第5話:前夜2

 冷めたラズィカティーに伸ばした手が止まる。テベリスはクスッと笑うと、ソファの背もたれに身を預けて足を組んだ。

 「相変わらずお耳が早いこと……」

 「僕の《目》と《耳》はそこいら中にあるもの、すぐに聞こえてきたさ。そうでなくとも、このお触れが出た時にはもうあらかた予測はついていたしね」

 「ああ、怖い怖い。うかつなことは言えませんね。――それで?本日はどういったご用件ですか」

 「君は話が早くて助かるよ」

 テベリスはそう言うと、鞄から白い包みをそっと取り出して机の上で広げる。姿を現したのは何も描かれていない無垢な仮面だ。

 「この子に顔を描いてほしい。お代はいつものように言い値で構わないよ」

 「……おやまあ。これは随分とよい《素材》ですこと」

 顔の上部のみを覆うデザインの仮面。無類の仮面収集家である彼は、時折チェフィーロの元に仮面を持ち込んでは紋様描きを頼むのである。しかし、実はこの仮面、市場に出回っているような量産品ではない。チェフィーロはその仮面を自らの顔に当てて目の部分の空いた穴からテベリスを見据えて首を傾げた。

 「はてさて、こちらは一体どなたの《オモテ》でございましょ」

 「半年前ぐらいから、《秘密教団》とかいう怪しいカルト集団が騒いでいたのは知っているだろう? ほらクラレンス殿下を邪神の化身だとか言って悪魔崇拝さながらに夜な夜な活動していた奴ら」

 「ああ、そんなこともありましたね。いつの間にかその名も聞かなくなりましたが……」

 「うん、だって僕が壊滅させたからね」

 テベリスの言う《秘密教団》というカルト集団はギナムス大臣が失脚し、正統後継者のクラレンスが皇位を継承することに決まった頃から活動し始めた組織である。皇位継承を巡って始まった内乱は当初ギナムス率いる革新派が優勢であった。内乱を避けて国外亡命をしていたクラレンスが派閥を先導していなかったこともあり、正統派の面々は革新派に圧倒されていたのである。だが、クラレンスが帰国したことにより形勢は一気に正統派を優勢にした。彼の導きが正統派の人々を団結させ、支持者を徐々に増やしていったことで内乱は無事に鎮圧したと言われている。

 帰国したクラレンスは元々金髪碧眼だったはずなのに、いつの間にか黒髪灰眼になっていた。亡命前の優柔不断な彼の性質もなりを潜め、彼を指導者たらしめる威厳と不思議な魅力が人民の気持ちを動かしたわけだが、これを一部の人間たちが「悪魔に心を売った」と騒ぎ立てたのだ。そんなクラレンスを狂信的に信仰しだしたカルト集団が先に語った《秘密教団》である。

 それを事も無げに「壊滅させた」と彼は言った。そこからわかることはただ一つ。

 「デスマスク、ですか。相変わらず趣味が悪い」

 「ふふ、そう言うなよ。なかなかいい《オモテ》だろう? ……ああ、これだから《狩り》はやめられないんだよ」

 チェフィーロは目の前で恍惚の笑みを浮かべるテベリスを仮面越しに睨みつけた。

 「まだ《黒豹》に属してそんなことをしておられるのですか。設立当初は義賊として世間も一目置いていたと言うのに今や狂人、快楽殺人者の集まったあくどい組織……。国が掃討に乗り出そうとするも時間の問題ですよ」

 「そんなこと、とっくに知ってるさ。でも、今回の《秘密教団》だって「神への供物」とか言ってたくさんの人間をかどわかしたり、殺したりしてたろ? 国が表立って動けないみたいだから僕が始末してやったんだよ、むしろ感謝してほしいくらいだね」

 「皆が皆、貴方様のように大義を掲げて活動しているわけではないでしょう?」

 そう指摘すると、テベリスの表情が笑顔から少し困ったような表情に変化する。さすがチェフィだね、と口にしながら椅子に座り直すのを見て、チェフィーロも居住まいを正した。ここからが本題なのだろう。

 「君の言う通り、最近の《黒豹》はちょっとおいたが過ぎてね……。国が裏で組織を壊滅させようと動き出したみたいなんだよ」

 《黒豹》は法で裁けない悪を成敗する組織として裏社会に君臨している。テベリスは国に仕える軍人でありながら、組織の設立当初から《黒豹》に所属している幹部であった。しかし、かつては義賊として人民からもてはやされていた組織も平和な時代になればただの殺人集団である。おまけに最近は設立当初の趣旨を大きく外れた過激な連中も多く、とうとう国も見て見ぬふりができなくなったらしい。

 「僕は平和な時代になって《黒豹》のような組織がなくなるなら、それはそれでいいと思ったんだけどね。組織を壊滅させてなるものか、って血気盛んな連中が言うことを聞いてくれなくてさ。あろうことか国に対するテロリズムを企ててる馬鹿がいるんだよ。組織での立場上では何も言えないけど、一軍人として殿下に仇なす危険分子は捨て置けないからね」

 だから君に一つお願いがあって今回はきたんだよ。

 話を片耳に仮面の紋様描きに使う画材を探して棚を見ていたチェフィーロは、真剣な表情の彼に対して、なんなりと、と短く応えた。

 「掃討に抗ってテロリズムを企てる連中にとって《宮廷御用絵師》の募集は絶好の機会だ。奴らを宮中で好きにさせるのはまずい。だから君が《宮廷御用絵師》になって、軍でも王宮騎士団でもない立場から殿下を守ってほしい」

 「わかりました、その依頼お引き受けいたしやしょ。その代わり、この仮面の紋様描きとその依頼の二つで、報酬は倍額です」

 「言ったろ、言い値で構わないって。君の実力を金で買えるなんて安いものさ。頼んだよ、こんなこと誰にもお願いできなくて困っていたんだ。」

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