第33話 振り回される方はたまったもんじゃない
「わたくし、あなたのお父様とお仕事をするのが好きでしたの」
針中野が声を弾ませる。
「日常生活からパチンコ、スロット、競馬等といった博打がお好きな方でしたから、仕事でも無茶苦茶な提案をたくさんしてきましたの。彼のおかげでわたくしは色々と考えることができましたわ」
針中野はうふふと忍び笑いをもらした。
「ココちゃんのお父様たちとアイドルの企画を立てたときは本当に楽しかったですわ。……惜しい人を亡くしたものですわね」
「勝手に殺すな。オヤジは亡くなっちゃいねぇよ。ただ、眠ってるだけだ」
黄金はきっぱりと言った。
「そういった解釈は嫌いじゃないですわよ」
「解釈じゃねぇよ」
「それにしても、ココちゃんはますますお父様に似てきましたわ。けれども、--」
黄金の言葉をスル―して、針中野が言う。
「いつまでも過去にしがみついていては駄目ですわ」
エレベータの扉が開く。
またしても人は乗ってこない。
黄金は閉のボタンを押そうとした。
しかし、それは再び針中野によって阻止されてしまう。
黄金は一度ならず、二度も同じ行動を起こす針中野を睨めつけた。
彼女は対照的にふっと笑い、閉のボタンを軽くタッチした。
「どれだけ受け入れられなくても、時は必ず進んでいますわ。さながらこのエレベーターのように。わたくしはそれを認識しておくために、白髪は全部染めずにわざと少し残してますの」
時は必ず進んでいる。
それはこれまでにも何度か、針中野が黄金に言った言葉だった。
しかしながら、今このときに限っては、どこか喋り方や目の光が固かった。
黄金は針中野を見据えながら、ふと彼女につけられたあだなを思い出した。
自由気ままな演出家。
黄金の父親のことを無茶苦茶と言ったが、彼女は比較するのもおこがましいほど、規格外であった。
自分が面白いと思えば、どれだけことが進んでいても方向を転換し、実行する彼女を的確に表わした名前だった。
「ガラスでも叩き割ってもらいますの」
それがVOTをプロデュースし始めた時に彼女が言った言葉だった。
黄金はそれを聞いた時、純粋に馬鹿かと思い、聞き流していた。
そんな演出は聞いたことがなかった。
実際、過去の演出家もかようなことを思いついたことがあるのかもしれないが、実行までには至っていない。
そもそも、思いついても予算はどうするのか、観客やアイドルに怪我を負わせることにならないか等実行するのには様々な壁があったのだ。
しかし、そんな考えはそれを目の当たりにした瞬間、すぐに吹き飛んでしまった。
VOTの初お披露目ライブ当日、ステージの周りには強化ガラスが張られた。
針中野自身が手配したものだ。
黄金が彼女に用途を訊ねたところ、彼女は何も言わず笑みを返すのみだった。
観客には、かつてアイドル戦国時代にライブ中、爆発物の類が投げ込まれ、数十人が死傷した事件を引き合いに出して、演者の安全のためという説明がなされた。
アイドル氷河期といえども、まだアイドルのファンが少しはいたが、その者たちにもこのガラス張りのステージは不評であった。
当然である。
強化ガラスが張られると知らされたのは、当日だったのだ。
そうして、最前列でもステージから数十メートル離れて配置された。
ライブ本番、ステージに上がってきたアイドル達を見て、観客は目を丸くした。
黄金自身も知らされていなかったため、同様の反応をした。
何故なら、ステージに現れたアイドルはフルフェイスを被って、バットを引きずっていたからだ。
周りを見渡す。他のスタッフも困惑の色を顔に浮かべている。
当たり前だ。リハ―サルでもアイドルたちはそんな恰好をしていなかったからだ。
ざわめきが大きくなる。
黄金は針中野に視線をぶつけた。
彼女のみは腕を組みながら、口角を上げていた。その口がわずかに動く。
イントロがだんだんと大きくなり、特注した強化ガラスの前でアイドルがバットを振り上げる。
まさか、と黄金が思った次の瞬間、彼女の耳に何かが砕けた音が飛び込んだ。
と同時に眼はキラキラと飛び散る破片及び空中に投げだされたフルフェイスのマスクを捉えていた。
記念すべき初ライブでもあり、VOTの名を世に知らしめることになった一番の出来事であった。
それ以外にも統括だった頃に、針中野は常人が考えつかない無茶苦茶なことを様々と行った。
そして、それらに一番付き合わされたのが、彼女の部下である黄金であった。
振り回される方はたまったもんじゃない。
各種方面の謝罪や気の遠くなるような思いを抱きながら、職務を遂行していたことをふと思い出し、黄金は顔をしかめた。
「いいですわ。その嫌がった顔、まるであの頃を思い出しますの。やはり、ココちゃんはお父様そっくりですわ」
別の階に着いたのか、エレベーターの扉が開く。今度は人が乗ってきた。黄金は営業用の微笑を受かべ、頭を下げる。
乗ってきた者は目的の階を押そうとして、既にすべての階が光っていたため怪訝な表情をする。
他人がいるからか、ふたりは互いに一言も発さない。
やがて、エレベーターから人が降り、扉が閉まると、黄金が切り出した。
「社長が言ってたが、統括、アンタあの男の弱みを握ってるんだってな」
「弱みだなんて人聞きが悪いですわ。わたくしはただ真実を語ったまでですの……VOTのメンバーがこの世から去ることになったあの日の事故の」
「はっ?」
黄金の口から呆けた声が漏れる。
「誰がどこにいて、何をしていたかを克明に。もちろん、ココちゃんがどこにいたかも知ってますわ」
艶っぽい目元が幼く見える、面映げな微笑を浮かべる。
そのことを彼女が知っているはずはなかった。
彼女は当時海外にいたからだ。
そして、事故関係者で生存している者は黄金自身、紫歩、至極を除けば数名程度であった。
そして、その数名が口外することは考えられなかった。
黄金は混乱していく思考回路を、懸命に正常な状態に巻き戻そうと努めた。
「本当に知ってんのか?」
「なんなら、今ここで全てを語りますわよ。ココちゃんが納得するまですべて。あの日本当は誰が呼――」
黄金はガン、と力任せにエレベーターの壁をこぶしで殴った。
鈍い痛みが彼女の手首に伝わる。
「……誰から聞いたんだ」
「ご想像にお任せしますわ」
口許に笑みをたたえたまま、針中野はきらりと瞳を光らせた。
黄金は唾をごくりと呑みこみ、言葉を紡ぐ。
「それで脅して社長になったってわけか」
「ちょっと違いますの。わたくしはただ語っただけですわ。あの事故が起きた時に、実際に移動している車に誰が乗っていて、誰が乗っていなかったかを。そうしましたら、あの人が勝手に金が欲しいのか、何が欲しいんだって勝手に交渉してきただけですわ」
また一つ下の階に到着し、扉が開く。
誰も乗ってこないため、黄金が閉のボタンに手を伸ばそうとするも、その腕が自然と震えた。
その隙に、針中野が閉のボタンを押す。
黄金はチラと針中野の様をうかがった。
彼女は頬と口許に悪徳の陰りをたたえた大人の女へと変貌していた。
微妙な動きを見せた睫毛の繊細な陰りに、黄金は無意識のうちに胴震いがした。
「ココちゃん、寒いんですの? それとも風邪ですの?」
そんな状態の黄金の顔を針中野は両手で挟み込んだ。
彼女の微笑が鋭い情緒に彩られていることに気付き、黄金は怖れが心の中にさざなみ立つのを感じた。
「風邪じゃねぇよ。ちょっと、冷えただけだ」
黄金は針中野を振り切り、少し距離をとった。
針中野はいたずらっぽく首をかしげる。
また、別の階で他人が乗ってきた。
それっきりふたりは口をつぐんだ。
かすかな白檀の匂いだけが透明な静寂の中でまどろんでいた。
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