第6話:前夜3
それじゃあ、と立ち上がるテベリス。チェフィーロは仮面を布に包んで書斎の引き出しにしまってから再び目を目録に戻した。すると、ちょうど茶器を準備して現れたメイドがテベリスに、もうお帰りですか、と訊ねる。せっかくだからもらうよ、ともう一度ソファに腰を下ろした彼にチェフィーロは独り言を言うように訊ねた。
「こたびはどちらの味方をなさるおつもりですか」
用意された紅茶は彼の好む《リジェント》、渋みの強いそれと干菓子の組み合わせはテベリスが一番好む味だ。彼はそれを口にしながら静かに笑って見せる。一含みも二含みもありそうな笑みだ。
「僕はいつだって恩義のある方の味方だよ」
意味深長な物言いだ。だが、彼の性格を考えると、なるほど、とも思う。国に仕える軍人であり、暗殺ギルドの幹部の一人でもあるのだから「さもありなん」といったところか。
「その恩義とやらを果たしてどちらに強く感じておられるのか。わちきはそこを聞きたいのですよ」
「賢い君にならわかるはずだろ? ただ「壁に耳あり」とも言うじゃないか」
「このお屋敷にかようなことがあるとお思いですか?わちきの実力を認めてくださったとおっしゃるわりにはおかしなお話ですね」
「意地悪なことを言うなよ、チェフィ。いくらこのお屋敷が名門ラスヴェート家であっても、……いやラスヴェート家だからこそ、滅多なこと言えないんだよ。わかっておくれ」
「相も変わらず白々しい御方ですね。さすがフラウダートル様」
嫌味っぽく言ってやると、テベリスはますます楽しそうに笑みを深くして見せた。
それからしばらく沈黙が続いた。紅茶をすすりながらこちらの意図を探るように視線を向けてくるテベリスの口許は笑みの形を一向に崩さないが、その鋭い黄土色の双眸が全てを見透かそうとしているようにも見えた。チェフィーロはその視線から逃れるように目録の頁をゆっくりとめくる。おそらく向こうは自分の意図にも既に気がついているだろうが、なおも平静な態度を崩さないでいると、やがて向こうがティーカップをソーサーの上に置いて立ち上がった。
「ごちそうさま。良い報告を期待しているよ《御用絵師》殿」
「……どうも、お粗末さまです」
そう口にしてからベルを鳴らしてメイドを呼び、テベリスを玄関まで送るように命じる。彼らの足音が部屋から遠ざかっていくのを確認してから顔をあげると、まるで待っていたかのように窓から風が入ってくる。
「……これは、貴方様の御口から直接聞きとうございましたなぁ」
先ほどまでテベリスが口にしていたティーカップ、そのソーサーの下に置かれていた小さな書付けを見つけてチェフィーロは苦笑いをした。
それにしても厄介なことになった。《宮廷御用絵師》への興味はかなり強く、技術者ミーティングの参加も予定していたが、別にこの職に就くことを切望していたわけではない。面白そうだ、ちょっとこの目で見てみたい、程度のものだったので、なれなくてもそれはそれでよいと考えていたのだ。しかし、テベリスからもたらされた依頼はまず《宮廷御用絵師》にならなければ意味がない。これは少し本気を出さねばならない。チェフィーロはラズィカティーを飲み干すと、本棚から一冊の本を取り出して頁をめくり出した。一見何の変哲もない植物学の本の一頁を手で優しく撫でながら、彼はまた独り言のように口にする。
「御相談したいことがございます。お時間取れますか?」
まるで誰かに問いかけるような調子。しかし、当然本から返事が返ってくるはずはない……と思いきや、突然紙面に描かれた植物がすぅと消え、ペンもないのに文字が勝手につづられていくではないか。
『今晩、君ノ部屋ヘオ邪魔イタシマス』
と、流麗な文字で……。
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