第37話 豹変
「声優をアイドルとして売り出せば、豚さんたちがこぞってお金を落としてくれることに気付いてからというもの、さまざまな業種がいちどきに声優を用いたビジネスを行うようになりましたわ。そもそも、一度でもそれがビジネスになるという前例が出てきたのならば、こぞって企業はその市場に参入しますの。それは今も昔も変わりませんわね。それが今の時代はたまたま声優だったというだけですの。いつそれが変わるかはわかりませんけどね。声優の方も今は注目を浴びることができているけれども、いつ消えるかわからない浮き草稼業であることを理解しながら、なおそういう選択肢を選んでますの」
それが今の市場であり、またそういった市場を仕方ないと享受しているような、さっぱりとした言い方だった。
黄金の頭の中にあるフィルムが自然と巻き戻っていく。
SEXY NOVAグループの音楽部門で働いている人間には、大きくわけてふたとおりのタイプがいる。
ひとつは就職活動を行ったうえで、人事により配置されたタイプ。
そして、もうひとつは業界にもとよりアーティスト等として携わっており、なんらかの理由があって転向してきたタイプだ。
黄金は元子役であるためもちろん後者にあたるのだが、針中野も同様であった。
一時期は脚光を浴びていたものの、メンバーの一人が起こした不祥事により解散し、世間からいつの間にか忘れ去られた、その時代のごくありふれたアイドル。
それが針中野千草であった。
芸能の道というものは綺麗事が通じる世界ではない。
一応、根底には一度でも業界に足を踏み入れさせたのならば、大人の責任として有名にしてやりたいという考えはある。
別に業界関係者も鬼ではない。
人間の心は持っている。
しかし、その多くは組織に属する人間だ。
会社もお金が無限にあるわけではない。
お金だけでない、プロデュース等をするためには人員も時間も馬鹿にならない。
そこにどう折り合いをつけるかは難しい課題なのだ。
最終的には多くの業界関係者たちが結果を出せない者について、血涙を流しながら、切り捨てるという選択を取る。
もしくはその空気を感じ取ったアーティストの方が見切りをつけて辞めていく。
世にはびこるうわさ話等で業界の現状を聞いたことがある就職組は、最初こそ自分がそんな状況を変えてやろうと勢い込むのだが、次第に自分ひとりではどうしようもないことに気付き、業界の色に染められていく。
華々しい世界の陰には、様々な種類の『諦め』が存在するのだ。
そんな中で、針中野千草という人間に限っては業界出身者であるにもかかわらず、その『諦め』という感覚が皆無であった。
VOTが硝子を砕くパフォーマンスを行った衝撃のライブから数日たったある日のことだ。
針中野が演出費用についてポケットマネーから出したおかげで、1stライブについて赤字こそ免れていた。
が、これまで彼女らにかけてきた宣伝広告費のことを考えると、売り上げは従来の活動継続ラインを遥かに下回っていた。
そのため、十分な人員を確保したうえで進められていたはずのVOTのプロデュースチームは、いつのまにか針中野と黄金だけになっており、ふたりだけでマネジメントもディレクションもプロデュースもすべてやらなければならない状況であった。
「やっぱ、今みたいなアイドル氷河期じゃ、どんだけよくてもアイドルは売れねぇんだな」
パソコンの画面に映る、本社に提出する収支報告書とにらめっこしながら、黄金が何気なくつぶやいたとき、針中野は、「時代のせいにして決めつけるのは簡単ですわ」と間髪をいれずに答えを返した。
「そうは言っても、ライブに関しては、統括が自腹切ってくれたおかげで会社としては一応黒になっちゃあいるが、CDや音楽データは散々な結果だぜ」
輪転椅子に座りながら、上半身だけ針中野の方へ向ける。
「売り上げがすべてですの?」
売れない人間は切り捨てるのか、と言いたげな針中野の瞳。
そのまっすぐすぎる視線から目を逸らして、黄金は言う。
「すべてってこたぁねぇが、売れなきゃ活動自体続けらんねぇだろうが。こういうのは引き際も肝心だぜ」
「お金の心配ならしなくて問題ありませんわ。わたくしがアイドル時代に築いた財産はまだまだ残っていますの」
「だとしても、その金だって無限にあるわけじゃねぇだろ。それに統括が稼いだ金だろ? 自分のために使えよ。売れなきゃそれまでに費やした金が無駄になって後悔するだけだぞ」
「後悔なんてしませんわ」
自信に満ちた言いぶりだった。
「ビジネスに中途半端は許されませんの。新しいことを始めた場合には、最後まで見届けるのが発案者としての責任ですわ。これ以上損害を出す前に辞めるのは簡単なことですの。けれど、アーティストは使い捨てではありませんわ。一度衆目に姿を晒すというのは今後の人生にいやでも大きくかかわってきますの。そんなの誰もがわかっていることですのに、人気が出なければ、『はいさようなら。あとの人生なんて知ったこっちゃないですよー』というのが今の、いいえ、昔からの業界のすがたですの。けれど、そんなのクソ喰らえですわ。過去にわたくしが大人たちにされてきたことを自身でしてしまう方が、よっぽど後悔しますの」
胸に鋭く突き刺さってくる言葉だった。
ヒロイン役を次々と獲得していた時と、諸事情によりヒロイン役のオーディションにおいて、書類審査ですら弾かれていた時とにとってきた会社の対応の差異が、否応なく思い出された。
「それに――」
語尾がふっと浮いたようになって切れた。
「それに?」
「完璧な青写真を描いている人間はお金を惜しまないものですわ」
針中野は噛んでふくめるようにゆっくり言う。
その声がまるでこだまのように、黄金の耳の中でがんがん揺れる。
「その青写真には、オレとアンタしか残っていない、今の状態も描かれてんのか?」
「ご想像にお任せしますわ」
針中野は片眼をパチンと閉じ、ウインクした。黄金は大きなため息をつく。
「……統括、アンタ、オレまでいなくなったらどうするつもりなんだ?」
「困りますわね。わたくしの行ったことの事後処理をする人がいなくなりますの」
「……振り回してる自覚はあったのかよ」
黄金の声を無視して、針中野は続ける。
「けれど、その心配はしてませんわ」
針中野は何度か頷いたあと、微笑む。
「何を根拠に言ってやがんだよ」
「きっと、ココちゃんのお父様なら、きっとわたくしを見捨てませんもの」
形のいい唇に、白い小粒の歯がこぼれる。
老若男女問わずみなの心を鷲掴みにしたアイドルの笑顔。
目の前の自分よりもひとまわり、ともすればふたまわりも違う女性に未だ汚されていない無垢な少女の姿が重なる。
なんだか気恥ずかしくなって、黄金は針中野に背を向けた。
「……んっとに、アンタは子供だな。娘であるオレがそうだとは限んねぇだろ。ったくよぉ、うちの妹より、よっぽど歳くってんのに、中身は
「子供は嫌いですの?」
「あぁ、どうも
「それなら、わたくしのこと嫌いになりました?」
黄金はそれに対してなにも言わなかった。
数秒後に、針中野が息を長く吐きだした。
「まっ、いいですの」
「いいのかよ」
「願わくは好きであって欲しいですわ。けれど、そこは人の好みなので仕方ないですの」
「自分のことだっつーのに、えらく他人事みたいな言い方だな」
「当然ですわ。わたくし、他人からの目に興味がありませんの」
「興味がないだぁ?」
「えぇ、そうですわ。少し考えてみればわかりますの。この世のありとあらゆる事物でさえもすべての人から好かれるなんて無理なんですわよ。それなのに、人間なんて事物に比べて、性格という厄介なモノをもってますの。正直に言って、どんな聖人君主であってもその高潔すぎる性格ゆえに嫌われることだってありますわ。誰からも好かれる人間なんてこの世にはいませんの。だから、他人の目を気にするなんて馬鹿らしいことですわ」
もっともらしいことを言っている割には、何か切羽詰まったようなものを黄金は感じた。
なにも言えなかった。
針中野の言葉が部屋の中に漂い続ける。
しばし、沈黙が続いた後、黄金はキーボードをカタカタと鳴らし始め、職務に戻った。
部屋の中にリズミカルなキーボード音だけが響く。
と、唐突にガン、と鈍い音がした。
「おい、いったい何のお……ってなにしてんだ?」
振り向いた黄金の視線の先には、背中があった。
他ならぬ、針中野の背中だ。
服がめくれていろいろと丸見えであった。
「アンクレットをつけようと思ってましたの」
頭を押さえながら身体を起こした針中野が言う。
どうやら、彼女は机かどこかに頭をぶつけたようだった。
「んなもんつけんのか。意外だな」
「つけるのは初めてですわ」
また、黄金に背中を見せつけるようにして、針中野がかがみこむ。
「って、さっきから背中が丸見えなんだが」
「まぁ、そうでしたの。別にココちゃんに見られても減らないので、気にしませんわ」
「いや、減りはしねぇかもしれねぇが……ちったぁ、気にしろよな」
ひとつ大きなため息をついて、黄金は仕事に戻る。
が、妙なうめき声と相も変わらず耳に届く鈍い音が彼女の邪魔をする。
しばらくカタカタと鳴らしていたキーボードの上の指が止まる。
「んなもんもひとりでつけらんねぇのかよ。んっとに子供だな」
額に手を当てながら、深いため息とともに黄金は椅子から立ち上がった。
そして、そのまま針中野の前まで行き、片手を出した。
「ん」
針中野は差しだされた黄金の手を握った。
「ってちげぇよ! アンクレットの方だよ」
「あげませんわよ」
針中野はばっと握手している手を離し、床に置いていたそれを守るように胸元に大切に抱いた。
「とりゃしようと思ってねぇよ」
針中野がきょとんとした顔をする。
「貸せ、つけてやるからよ」
しばらく考えていた針中野であったが、そういうことか、と納得したのか、大事に抱えていたアンクレットを黄金に渡した。
黄金は手に持ったそれを見た。
銀色のチェーンタイプで、止め金具はカニカン。
中央の辺りには、海を彷彿とさせるような淡い青いガラス玉が付属している。
「どっちにつけりゃいんだよ」
針中野は返答の代わりに、左足首をさらけだした。
「左足首でいいんだな」
「はい、構いませんわ」
返答を得た黄金はしゃがみこんだ。
「誰かからもらったのか」
細く白い左足首にチェーンを回しながら、黄金が訊ねる。
「はい、青澄海さんからもらいましたの」
「青澄海から?」
「そうですわ。それにガラス玉が付いてますわよね」
「あぁ、付いてるな」
「そのガラス玉は、つい先日のライブであの子たちが割った硝子を溶かして加工したものらしいですわ」
「ほー、そうなのか。ってちょっと待て。オレは、んなもんもらっちゃいねぇぞ。なんで統括だけなんだよ」
「……嫌われてるんじゃないですの」
冗談めかして、針中野が言う。
「嫌われちゃいねぇよ! ……たぶん」
「たぶんってなんですの」
針中野がため息を吐く。
「いや、心当たりがあるっちゃあるんだよ。つい先日、青澄海に『黄金さんの言い方は時々きついです』だとか『練習メニューが少なすぎます。私達にスタミナが足りないのは明白ですよね』とかちくちく言われたところなんだよな」
「あの子はそんなことで嫌いませんわ」
そっと置かれたその声は、沈みこんで動かない湿気の澱みに吸い込まれた。
その後は何も言えなかった。
初めは簡単につけられるかと思っていた黄金であったが、意外と手こずってしまう。
その間、沈黙が鼓膜を圧迫する。
ようやっと苦労してつけおわり、彼女が立ちあがろうとすると、頭上から言葉が降ってきた。
「『……』黄金さん」
「だからいつも言ってんだろ、その名――」
顔をあげて、本名で呼んだことに対し、いつものように抗議しようとする。
しかし、針中野の世の中を眇て見ているような目に、言葉は押しとどめられた。ひとつ舌打ちをする。
「んだよ、改まって」
「わたくしは心だけはいつまでも子供のままでいたいですわ。先刻も言いました通り、自分と同じような経験をさせるような大人ならなりたくありませんの」
濃褐色の瞳が黄金に向く。
黄金は思わず姿勢を正した。
「だから、もしわたくしの心が大人のそれになってしまったときは――」
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