第4話:前夜1


 翌日、チェフィーロは自室にこもり本を開いていた。傍らにはすっかり冷めてしまったラズィカティーと一口サイズにカットされたガトーショコラが置かれていた。執事長が昨日買って帰ったホールのガトーショコラを切って紅茶と共に差し入れてくれたのだが、それを放置したまま彼は一心不乱に紙面に目を向けていた。本の背表紙には『宮廷所蔵美術品目録1』と書かれている。普段の彼は絶対に開からないような本だ。

 どうしてその本を開いているのかというと……、

 「はぁ、なかなかに奇抜な作品もありますなぁ。全く、王族の好みはわちきにはさっぱりわかりませぬ」

 そう、《宮廷御用絵師》を本気で目指すのならば、昨日出会ったティルのように依頼主の希望に応えられねばならない。大体の絵は描けるチェフィーロだが、果たして王族が求めているのはどのような画風の絵画であるのか、事前にある程度知っておくべきだと考えたからである。しかし、歴代皇帝たちのコレクションは何万点もあり、そこから共通する点はなかなか見出すことができない。

 「あーあ。先々代様は随分とエロティックなものがお好きだったのですねぇ……。う、この媚びるような表情の描き方は…っ! やっぱり、サーディル・ポルですか!!うああ、キモチ悪い! 超キモチ悪い! 悪趣味! 下劣! こんなものが宮殿の廊下にあろうものなら……あああ、鳥肌が立ちます」

 勢いよく目録を閉じて震える身を抱きしめながら叫ぶ。エロティックな絵画は嫌いではないし彼も描くことはあるのだが、彼の理想は「秘められた美」。恥じらいの表情や全てを露わにしない隠された美が至高。サーディル・ポルとは何百年前の高名な画家であるが、このようにあからさまなエロティックさは彼の理想とはかけ離れている。はっきり言って嫌いな部類だ。このような絵画は例え皇帝に依頼されたとしても絶対描きたくない。

 「クラレンス殿下にこのような絵画趣味がないことを願うばかりですね……」

 鳥肌も収まってきたところで紅茶を一口すすり、フォークに手を伸ばした時だ。部屋のドアを静かにノックする音が聞こえてきた。なんですか、と声をかけると、屋敷に仕えるメイドがドアを開けて室内に一歩だけ足を踏み入れた。

 「失礼いたします、チェフィーロ様。只今、フラウダートル少佐がお見えになっております。お通ししてもよろしいですか?」

 「おや、左様でございますか。……ではこちらへご案内後、お茶の仕度をお願いたします。銘柄はリジェント、それに合う干菓子の御用意を」

 「承知いたしました」

 メイドが一礼して出ていく。その背を見送ってからチェフィーロは思案気に目を細めて、手にとったフォークでガトーショコラを一つ口に運ぶ。しっとりとした舌触りでほろ苦さが先立つ落ち着いた味、大好きな味だというのに彼は渋面をこしらえてフォークを置く。それもこれもこれから来る客が原因なのだが。

 すると、廊下の向こうからコツコツと高らかな靴の音が聞こえてくる。ややあってメイドの案内で姿を現したのは黒髪を短く切りそろえた知的な印象の青年。

 「やぁ、チェフィ。先触れも出さずに急に押しかけてすまないね」

 「構いませんよ、テーヴ殿。どうぞおかけになってくださいませ」

 自分は執務用の机に座し、青年――テベリス=フラウダートルは進められたソファに深く腰をかけた。

 「お仕事はどうされたのです?」

 「仕事なんかどうでもいいんだよ。軍は防衛の時ぐらいしか出る幕はないんだから。それよりも聞いたよ、《宮廷御用絵師》に興味があるんだって?」

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