第35話 アイドルが衰退した理由のあれこれ

『アイドルは死んだ』


 これを針中野以外の者が言ったのならば、笑い飛ばせた。

 しかし、黄金にはそんな余裕はない。

 社長室で針中野を見たとき、黄金は救われたような気がした。

 彼女なら今ひとたび零落したアイドル文化を復興させられる。

 そう純粋に思った。

 しかし、すでにそういった感情は泡のように消えていた。

 黄金は唇を噛む。


「死んだだと? っざけんなよ。たとえ嘘でもアンタの口からだけはそんな言葉聞きたくなかったぜ。かつてVOTという存在によってアイドル氷河期を終わりに導いたアンタの口からはな」


「だからこそですわ」


 いつになく物静かな口調だった。

 それがかえって不気味さの加減を増幅させていた。


「だからこそ、中途半端ないえ、紛い物にアイドル文化を二度と汚されたくないのですわ。本物の偶像を人々の心に留めておきたいんですの」


 針中野の瞳には、何かに憑かれたような光が宿っていた。

 それは憎悪などといった負の感情ではなく、どちらかと言えば、これ以上アイドルを決して産まれさせまいといったような気概である。


「かっ、紛い物だぁ? ずいぶんな物言いだな。勝手に決め付けんじゃねぇよ。今後アンタが言うところの本物のアイドルってのが出てくるかもしれねぇじゃねぇか」

「本当に出てくると思ってますの?」


 針中野は冷めた目をした。


「アイドル自体はどうせ数年もたてば次々と出てくると思いますの、否定はしませんわ。ただ、向こう十年は彼女たち以上の偶像たりうるアイドルはもう生まれませんの。ファンとの距離が身近でないと存続できないようなアイドルは偶像とは呼べませんの。そんなものは紛い物ですわ。はっきり言えば、アイドルとは名乗ってほしくありませんの」


 黄金は唇をとがらせ、反論を試みようと両肩に力を込めて構えた。しかし、意思に反して頭には何も浮かばない。

 否定しなければと思うが、黄金の中に針中野の言葉を正論だと思ってしまう自分もいた。


 そもそも、2010年代から2020年代前半まで続いたアイドルが絶滅の危機にまで追いやられたのは、アイドルとの距離が段々と身近なものでなくなってきたことが少なからずかかわっている。

 CDの大量廃棄問題を起因とし、ついにCDに付属される握手券やチェキ券のたぐいが付属物にあたらないという判例がでたことにより、アイドルはほとんど曲だけで勝負しなければならなくなってきたからだ。

 まだブロマイドのたぐいをCDに付属させることは禁じられていなかったため、一部のアイドルはメンバーのものをランダム封入する売り方をしたり、バージョン違いの同じCDを販売する等の方法を取っていたが、それまでの売上には到底及ばない。

 結果、多くのレコード会社はアイドル事業自体から撤退し、それを機とばかりに賢く、能力があるアイドルたちは声優や女優に転向したり、就職して一般人に戻る等の選択をしていった。

 結局、販路や主力メンバーを失ったアイドルグループはひとつまたひとつと姿を消していった。


 これはメジャーデビューしている者達の事情であって、ライブアイドルはより悲惨であった。

 2010年代、20年代前半こそライブアイドルを続けている内にメジャーデビューというルートも確立されていたが、多くのレコード会社自体がアイドル事業から撤退している時点で、そのルートはないも同然だった。

 もはや、運営母体が自転車操業で、大多数のアイドルが風俗店と変わりないと揶揄されることが多くなっていった。


 そんな中で彗星のごとく現れたva!l of t!me!。

 彼女らは、人々のアイドルに対する認識を捻じ曲げた。

 『!《会場》に!《絶叫》と!《感嘆》をいつまでも』をコンセプトに、紆余曲折を得て、最終的に女性七名で編成されたこのグループは、まさに奇跡とうたわれたほどであった。

 

 顔は、ルックスだけでも多くのファンをとりこにし、魅了したが、本当の彼女らの魅力は、圧倒的なパフォーマンスであった。


「アップテンポな曲を歌えば、会場の空気が膨れて爆発し、穏やかな曲調の曲を歌えば、会場の、否観客の時が止まる」と評した者もいたほどだった。

 日本中の老若男女を問わず誰もが話題にし、日本の音楽シーンは彼女らが文字通り覆い隠したのだ。


 彼女たちが国民的アイドルにまで上りつめた時代、とある雑誌でアイドルに必要とされるものは何か、というアンケートを取ったところ、かわいさや容姿が重要視されるのは2010年代と同じであったが、次いで歌唱力とダンス能力の項目についてパーセンテージが高い結果となっていた。


 しかし、アイドル業界を救った英雄たちの幕引きは思いの外に早かった。

 不慮の事故により、美旗紫歩を除いてその命を落としたのだ。


 人間というのは恐ろしいもので、高水準になれてしまうと、元に戻ることが難しい。

 VOTが登場する以前はアイドルに歌唱力はないものという認識が世間にはあったため、かわいらしさや身近さ、それに不完全さという外的な面でファンを魅了することがまだ可能であった。

 

 しかしながらVOTという存在を知ってしまった人々は、後釜を狙って活動を再開した多くのアイドル達に物足りなさを感じ、さらには彼女たち以上のパフォーマンスや歌唱力を持ったアイドルは誕生しなかったため、業界自体が再び停滞してしまった。

 

 皮肉なことにアイドル氷河期を救った英雄たちは、アイドルの歴史という流れに乗ってきた船をVOTというもやいでつなぎ止めてしまったのだ。


「何も言わないのは認めたも同じですわよ」


 針中野の声に黄金はハッとする。

 何か言わなければと思うが、何も出てこない。

 苦し紛れに黄金は別の方法を持って反論することにした。


「はっ、そんなこと言いだしたら、声優アイドルの方が紛い物じゃねぇか。オレは正直そんなに知らねぇが、歌唱力やダンス能力がVOTを上回るっつーのか?」

「無理ですわね」


 あらかじめ答えを用意してたかのように、針中野の口から紡がれた。


「言ってることに矛盾が生じてるじゃねぇかよ」

「矛盾なんてしてませんわ。声優はアイドルではありませんの。そして、豚さんたちも声優アイドルに歌唱力やダンス能力なんて求めていませんわ」

「そうなのか」


 針中野はうなずく。


「それに豚さんたちにとっての声優なんて玩具みたいなものですの」

「玩具だぁ?」

「ええ、そうですの。豚さんたちは複数の声優を同時に応援していたり、新人が出てきたらすぐにその子に移ったりすることが多いのですわ。まるで、だだをこねる子供に玩具を買い与えて、すぐに興味を失うかのように」

「それで、玩具、か。意味はわかった。けどよぉ、アンタがいうところの玩具ってやつはうちにはすくねぇんじゃねぇか」


 黄金がそう言ったのにも理由がある。

 彼女自身部門が異なるため詳しくは知らなかったが、本社からホームページの更新を依頼された時に少し見た際のことを思い出すと、そもそもSEXY NOVAグループに所属している声優はそう多くなく、また一部の者の黒字で赤字を埋めているといったような印象を受けたからだ。


「否定はしないですわ。美旗社長はあまりそちらの方面には力を入れてなかったみたいですの」

「それがわかってんだったら、そんなんでアイドルファンドなんてできねぇこともわかるだろ?」


 針中野は軽く鼻で笑う。


「わたくしは、もとよりうちの声優を使ってアイドルファンドをするつもりなんてこれっぽちもないですわ。元から人気の者を金融商品として売ればいいだけですの」

「つーことは、んじゃなんだ、引き抜きでもするっつーのか? 正直、他の事務所が稼ぎ頭をほいほい移籍させてくれるわけねぇと思うがな。アンタのアイドルファンド失敗すると思うぜ」

「引き抜きなんてしませんわ。条件の提示を考えるだけでもめんどくさいですの」


 その言葉を聞いて、黄金の背中にひやっとするものがあった。

 何故だかわからないが、手に取るように鼓動が速まっていくのを自覚する。


「わたくしは――」


 次の瞬間、針中野の言葉とフロア到着を知らせる音が同時に黄金の耳に突き刺さった。


 ――声優事務所にTOBを仕掛けますわ。

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