第30話 子会社によるメリット・デメリット

「ずいぶんと長かったですね」


 黄金が応接室に戻ったところ、男にそんな言葉をぶつけられた。

 彼の顔からは依然として、細やかな汗の玉が噴き出している。

 黄金は彼の言葉になんらの反応も示さず、ソファーに腰を下ろした。

 男がこりずに黄金に言葉を掛ける。


「今日社長に呼ばれた心当たりはありますかな?」

「特にありませんね」

「実は私もないんですよ」

「そうですか」

「ただ……」

「ただ?」

「我々のどちらかは本社への異動のため呼ばれたのかもしれません」

「はぁ」

「とはいうものの、可能性しては私の方が高いと思いますがねぇ。君の方は秘書とかかもしれませんよ。あっ、でも秘書はさっきの方がいましたから、身体だけの秘書なんじゃないですかねぇ」


 はっ、はっ、はっと下卑た、わざとらしい笑いを男はもらす。

 身体だけの秘書という謎ワードはこの際おいておく。

 それよりも、労働基準法を語る前に、人としてのルールを学ぶべきではないのだろうか。

 セクハラに抵触することぐらい考えがつかないのか。

 これほど気持ち悪いものを挙げろと言われる方が、よっぽど難しい。


 黄金の唇の端が意図せずぴくぴくとひきつった。


「男のように出世レースがない、女はいいですねぇ」


 女は、とことさらに強調する言葉に黄金は辟易とするものの、馬耳東風とあしらってやる。

 かと言って、そのままサンドバッグにされるつもりは毛頭ない。


「羨ましいんですか?」

「はっ?」

「そんなに女性になりたいんであれば、性転換手術でも受けたらよろしいんじゃないでしょうか?」


 黄金は左手でネクタイを直しながら、言った。

 肥えた男は、忌々しそうに黄金を睨み付ける。


「ネクタイなんてつけやがって、この男女め」 


 小学生の悪口かと、言いたくなるようなことを口にする。

 と、隣室の扉が開いた音が、黄金の耳に届いた。

 少しして、秘書が顔をのぞかせる。

 黄金よりも前の時間にアポイントをとっていたのか、肥ったごま塩頭の方が呼ばれた。

 彼は部屋から出ていく瞬間にこれみよがしに舌打ちした。


 部屋で一人になった黄金はシステム手帳でスケジュールを確認する。

 空白だらけの未来を目の当たりにして苦笑いをもらした。

 手帳をばたんと閉じ、口臭防止効果のあるタブレットを数粒口に放り込む。

 それから、しばらくの間ぼぅ、としていた。

 時計に視線を落とす。

 気付けば当初のアポイントの時間から1時間以上過ぎている。それでもまだ、隣室からはぼそぼそと声が聞こえる。入室を促す声がなかなか掛からない。

 かなり効いている冷房が身をさす。ようやく扉が開く音が聞こえた。黄金はソファーから立ちあがり、バッグを肩にかけた。


「大変お待たせいたしました。こちらへどうぞ」


 社長室に入る前に廊下の先にふと視線をめぐらす。

 ごま塩頭の背中が視界に入った。

 彼の肥った身体が心なしかしぼんだような印象を黄金は受けた。


「中におりますので、ノックをしたうえでお入りください」


 秘書の言葉に従い、黄金は扉をノックした。


「入りたまえ」

「失礼いたします」


 一言告げると、黄金は社長室へと足を踏み入れた。


 社長室の広さはおおよそ12畳。

 壁には額縁に入った各種免状、賞状、加えて国会会議員、海外の実業家、名前を出せば、誰もが耳にしたことがある日本を代表するような有名人等と一緒に撮った記念写真が大量に掲示されている。

 そんな広々とした部屋の中、背もたれが高くなっている輪転椅子に男が座っていた。

 白髪混じりの短髪に銀縁口角フレームの眼鏡。

 若かりしころの端正な顔のやつれは隠せないが、眼光の鋭さは失っていない。

 この部屋の主である美旗至極は、指先でもてあそんでいたボールペンを机に置いた。


「待たせてしまったかな」

「いえ、そこまで待っておりません」

「朝から用件が立て込んでいたんだ。すまない」


 至極は目を瞑り、大きい吐息をもらした。


「私より先に呼ばれたあの方はどうかされたんですか?」


 本題に入る前に黄金は気になっていたことを訊ねた。


「彼か。彼は前々から部下に対し、いきすぎたセクハラやパワハラをしていたことが組合側から問題として挙げられていた。それに終止符を打ったところだ」


 至極は眼鏡に手を添えながら言った。

 その事実を聞いて、自分以外にもそんなことをしていたのか、と黄金はあきれた。


「そんなことより、君の話をしようじゃないか」

「はい」

「では、まず一つの報告として、SEXY NOVAエンターテインメント株式会社、大阪営業所アイドル事業部は、今後SEXY NOVAエンターテインメント株式会社の子会社とすることが決定した」

「こがいしゃ……」


 黄金はその言葉に何か別の意味を探し、舌の上で転がした。

 しかしながら、いくら考えても子会社は子会社、ほかの意味はない。

 頭をガツンと殴られたような衝撃だった。


「そうだ。今は活動休止中のアイドルが二人だけだと聞いている」

「社長、お言葉ですが、先日一人増えました」

「私の方にまでまだ上ってきてない。私は知らない」


 さすがに黄金の営業用の笑顔が崩れてくる。

 国会の予算委員会のような答弁に、彼女は奥歯をかんだ。


「まず、上ってくる帳簿の数字を見ても、このまま遊ばせていても発展は見込めんだろう。そう考えると子会社にしておいた方がいい。勿論、サポートは最大限にさせてもらう。ただ、メインはアイドルではなく、今話題の声優アイドルを考えている」

「だとすると、今うちに所属しているアイドルはどうなるんですか? また、サポートとは、どのようなサポートをお考えですか?」

「君がそこまで気にする必要はない」


 至極は目に凄味をきかせた。彼は節くれ立った人差し指を突きつける。


「君には異動してもらう」


 いきなり殴打されて痛手を負ったところに、とどめの一発を食らった。


「好きな方を選びたまえ」


 至極は自身の目の前の机に2枚の紙片を置き、黄金の方に勧めた。

 黄金は近付き、紙面に目を走らせた。


「今すぐに選べとは言わない。だが、数日中には――」

「決めました」


 黄金が話の腰を折る。


「……ほんとうに今すぐ決めていいのか?」

「はい、すぐに答えは決まりました」


 黄金は、至極の机で提案された辞令を重ねて、整えながら答える。


「私は紫歩さんに最後まで付き合います」

「は?」


 至極が思わず聞き返したほど、鋭い黄金の言い方だった。


「それはどういう意味だ?」

「こういう意味です」


 黄金は重ねた辞令を真ん中から引き裂くと、それを重ねて四つに裂き、八つに裂きを何度も何度も繰り返した。紙片がヒラヒラと地面に舞い落ちる。至極は信じられない、と何度もまばたきをした。厳めしい顔がすぐにそれとわかるほど紅潮したかと思えば、次の瞬間には蒼白となった。


「何が不服だ」

「不服は有りませんよ。役者として、グループ内の芸能事務所に所属させていただけるというお話も、本社の課長に任命していただくお話もどちらも魅力的でした」

「だが、君は今それを破いた」

「はい、破きました」

「不服があったからではないのか?」

「そうではありません。私は紫歩さんがほっとけないだけです」

「アレは立派な社会人だ。一人でもなんとかなる。そんなところに貴重な戦力を割きたくはない」

「評価していただき有難うございます。ただ、私の意見は変わりません」


 至極が苦笑いをもらす。


「微塵も感謝していないのなら、言わない方がよっぽどいい」

「感謝してないわけではありませんよ」


 黄金がくすり、と笑う。


「なんなら解雇にでもしますか?」

「……解雇は辞めておこう。ただ、これは私が決定したことではない。だから、拒否できるなどと思わない方がいい」

「社長が決定していないとなると、どちらさまが私の人生を勝手に決めたんですか?」

「わたくしですよ」


 黄金の耳に声が突き刺さるのと同時に、白檀に似た香りが、どこからかにおい立った。

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