第23話 仮面を取った素顔

「ちょっと、ましろん聞いてる?」


 狐さんに頬を両手で挟まれ、無理やり向かせられるましろ。


「ちゃんと聞いてますよ」


 彼女に返しながら、ましろは横目で赤い狐面の者がいた辺りをチラ、と見た。

 既にそこには誰もいなかった。

 言いようのない恐怖がましろを襲う。


「で、お店の中、結局見なくていいの?」

「はい、大丈夫です」


 本心から出た言葉であった。

 赤い狐面の者から自分へ向けられていた、すさまじいほどの敵意が頭の大半を占めており、ステージのパフォーマンスへまで意識が向きそうになかったのだ。


「じゃあ、オーナーも戻ってきてるかもしれないし、初めのところに戻ろっか」

「すみません。その前にお手洗いだけ借りてもいいですか?」

「あー、トイレ行きたかったんだ。なんだ、早く言ってくれればよかったのに。すぐ、案内するね」


 狐さんがその場から歩き出す。

 ましろもそれについて行こうとした。

 が、その場ですぐに後ろを振り向いた。嫌な視線を感じたからだ。

 けれども、そこにはやはり誰もいなかった。

 顔を前に戻し、左右に振ると、その場から歩き始めた。

 しばらくすると、狐さんが立ち止まる。

 さすがのましろも今度は鼻の頭を背中で打つなんてことはなかった。


「で、これがトイレ」

「これ、ですか」


 紹介されてましろは戸惑った。


「なんでトイレ三つもあるんですか」

「えっ、男性用と女性用とフリーって感じ」

「フリーって何ですか」

「ん? 性別も年齢も身体的な特徴も気にせず、誰でも使えるって意味だけど」

「はぁ」

「好きなの使っていいよん」


 ましろは躊躇せず、女子トイレを選んだ。

 中に入ると鏡の前に立ち、両頬を手で軽くポンと挟む。


「しっかりしなきゃ」


 蛇口をひねり、手を洗う。

 そうして、ましろがトイレから出ると、どこかへ向け、狐さんは上げた手を振っていた。

 彼女の視線の先をたどる。

 そこには、赤い狐面を付けた燕尾服の者がいた。

 またしても、視線が交差した。

 間断なく悪寒が立ち上ぼり、脳天へと突き抜けていく。

 その場から一歩も動けないような圧力を感じていると、ましろに背を見せて、その者は立ち去った。


「あ、あの人は誰なんですか」


 ぶるっと背を震わせ、ましろが言う。


「あぁ、アイツ? んー、アタシの大切な人かな」

「ってことはあれが狐さんがさっき会いたくないって言ってた人ですか?」

「いや、会いたくないわけじゃないし、むしろ四六時中会ってたいって。で、それがどうかした?」

「違うんです。おそらく、あの人が私に並ぶよう言ってきた人なんです」

「あ、そうだったんだ。たしかにアイツあんまり人の話聞かないからなー。頑固っていうか、なんというか。ごめんね。うちのが迷惑かけちゃったみたいで」


 狐さんが顔の前で片手を立てて謝る。


「いえ、別に謝ってもらいたかったとかじゃないんで……」


 二人の間に気まずい空気が流れた。

 先に耐えきれなくなったのは狐さんだった。

 彼女の手がつと伸びて、ましろのスカートの裾をぴらっとめくる。


「な、何するんですか!」


 突然のことにましろは困惑しながらも、身体を引いてスカートの裾をおさえた。


「やー、その格好ちょっとダサいっていうかイモっていうか、なんだかなーって感じなんだよね。THE田舎娘って感じで」

「そうですかね」

「うん。逆に聞きたいけど、そんな格好してる人ここらへんで見かけた?」


 聞かれてましろは自分の身体に視線を落とす。

 トップスは白シャツ、その上に暖色の透かし編みニットカーディガンを羽織り、胸の辺りでリボンを結んでいる。

 ボトムスは膝上までのチェックの入ったフレアスカート。

 いわゆる学生の延長のような格好である。

 道行く人々を思い出す。

 たしかに自分のような格好をしている人は見た覚えがなかった。


「でも、下着は背伸びしすぎなんだよね。アンバランスっていうか」


 狐さんがおっさんのような笑いをもらす。


「あっ、もしかして、下着の方は誰かにもらったクチ?」


 ましろはその問いに対しては、ノ―コメントを貫いた。


「まぁ、いいや。その辺はおいおい仲良くなってから聞いちゃうから。で、見てみ、ここの服。メチャクチャかわいでしょ」


 狐さんが両腕を伸ばしてポーズをとる。

 全体的にフリルがあしらわれており、袖の辺りは中手骨の辺りまで覆うアンブレラスリーブをベースとしていながら、手首の部分を細い紐によりちょうちょ結びで軽く縛っている。

 首元には大きなリボンが付属しており、メイド喫茶のような服装といっても遜色がない。

 かといって、スカートの丈が短かったり、露出がおおいようなデザインではない。

 いたって健全でありながら、かわいらしさだけは現存していた。


「たしかにかわいいですね」

「でしょ、でしょ。よーし、そしたら、ましろんも着ちゃおっか」

「えっ、何度も言ってるんですが、私まだ採用さえ決まってないんですけど……」

「大丈夫、大丈夫! そん時はそん時で考えればいいからさ。ってなわけで着替えちゃお」


 狐さんはましろの背をどんどん押していく。

 その力が以外にも強い。

 ましろは抵抗することを諦めて、ただただ彼女に身を委ねた。

 しばらくすると、更衣室に放り込まれる。


「ちょっと待っててね」


 言いながら、狐さんが立て掛けていた脚立に手を伸ばした。


「何しようとしてるんですか?」

「えっ、お店の服の在庫あるとこ、背伸び程度じゃ届かないんだよね。だから、脚立使おうと思って」

「そこまでしてもらわなくていいですよ」

「えーっ、でも、アタシ、ましろんがコレ着てるの見たさあるんだよね」


 狐さんが自分の着ている服を引っ張りながら言った。

 そう言われてしまうと、ましろとしては彼女の行動を止めるに止められない。


「すっごい、どうでもいいことなんだけどさ」


 狐さんが更衣室内の備品置き場になっている箇所に脚立を持っていく。


「はい」

「脚立って天板の上にのっちゃダメだし、またがって使ってもダメなんだよね」

「はぁ」


 ましろは曖昧にうなずくことしかできなかった。

 そもそも天板がなにかすらわからない。

 そんなましろをよそに、脚立の開き止めを完全に開き、狐さんはロック部を固定していく。


「これで、よーし」


 狐さんはそうして、手に何も持たず、脚立をのぼっていく。

 そうして、三段目の踏み桟に足をかけ、それより上にはいかなかった。


「さっき、なんとなくってましろん言ったじゃん」

「えっ、なんのことですか?」

「志望理由。ここ受けたことに対する」

「あぁ」

「アタシもアイツが働いてたからなんとなく入ったけど、入るまではこんなこと知らなかったんだよね。全然違う仕事してたから」


 脚立に乗りながら、狐さんが苦笑する。


「そうなんですか」

「だから、なんとなくでもアタシいいと思うんだよね。いろいろ働いてたら学ぶことあるし。そりゃ、明確な志望理由があるのが一番なんだけどね」


 さらっとした口ぶりで言われ、ましろは狐さんにいっそ好感を持った。

 と同時に罪悪感ももった。

 自分が黄金に言われたことを実行するために志望したことに対して。


「うーん、予備の着替えがあったはずなんだけどなー。もう少し奥かなー」


 そんなましろの心中など察することなく、狐さんは更衣室の備品置き場を探る手を、さらに深く突っ込んでいく。

 ましろはただそれをじっと見つめていた。


「ひゃっ、蜘蛛」


 狐さんが備品置き場に突っ込んでいた腕を思い切り、振り上げた。

 絡みついていた衣類の類が宙に浮かび、少しすると自然の摂理に従って落ちていく。

 離れて見ていたましろには被害はなかったものの、狐さんには被害があったようで急に思い切りのけぞった。

 彼女の上に次々と衣類が重なる。


「おぉ、セーフ。あやうく労災になっちゃうとこだったよー。ましろんには被害なかった?」 


 衣類を取っ払った狐さんがましろに顔を向けて言う。


「私にはないんですけど……」


 ましろが答えると同時にカラン、と乾いた音が更衣室に響く。

 そのまま、音の発生源はくるくると回った挙句、絵が描かれた側を上にして止まった。


「へっ」


 狐さんから何が起こったか分からないような、情けない声がもれる。

 彼女の素顔が見えた瞬間、ましろは全身の神経が針のように立ち、血液の流れが一気に加速するのを感じた。


 きれいにマスカラが塗られた睫毛。

 ぱっちりと開いたこわくてきな瞳。

 化粧自体はなされているが、一切の色ムラがなく、細かい凹凸は生じていない。 

 肌も雪を思わせるような白さである。

 しまりのいい唇は、口角に絶えず機嫌のいい笑みをたたえている。


「忍海桜桃……さん」


 自分の声を、ましろはどこか遠くに聴いていた。

 先刻から行動をともにしていたのは、ましろが所属する事業部の先輩に当たり、現在休止中女性アイドルユニットriwegの――


 ――おし桜桃ゆすらであった。

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