第22話 名前の後ろに『ん』をつけたらかわいくない?
狐さんが止まってくれていたおかげか、ましろはすぐに彼女に追いついた。
「ねー、ねー、スーさんと何の話してたの?」
「えーっと、どこかで会ったことがないかって聞いてました」
「えっ、何それ新手のナンパ?」
「違います、違います! ほんとに会ったことがある気がしたんです」
「気?」
「そうです」
「はっきりわかんないの?」
「目しか見えなかったんで、ただ、あの目には見覚えがあったんですよ」
「んー、他人の空似じゃない?」
狐面越しにあごの辺りに人差し指を押しあてる狐さん。
「そうなんですかね。菰野さんにも前世で会ったかもしれない、ってはぐらかされましたし」
「ふーん、まっ、そのうち思いだすかもよー」
「ですかね。あ、あと気になったことひとついいですか?」
「アタシが答えられることなら別にいいよん」
爪に塗ったマニキュアを眺めながら、狐さんが適当に返した。
「さっき狐さん、ましろんって呼んでましたけど、あれ、なんですか」
「あぁ、あれ? あだな、あだな。ましろんってかわいくない?」
「かわいかどうかは置いておいて、ましろまでは名前なんでわかるんですけど、ん、っていったいどこから来たんですか?」
「えーっ、んって名前の後ろにつけたらかわいくない? マカロンとかマキ○ンとかマク○ンとか」
「百歩譲ってマカロンはかわいいの部類に入るのかもしれないですけど、二つ目に限っては消毒液ですし、三つ目はもはや意味をなした単語ですらないですよね?」
「ちっ、ちっ、ちっ、ましろんは不勉強だね。もっと社会勉強ってもんをしないと。三つ目は人の名前。ちなみにお店にちなんでちゃーんとフランスにゆかりのある人の名前だったりするよん」
「……すみません」
釈然としない気持ちで、ましろは取りあえず謝罪した。
「んーだったら、スーさんみたいにフロマージュとかの方がいい?」
「そんなチーズみたいな名前ではなかったですけどね」
「あれ、違ったけ? ブランケットだったけ?」
「そんな軽装の防寒アイテムみたいな名前でもなかったですけど……。もう、それだったら、ましろんでいいです、はい」
これ以上自分のあだな談義をするのも面倒であったため、ましろは早々に白旗を揚げた。
「じゃあ、ましろんも納得してくれたみたいだから、話は戻るけどさ。キッチンは今見た感じ。んー、あとは、お店の中ぐらいだけど、一回見たんだよね?」
「はい。ステージで歌ってるのすごかったです」
「あれはうちの名物みたいなもんだからねー。まさしくお店の名前を体現してるって感じだし」
「お店の名前? あのピューブルのことですか?」
「へぇ、読み方知ってるんだ。なんとなくで志望したって割にはやるじゃん」
「でも、意味はわかってないですね」
ましろが苦笑する。
「逆に面接する前から調べてる人の方が珍しいと思うけどな―。実質、アタシも入ってから教えてもらったし」
「そうなんですか」
「うん。だから、恥いる必要なんてないんだけどね。ちなみにピューブルはフランス語で『たこ』っていう意味。そこから、従来の枠組みにとらわれない柔軟な発想を持つこと、っていうのがこのお店のモットーになってるんだよねー。普通、フランス料理提供するようなところで公開カラオケやらライブもどきをしようだなんて考えないよね」
「たしかにそうですね。食べるところですし」
「でも、このステージなんかは柔軟な発想のうちのひとつでしかないんだけどね。この仮面も発想のうちのひとつだし」
「気になったんですけど、その仮面って付けないといけないルールみたいなものってあるんですか? さっき私が話した燕尾服の方も事務所の場所を教えてくれた方も付けてましたけど」
「んー、特段強制的ってわけでもないし、それこそ自由なんだよね。けど、このお店にはアタシも含めて結構ワケありな人が多いからこんな感じにしてるんだよねー。あとはストーカー対策にもなるっちゃーなるし」
「ストーカー!」
ましろがすっとんきょうな声をあげる。
「うん。顔が明らかになったばっかりにストーカーされちゃう子も過去にはいたみたい。うちって昔から結構、美人さんが集まりやすいんだよね。他にもス―さんみたいな現役の声優とかもいるし」
「声優」
ましろはその言葉を口に出すと、なぜだか知らないが、頭の方がかぁっと熱をおびたような気がした。
血が逆流する。
知らず知らずのうちに拳を握りしめてしまう。
「どったの、ましろん? 急に怖い顔して」
狐さんがましろの顔をのぞき込んだ。
はっ、となり、ましろは平静を装って言葉を返す。
「なんでもないですよ。それより、菰野さんって声優だったんですか?」
「一応ね。最近はソーシャルゲームっていうのに出てるのが多いらしいけど、地上波のアニメもたしか何回かは出てたんじゃないかなー。なんか、店長がそんなこと言ってた気がするし。アタシ自身はアニメって見ないんだけど、スーさんが声あててるやつなら見たいって思うんだよねー。けど、本人教えてくれなくてさ―。あっ、もしかして、ましろんがス―さんに会ったことあるかもしれないって言ったの、顔を見たことあったっていうのと勘違いしたんじゃないかな? ほら、雑誌とかで見たことあるのかもしれないし」
「えーっと、私もアニメって見ないですし、そういう雑誌も買わないんですよね。だから、それは違うと思います。それに、見たっていう感じじゃなくて、たしかに会った気がしたんです」
「ふーん」
狐さんがましろの顔にじっと視線を注ぐ。
「なにかついてますか」
「べっつにー。で、ちょっと、話はそれちゃったんだけど、お店の方は案内しなくてもいいかな? 今アイツに会ったら勘違いされるかもしれないし」
「アイツ?」
「こっちの話だから別に気にしなくていいよん。って言っても、あそこ抜けたらお店の中ってすぐなんだけどね」
狐さんがある一点へ向け、指差した。
STOP! 転倒災害と書かれたポスターが貼られている通路の向こうから、歓声が聞こえる。
先刻見た天馬のように羽根を持ったジャンプが頭の中に浮かぶ。
ましろの足は自然とそちらへ寄せられそうになる。
自分の意思に抗い、なんとか打ち克ったましろは狐さんに声をかけた。
「じゃあ、次のところ案内してもらえますか」
狐さんからの反応はない。彼女はましろの爪先のあたりをじっと眺めていた。
「狐さん?」
「やっぱ少し行ってみる?」
「えっ」
ましろは、狐さんの言葉がさも意外であったかのように、大袈裟に目をしばたたいた。
「だって、ましろん、すっごく見たそうだもん」
「そ、そんなことはないんですけど……」
「でも、爪先が明らかにお店の方に向いちゃってるんだよね」
指摘されて、ましろは自身の爪先の辺りを見た。
身体はステージから離れようとしていたが、爪先だけは言われたとおり、お店の方へと向いている。
「どうせ、見るとこあんまりないし、少しだけなら案内してあげるよん」
「けど、狐さん、あんまり会いたくない人がいるんじゃないんですか?」
「アイツのこと? いや、むしろ会えるんなら四六時中会ってたいぐらいなんだけど、今ましろんといるじゃん。ちょっと誤解されちゃいそうでさ」
「誤解?」
「そっ、今ってましろんと二人きりじゃん。こういうの見たらアイツすーぐ浮気だって言ってくるんだもん」
「浮気? つ、つかぬことをお伺いしますが、狐さんって男の人なんですか?」
「ううん、違うよん。アタシはたぶん女に分類されるんじゃないかな」
「だったら、浮気とか思われないんじゃないですかね? 女同士ですし」
「女同士っておかしいかな?」
這って迫ってくるような声音だった。
物言いは静かだったが、断固たる調子が感じられる。
ましろの背筋に冷たい液体がはしった。
狐面に隠されてはいるものの、その下から殺気がもれでているかのようであった。
ましろ自身、ただなんとなく言った言葉のどこに、彼女を怒らせるような要素が含まれていたのかわからなかった。
ごくり、と生唾を飲み込む。
「べつにおかしくはないです」
震える声でそれだけ紡ぐ。
「だよねー。やっぱり好きになっちゃったら、たとえそれが同性であっても次元が違っても、ましてや人じゃなかったとしてもそれは仕方ないことだよね。好きなんだもん」
「えっ」
「だ・よ・ね」
「は、はい」
「だよねー。ましろん、理解あるわー。うん、これならここで働いてける。大丈夫」
狐さんが顔を近付けてそう言った。
耐えきれないように、ましろは顔を狐さんからわずかにそむける。
ふと、視線の先に誰かがいるのに気付く。
目を凝らすと、燕尾服を着た者が入口に立っていた。
赤い狐面を装着しているため、表情自体ははっきりと見えないが、なんとなく剣呑なものをましろは感じ取った。
たった今狐さんから感じたような、瞬間的な殺気ではない。
冷徹な目。
それは明らかに人が人に向けるようなものではなかった。
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