第34話 アイドルファンドの失敗歴
社員らしき者が怪訝そうな表情をしながらエレベーターから降りた。
喫煙ルームはあと三階ほど下に所在する。
それまでに一番聞いておきたかったことを黄金は口にした。
「統括、ひとつ聞いていいか」
「嫌ですの」
即答であった。
「さっきも言いましたわ。今のわたくしはあの頃の統括プロデューサー、針中野千草ではありませんの。だから、統括って言葉は辞めてほしいですわ」
「だったら、なんて呼びゃあいいんだよ。社長か? けど、まだ社長ではねぇんだろ?」
「えぇ、社長ではないですの。だから、千草でいいですの」
「はっ?」
「だから、千草でいいですの」
針中野が同じ言葉を繰り返す。
言葉こそ丁寧であったが、子供が物をねだるような率直さがあった。
「針中野さん、ひとつ聞いていいか?」
「千草でいいですの」
針中野が髪の中に指を滑り込ませながら言う。
黄金は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「千草……さん」
「まぁ、今はそれで許してあげますの。で、なんですの聞きたいことって」
針中野は黄金の言葉に頬をリスのように膨らませながら、応じた。
「アンタはさっき社長が交渉してきたって言ったよな?」
「言いましたわね」
「たしかに社長が勝手に交渉をしてきんだとしても、それだけで次期社長になるとは思えねぇ。なりたいって言ったのはアンタだろ」
「そうですわね」
「なんで社長になりたかったんだよ」
黄金が針中野の目を見て、適格な答を要求する顔をした。
針中野は返答の代わりにそっと目を閉じた。
「それも自分が社長になった方が面白くなると思ったからか?」
針中野の動作ひとつひとつに注目して、返答するのを待った。
しかし、相も変わらず反応は認められない。
「じゃあ、なんなんだよ」
黄金がさかんに発破を掛けてみても、針中野は黙りこんで、目を閉じていた。
どこにも行きつかなかった声の響きが、やがて密室の中に溶け込んだ。
「だったら、なんだ、……復讐なのか?」
黄金は頭に浮かんだ言葉をそのまま針中野に告げた。
今までなんらの反応を示さなかった針中野が唐突に吹き出した。
袖に顔をうずめてさらに笑う。
エレベーターがひとつ下の階に止まってもそれは続いていた。
あまりに笑いがおさまらないので、黄金は次第にムッときてしまう。
そんな黄金の心情が針中野に伝わったのか、彼女は袖からようやっと顔を上げた。
「復讐って何の復讐ですの?」
針中野はそう逆に質問してきた。
「VOTの統括プロデューサーを外されたことだよ」
黄金の言葉に再び針中野が吹き出した。
「ひとつ誤った認識があるみたいですわね」
「誤った認識だぁ?」
「そうですわ。美旗社長はわたくしの地位を無理に奪ったわけじゃないですの」
「なっ」
初耳であった。
「わたくしは自らVOTの統括プロデューサーを降りましたの」
「嘘つくんじゃねぇよ」
「嘘ではないですわ」
「何のためにだよ。アンタは無茶苦茶だったが、あいつらを誰よりも理解してたし、応援してたじゃねぇかよ。初っ端のガラスの演出も全部アンタのポケットマネーだろ。それだけじゃねぇ、あいつらが本格的に売れるまで、会社の予算で足りなかった分は全部アンタが負担してた。こまけぇ計算はしてねぇが、うん千万はいってんじゃねぇか。自分の子供でもねぇ他人にそこまでやってたやつが、自分から身を引くぐらいの理由って何なんだよ」
言ってる黄金自身でも少し語調が強すぎるのではないかという気がした。
しかし思わずそういう声が出てしまった。
それほどまでに、かつての上司が自分から地位を譲渡したことが信じられなかったのだ。
針中野は目を細めながら、ふっと笑う。
「強いて言うなら居場所を守るためですわね」
「馬鹿言うんじゃねぇよ。逆に居場所を失ってるじゃねぇかよ」
「わたくしの居場所じゃないんですの」
「アンタの居場所じゃなけりゃ、誰の居場所だよ」
問いは分厚い沈黙の層に再び跳ね返された。
エレベーター内がにわかにがらんとした静寂に包まれる。
黄金は針中野の言葉の奥に秘められた意味を探ろうとする。
しかし、一向にわからない。
そんな最中、針中野が黄金に話しているのか、自分に言い聞かせているのか判断のつきかねるつぶやきを漏らす。
「長年考えていたことを実行できる場を作りたかったのですわ」
突然の言葉に黄金は反応に困った。
「わたくしが社長になりたいと思った理由ですの」
そう付されて、針中野がひとつ前の問いに答えていることに黄金は気付いた。
「長年考えていたことだと?」
「そうですの。ところで、ココちゃん、わたくしが海外で携わっていた事業が何か気になりません?」
「特に興味はねぇな」
「つれませんの」
針中野が唇を尖らせる。
「まっ、いいですの。ちなみにわたくしは海外の証券部門で取締役を務めていたのですわ」
「オレが聞かなくても言うのかよ。って、証券部門だと?」
針中野がこれまで携わっていた業種を聞いた瞬間、彼女が昔口にしていた言葉が黄金の頭の中に鮮明に浮かび上がってきた。
苦笑がじわりと湧く。緊張感に口の中が乾く。
「まさか、アンタがやろうとしてるのはアイドルファンドか」
アイドルファンド。
その名の通り人間、とりわけアイドルを投資商品として売り出し、人々は投資することにより、彼女らのプロデュースに参加することが可能となる。
そして、そのアイドルが売れた場合、収益が還元されるというものである。
信じられないような話であるが、かつて実際に行われたやりとりであった。
実際に行ったのは、ジョット証券とイニシア・ムーン証券の二社のみで、前者は吸収合併され、跡形もなく消滅した。
後者は、顧客区分管理必要額を事業の運転資金等に流用するなどの悪質な行為が明るみに出た結果、金融商品取引業者としての登録を取り消されたとのことであった。
アイドルとは言うものの、これらの投資商品はグラビアアイドルであったため、針中野はVOTのようなアイドルでやるのもありだ、と統括プロデュ―スをしていた頃こぼしており、黄金にはなぜかそのときの記憶が色濃く残っていた。
自分で言っておきながらも、ばかばかしい話であり、否定して欲しい気持ちを抱きながら、黄金は針中野を注視した。
針中野は首を横に振る。
否定されたことにより、黄金はホッと安堵のため息を漏らそうとした。
しかし、――
「惜しいですわ。正確には声優アイドルファンドですの」
――ため息が中断させられる。
「……声優アイドルだと」
「そうですわ。アイドルファンドなんて今やっても意味ないですの。アイドルはもう死にましたわ」
針中野は無感情にそう言って、冷たく突き放すように黄金を見た。
言葉が無意味に黄金の鼓膜の上を滑っていった。
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