーロはご心配なさいますな、と口にしてから更に続けた。

 「良い機会です。わちきの芸術が王族の心にどれほど響くのか、試したかったところですから……」

 その声色は弾んでいて、さも楽しそうに、活き活きとしていた。

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