第40話 アイドル声優は終わり、声優アイドルが始まる
「わたくしのゲームで作った最高傑作ですわね」
その呪いにも紛う言葉に、打ちのめされる。
黄金は汗のにじむ手を握り締め、すぐにほどいた。
権利を行使することはなんら問題ない。
ストック・オプションの制度は就業規則にも定められている。
個数は違えど、SEXY NOVAグループの社員や役員に当然に与えられている権利だからだ。
それを行使して1億円程度のキャピタルゲインを得たことも今では怒りの対象ではない。
むしろ、いずれ戻ってくるリターンのために自分の資材まで投入していたと言われた方がまだかわいいものだと気付いた。
冷静になってみるとそんなことは、さまつな問題だった。
そんなことより、針中野がゲームという言葉を持ちだしたことが問題なのだ。
初めからVOTのメンバーを、ゲームの中のキャラクタ―程度にしか思っていなかったことに対し、言いようのない感情が黄金の中で湧きあがる。
ただその一方で、それが本心から出た言葉なのか、という猜疑が心奥でうごめく。
針中野の言葉にはなんの矛盾も疑問もない。
しかし、なにかしこりが残っている。
すんなりと腹に落とせないのは、黄金自身の問題だった。
果たしてこれが数年にも及んで周りを偽り続けた者の瞳だろうか?
そんな想いが胸の中にわだかまる。
「どこまでが本当のことなんだよ」
無意識のうちに黄金の口からそんな言葉が転がり落ちた。
「いつものように嘘だって言ってくれよ。なぁ、統括……」
「すべて本当のことですわよ」
統括という言葉を訂正すらせずに、黄金がひるんでしまうほどまっすぐな瞳で針中野が言う。
表情は変えなかったが、それは明らかに意図的に殺したもののように、黄金には見えた。
あくまでしらを切る。
いや、本当に嘘をついているかはさだかではない。
一番温かった頃の思い出を守ろうと、思考がそう認識させているだけかもしれない。
現実というものが、針中野の固有の人格をかみ砕き、いまや黄金の憧れをむさぼり食おうとしていた。
唇が乾いていくのをどうすることも出来ない。
胸に迫りくる猜疑と憤怒とで、黄金の胸中は複雑だった。
「その反応は意外でしたわね。ココちゃんも同類だと思ってましたのに」
「同類? 笑わせんなよ。オレはあいつらのことをキャラクターだと思ったことなんて一度もねぇよ」
アンタとは違ってな、という余韻が語尾に絡む。
黄金は大きく目を見開き、じっと針中野の瞳の奥をにらみつける。
「自覚がないんですわね」
針中野はふっと息を吐いた。
「自分がこの仕事についたきっかけを忘れましたの?」
その言葉を聞いた瞬間、黄金は頭から冷たい水でもかけられたような気分になった。
「わたくしは人生をただのゲームになぞらえてアーティストをキャラクターとして扱っている。片やあなたは人生を舞台になぞらえてアーティスト、いえ、周囲の人間を演者として扱っている。根底にあるものは同じだと思いますわ」
ぐじゅぐしゅと身体の中を荒らされている感覚。
言葉が、胸に銛のように食い込む。
「……その話どこまで知ってやがんだよ」
質問には答えずに針中野は垂らした糸の感触を楽しむ釣人のように、黄金を見つめた。
「戸田ましろさん」
「……は?」
あまりにも唐突で、黄金自身言葉を受け入れる準備をしていなかったため、情けない声を漏らした。
「新しく入った一人っていうのは彼女じゃないんですの?」
黄金の反応に、針中野は不思議そうに訊ねる。
「あ、あぁそうだよ」
「ですわよね。それにしても、いまさら、アイドルと専属マネジメント契約を結んだというのが初めは腑に落ちませんでしたけど、名前を見てすぐにピンときましたわ」
黄金には脈絡なく出てきた話題の意味がわからない。
針中野は低く、粘りを感じる声で続ける。
「とても良い人選ですわね。わたくしが次にアイドルを流行らせようとした時に候補にあげていたうちのひとりなんですわよ、戸田ましろさんは。他にはあなたの妹さんもいますわよ。そして、輝赤さんをも上回る実力を持っていた、ま――」
「ちょっと待て」
上機嫌で話していた針中野の言葉を黄金は遮った。
「今聞き捨てならねぇ言葉があったんだが」
「なんですの」
「アイドルを流行らせるだと?」
「言葉どおりの意味ですわ。今来ている声優アイドルブームをある程度で見切りを付ければ、またアイドルを流行らせるつもりですの」
「言ってる意味がひとつもわからねぇんだよ。アンタは声優アイドルファンドとやらをするのが目的だったんじゃねぇのか? それにそれだとまるで――」
――思い通りに流行をいじることが出来るような口ぶりじゃねぇか。
そう言いかけて視線をよこすと針中野は唇だけで薄く笑った
「いじれますわよ」
まるで、心の内を見抜いているかのような言い方だった。
ちょうどその時バチバチという耳障りな音が黄金の耳をたたいた。
ふとそちらに視線をぶつけると蜂か虻のような羽虫の類が窓ガラスにぶつかっている。
「それと言葉足らずでしたわね。声優アイドルファンドは実行しますわよ。ただ、それはあくまでもマンネリズムに慣れきった人々に刺激を与えるためのひとつの手段にすぎませんわ。そして、先刻も言ったように声優アイドルもいいところで区切りをつけて、またアイドルを流行らせる。これも目的ではなくただのルーティーンにすぎませんわ」
一体全体何がどういうことになっているのか、黄金にはさっぱり理解できない。
針中野の言葉が日本語以外の聞いたことがない言語のように思えてくる。
極に達した混乱の行き場がなく、黄金は唇を噛みしめた。
そんな彼女に、針中野の次の言葉が一段と重々しくのしかかる。
「わたくしはこのルーティーンを作るために、一度アイドル声優ブームを終わらせたんですわ」
「終わらせただと……」
「そうですわ」
「ありえねぇだろ」
「疑り深いですわね。ありえない、とすぐに否定するのは、自らの想像力の貧困を認めるようなものですわよ」
「カッ、笑うに笑えねぇ法螺話を信じられるやつの頭の方が貧困だろ。今から数十年前、アイドル戦国時代があって、その後にアイドル声優ブームがきたのはオレも知ってる。さらにその後、アンタが今言ったみたいにそのブームが終わったこともな。けど、それが全部アンタの仕業だっただと? 馬鹿言え、色とちがって音楽の流行は誰かが事前に決めるもんじゃねぇんだぞ。仮にアンタの言うように音楽の流行を思い通りにできたら、そいつはもはや――」
「ビジネスにおいては無敵な存在になりますわね」
針中野は黄金が言おうとした言葉を先回りして言った。
黄金は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「流行はある一定の層に刺されば起こすことができる。そこが流通と大きく違うところですわ」
わざとらしく付された流通という言葉が、針中野をこの地位にまで登らせるきっかけとなったとある出来ごとを黄金に思い出させた。
「言葉で言やぁそうかもしれねぇが、そのある一定の層を獲得すんのがどんだけ難しいかは、アンタ自身身を持って知ってんだろ」
「えぇ、知ってましたわ。ただ、それはあくまでもわたくしが無知で蒙昧な子供だったころの話ですの。大人になれば色々な『おともだち』が情報と知恵をもたらしてくれますのよ」
「その『おともだち』とやらは間違った情報も結構与えるがな」
互いの網膜の間に糸がピント張られたように、ふたりは相手の顔を見たまま視線を外さなかった。
黄金はその針中野の目の動きが、どことなく気になるものを含んでいるのに気が付かないではいられなかった。
不意に先刻から繰り返されていたバチバチという音が止んだ。
窓の方にチラと目線だけ向けると、そこにいた羽虫の類は消えていた。
代わりに遠くで羽音がする。
今まで追突を繰り返した羽虫の類はどうやら建物内に侵入してきたようだった。
「うふふふ」
針中野はわざと軽い笑い声を作った。
「あなた方ご家族は本当にわたくしの計画を狂わせるのがお好きですわね」
ふぅ、と針中野はひとつため息をこぼす。
黄金はというと、針中野の口から次々と発せられる十重二十重な謎に呪縛されたかのように身動きできない。
そもそも、今目の前にいるのは本当に針中野千草なのかという本日何度目か分からない疑念がもたげる。
「今日は揺さぶりをかけるのにとどめておきたかったんですの。いきなり地面を崩してしまうのはあまりにも残酷で、今後支障をきたす可能性もありますしね。けれどももうここまで話をしましたら一緒ですわ」
針中野はズイ、と黄金に顔を近付けた。
「わたくしの本当にやろうとしていること、特別に教えて差し上げますわ。だから、――」
針中野は微笑みを凍らせ、こう呟いた。
「どうか壊れないでくださいね」
針中野の話を聞いた後、黄金は何か言葉を口に出そうとした。
しかしながら、ただ力なく唇が震えるだけだった。
荒唐無稽だった話に一筋の線が通ったような感じだった。ただの法螺話に過ぎなかったはずのものがいつの間にか厚みを持っていた。
羽音はゆっくりと、しかしながら確実に強さを増していき、黄金の鼓膜の奥でいつまでも鳴り響いていた。
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