第36話 白馬の騎士様

 Take-Over Bid、その頭文字をとってTOB。

 日本においては株式公開買付けと言われるものだ。

 

 不特定多数の株主から株式市場外で買付け期間、買取り株数、価格の三点を公告し、株式等を買い集める制度のことである。

 通常、株式市場で大量の株を買い付けた場合、株価が急騰してしまう可能性が大いにあるが、公開買い付けであれば予定価格で予定している数の株式を一定の期間内に買い集めることができる。

 

 昔でこそ声優事務所が株式市場に上場することはなかったが、この時代大手はもちろんのこと小規模と呼ばれる声優事務所も上場していることが多くなっており、個人でも株を保有できるようになっていた。


「アンタは簡単に言うが、声優を引き抜くのとおんなじくらいTOBなんてそんな容――」

「それなら心配ありませんわ。もう大体話はつけてますの」


 黄金が最後まで言い終えぬうちに、針中野がかぶせた。

 その一言で黄金は悟る。

 針中野がしようとしているTOBが敵対的なものではなく、友好的なものであるということに。


「声優アイドルは一大コンテンツになってはいるものの、現状声優事務所自体に入る金額はそう多くはありませんわ。結局、自社だけでアニメーション、販路が確保できないところが多いからですの。そうなるとそもそも自社の声優がオーディションで通らないことには、役自体獲得できませんわ。でしたので、わたくしはTOBの話をしにうかがったときに、うちのグループで制作するアニメーション及びうちが座組として入る他社のアニメーションにおいて、必ず枠を設けることを約束しましたの。それだけで大体のところは喜んでTOBを受け入れて下さいましたわ」

「大体っつーことは自社だけで供給できるような事務所は嫌がったってことか」

「ええ、ココちゃんの言う通り、自社でアニメーション部門を持っている事務所はゴールデンパラシュートを用意しても、敵対するとお話しされましたわ」

「そりゃ自社でぜんぶできりゃ黙って買収されるのにほとんどメリットなんて感じられねーからな。まぁ、それをできる事務所っていうのは多分専属マネジメント契約してる声優も多いんだろ。そいつら引っ張ってこなけりゃ声優アイドルファンドでいうところの人気の者を十分に確保することが出来ねぇんじゃねぇのか?」

「人の話は最後まで聞くものですわよ」


 針中野はこれ見よがしの余裕を示す。

 誰もボタンに手を触れなかったエレベーターの扉が、自然に閉まった。


「自社だけですべて完結できるような事務所が断ってくるのは想定済みでしたわ」

「へぇー、アンタが想定想済みっつーからにはその対策も当然してるってことなんだろうな」

「よくご存じですわね。ええ、わたくしが信頼できる人間に分担させて、少しずつ株を購入させてましたの。狙いの事務所が不信感を抱かないように長期にわたって」

「長期だぁ? アンタが社長になるって決まったのは最近じゃねぇのか?」


 黄金は回り道せずに問い質した。


「ええ、決まったのは最近でしたわ。でも、買い始めたのは3年前ですわよ」


 黄金が眉をピクリと震わす。


「3年前ってことは……」

「VOTが消えてアイドルが衰退し、代わりにアイドル声優が台頭してきた年ですわね。あのとき、わたくしは既にアイドルに見切りをつけてましたの」 


 声にいくぶん勝ち誇ったような響きがあった。

 針中野は黄金から視線を離さず、一気に話す。


「小規模の事務所でしたら、優秀なマネージャーの方に交渉して、彼ら彼女らを引き抜けばいいだけですわ。それだけで、おおむね声優も引っ張ってこれますの。けれど、大手と呼ばれる声優事務所は頭を使わなければ手に入れられませんわ。わたくしの考えた声優アイドルファンドをするには大手の人気声優を手に入れないと成立しませんの。ただ、それは正攻法だと難しいですわ。だから、わたくしは長い時間を掛けて攻略することにしましたの」

「長い時間って言うが、アンタはその時点じゃまだ社長になるのは決まってねぇんじゃねぇか?」

「そうですわね。その当時はわたくしはまだ海外で取締役をしていましたの」

「だったらなんで買収のために動けてんだよ」

「そんなの決まってますわ――」


 ――わたくしが社長になれると思ってたからですの。


 多くを言わなくてもわかるだろう、というような顔を針中野はした。

 挫折や敗北といった経験がない、常に勝ち続けた女の自信満々な目。

 この顔に出会うと、黄金はいつもすくんでしまう。

 そんな彼女の内心など歯牙にもかけず、針中野は今までとは打って変わり、子供を諭すような口調で告げた。


「話がそれましたわね。それでTOBの提案を蹴った事務所に関しては、実はもう予定していた株式の8割は手元にありますの。敵対ではあるものの、失敗する可能性はほぼないですわ。イレギュラーとして、白馬の騎士様ホワイト・ナイトでも現れれば、別かもしれないですわね」

「たしかにTOBは成功するかもしんねぇが、その後はどうするんだよ。新規設立されることだってあんだろうがよ。それこそアンタが声優ファンドとやらをして、金になるビジネスだって認識が世間に広まりゃ、各社がこぞって声優アイドル事業を立ち上げるんじゃねぇか?」

「そうかもしれませんわね。でも、別にそのことを気にする必要はありませんの」

「なんでだよ」

「わかりませんの?」


 黄金の質問に対し、針中野が失望の色を浮かべた。


「もとより完全な新規設立の声優事務所であれば、そもそもオーディションの話が耳に入る機会自体限られてきますわ。それに、わたくしはなにも声優事務所のTOBだけを進めていたわけではありませんの」

「他になにやってたっつーんだよ」


「そうですわねぇー。例を挙げるなら、出版事業、ゲームプラットフォーム事業、玩具製造業…………それに配信事業場に対して、業務提携の話を進めていましたわ」


 針中野が一つ一つ指折り数えていく。

 その姿を黄金は黙って見ていた。


 好き放題、無茶苦茶、常識の埒外、無鉄砲。

 思いつきであり、何も考えていないようで、その実緻密に計算され尽くしている。

 声優事務所にTOBを仕掛け、ほぼすべてを買収する。

 SEXY NOVAグループ内のアニメーション部門を活用し、声優アイドルユニットを作る。

 加えて、自社で調達できない出版業およびゲームプラットホーム事業、玩具製造業等とも提携し、小説や漫画、グッズ、ソーシャルゲーム等幅広い展開をする。

 それだけでない――


「特に配信サービス事業は、配信する動画をオフラインでも見れるように今調整もしてますのよ」

「オフラインだと? んなこと可能なのか?」

「たぶん可能ですわ。実際に過去には行われてましたの」

「はぁ? 過去にやってたっつーのに、たぶんて付けたのはなんでだ?」

「過去に行われてたのは、小型の外型ストレージを動画視聴する媒体に差し込んで使用してましたの」

「その方法は採用しねぇってことか?」

「えぇ、わたくしたちは、小型の外型ストレージを用いることなく、オフラインでも視聴できるようなシステムを今作成してますの。それをもって、作成したアニメーションや声優本人の番組を無料で配信する予定ですわ」


 黄金は無意識に唾を呑みこむ。

 大半の者が毎日の職務に忙殺され、娯楽時間を確保するのが難しい中で、電波が入らない地下鉄などの隙間時間に動画を見れるようにする。

 現段階では声優アイドルファンドにおいて、具体的になにをするかまでは予想が付かないが、間違いなく再びアイドルを売りだとそうとしている黄金に絶望をもたらすに違いないことを予感した。

 黄金の額に玉の汗が浮いた。


「これでも、声優アイドルファンドが失敗すると自身を持って言えますの?」

「そんだけいわれりゃ成功するかもしれねぇな」

「やけに自分の意見をすぐに覆しますのね」

「でも、声優本人の寿命は長くもたねぇんじゃねぇのか」

「別にその時だけでもってくれればいいですわ。人気が無くなった者には前線から外れてもらえればいいだけの話ですの」


 針中野は続ける。


「世間の関心なんてすぐに移りますの。特に声優業界においてそれは顕著ですわ」


 世間の関心がすぐに移る。

 日の目を見ず、評価もうけず、消えてゆく者達を見てきた彼女が言うだけあってその言葉は重い。

 そして、別の意味でも、針中野の発言は黄金に重くのしかかった。

 すらすらと話始めた彼女の口許を、黄金は不思議なものでも見るようにじっと眺めていた。


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