第43話 化物

「……はっ?」


 黄金にとって本日一番の驚きだった。


「……デザイナー? ……副社長?」

「はい、そうです。と言っても今は社長不在、社員数0の会社のですけどね」


 小月は頓着する風もなく、むしろ進んで話をした。


「証拠になるかはわかりませんが」


 そう言って、彼女はファンデーションをしまいながら、手元のバッグを漁り始めた。

 そこから取り出されたのは一冊のクロッキー帳だった。


「ここに載っているのが、うちがこれまでにデザインしたコたちです」


 小月が顔に誇りの色を浮かべながら、嬉々としてクロッキー帳を繰っていく。

 そこには、ファンデーションもランジェリーも含めて種々のデザインが描かれていた。

 素人である黄金の目から見ても、幅広い年齢層に受けそうなものがたくさんあると感じる。

 そして、そこには間違いなく専門職が持っている芸術性が内包されていた。


「信用していただけましたか?」


 黄金は無言の肯定をした。

 しばらくの間、感心しながら見ていると、突然クロッキー帳が彼女の視界から消えた。

 かと思うと、すぐに何かが落ちたような音が耳をたたく。

 音の方に彼女が視線を寄こすと、地に落ちたクロッキー帳が高速でペラペラと繰られ、まさしく閉じられる瞬間だった。


 目の端に妙なモノが映った。

 少しいやな感じが、黄金の心臓のあたりにしこる。

 ランジェリーやファンデーションのデザインとは別の絵が、最後のページに描かれていた。

 繊細な筆致で描かれたそれは女性画であった。

 モチーフになっているのは、穏やかな笑みを浮かべたとても綺麗な女性だった。


 ――天井からロープがぶらさがり、その先が首にかかった縊死いしした人間だと思えないほどに。


 黄金自身が実際に見たわけではないのに、その光景が自然と目に浮かぶほど生々しく、なぜか惹きつけられる絵であった。

 臀部でんぶのあたりが妙にそわそわとし、この場から逃げ出したくなるような感覚にもさせられる。

 身体中の毛穴がふつふつと泡立つ感覚を抱きながら、黄金は落ちたクロッキー帳を拾い、小月に手渡そうとした。

 だが、小月は手を伸ばして受け取ろうとせず、膝のうえに握りこぶしを置いたまま塑像そぞうのように動かない。


「小月さん」


 黄金が呼びかけるも彼女は反応すら示さない。

 不思議に思っていると、彼女の肩に誰かの手がのせられているのに気付いた。

 視線を上にあげると、彼女の背後には先刻席を間違えた外国人が立っていた。

 彼は小月に向け、英語による再びの謝罪をしながら、白いレジ袋を差し出している。

 小月はというと、小さな身体をますます小さくし、依然として固まっていた。

 男は英語でまた小月に話しかけるも、まったく反応がない。

 困惑した表情を浮かべながら、彼は小月の肩をトントンとたたきはじめる。

 小月はこれまでと異なる彼の行動にびくっと身体を震わせた。

 かと思うと、次の瞬間、まるでどこかに頭部が飛んでいきそうなほどひどくはやいスピードで、頭を上げ下げし始めた。

 その度に耳の脇に垂らした髪がぴょんぴょんはねる。

 彼女の行動に苦笑をにじませた彼は黄金と目が合うと、小月の肩にのせていた手を離した。

 今度は黄金に向け、白いレジ袋を差し出してくる。


『無事、空席に座ることができました。先程は私の勘違いでご迷惑をおかけして、すみませんでした。みなさんでよろしければ召しがってください』


 男は丁寧な英語でそう告げると、レジ袋を黄金の席の机上に置いた。

 そうして、白い歯をみせると彼は去っていった。

 去っていった後も小月は、ひとりでヘッドバンキングのような動作を続けている。


「小月さん」


 やはり反応はない。


「小月さん!」


 黄金は彼女の両肩に手を掛け、周りに迷惑にならない程度の声量で再び名前を読んだ。

 やっとのことで、小月の頭の上下運動が止まる。


「先程の方はもうどこかに去られましたよ」

「そう……ですか」

「あっ、クロッキー帳どうぞ」

「ありがとうございます」


 返答しながらも、小月のクロッキー帳を受け取る指は、小刻みに震えていた。

 息も多少荒くなっている。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫……です」


 返答と表情があっていない。

 小月の顔が恐怖や嫌悪等が入り雑じったまま凝固し、それを無理に溶かそうとする努力が黄金の目に痛ましく映った。


「本当に大丈夫ですか?」


 二度目の問いに対する返答はなかった。

 逡巡しゅんじゅんが小月の睫毛を震わせる。

 数秒の沈黙の後、ほとんどつぶやくような声で彼女が言った。


「うち、異性恐怖症なんです」


 小月は眉目のあたりに差し迫った陰りを浮かべた。


「うちの身体を見て何か違和感をおぼえませんでしたか?」


 小月が唐突に問いを投げかけた。

 言われても、黄金には贅肉ぜいにくのない引き締まった体型という感想以外抱くものはなかった。

 もっともそんな女性は世の中に多くいるため、違和感でもなんでもない。

 一方で、小月の裸を見た時に、違和感をおぼえた事実が頭にこびりついていた。

 こびりついてはいたが、異性恐怖症と身体の違和感の関連性にもやがかかっているようで、黄金には一向に意味がつかめない。

 小月は深い息を喉の奥にこめ、強くゆっくりと吐いた。

 そして、だしぬけに黄金の右手を取って、自身の胸に押し当てた。

 小月の拍動が和服越しに黄金に伝わる。


「うち、乳房が片方ないんです」


 トンネルに入ったのか、唐突に窓の外が完全に暗くなった。

 まさか、という思いと先刻の違和感はそれだったのか、という思いが黄金の中に到来する。

 ただ、違和感の正体を告白されても、異性恐怖症との関連性はいまだに黄金には分からなかった。

 浅く呼吸を繰り返す彼女の胸元に、自然と黄金の視線は吸い寄せられてしまう。

 だが、告白された後に見ても、服の上から実際に触れていてもそれは分からない。


「服の上からだと分からないかと思いますよ」


 小月は黄金の頭をのぞいたかのような発言をすると、手を離した。


「正確に言えば、乳がんが原因で乳房を切除したんです」


 声はとどまることを知らない流れとなって続いていた。


「方法自体は色々あるんんですけど、うちは4分の1《クアドラン》切除法テクトミーという方法を採用しました」


 黄金には初めて聞く言葉だった。


「おそらく、明星様にはなじみがない言葉かと思います。いえ、明星様に限らず大半の方にはなじみがないでしょうね」


 鋭い観察眼であった。


「クアドランテクトミ―、日本語で4分の1切除を意味します。その名のとおり、しこりを中心に乳房を4分の1切除する方法です」


 小月はかすかに笑ったが、それは格別自分の知識を誇っているようには見えなかった。

 むしろ、そんな知識を持たざるを得ない状況になってしまったことに対する、自嘲さえ垣間見えた。


「化物」


 脈絡もなく小月が口走る。

 言葉が黄金の神経の奥深いところにさわる。


「当時、お付き合いしていた殿方が、手術後のうちの身体を見て言った言葉です」


 軽い世間話でもするような口調だった。

 あまりにさりげなかったため、一瞬聞き直そうと黄金自身思ったほどだ。

 背骨に沿って、汗が一筋流れ落ちる。


「化物ですよ。そして、彼はその日のうちに別れを切り出してきました。面白いことに彼は、人権擁護に深く関心を持っている方でした」


 小月が思い出したように、机上にのせられたレジ袋に手を伸ばした。


「あの方の擁護の範疇はんちゅうに、化生けしょうのたぐいは含まれなかったみたいですね」  


 小月は実に奇妙な声で笑った。

 その笑い声はまるで泣き声のように黄金には聞こえた。

 笑ってほしいのだろうが、笑えなかった。

 二人とも黙ってしまい、空白ができた。

 話をしている連中の大きな声が車内に響く。

 ふぅ、と小月がため息をひとつこぼす。


「でも悪いことばかりではなかったんですよ」


 かさかさという耳障りな音が辺りを震わす。

 小月が袋の中からなにかを取り出した。


「そのおかげで今のすてきな会社に出会えましたから」


 こみ上げてくるなにかがあったらしく、小月の声に、やや崩れに似た響きが感じられた。


「うちの愚妹が創立したという『Hi「∀∀」《ヒラール》』という居場所に」


 レジ袋から取り出した缶ビールを片頬にくっつけながら、ほほ笑んだ彼女から白檀の艶っぽい香りが漂ってきた。

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