第21話 厨二病患者の病状は約1カ月続くらしい

 ステンレスカラーの製菓設備が機能的に配置されている。

 少し離れたところに置かれているケーキクーラーや角バッドに網を置いたものの上には、甘い匂いを放つリブィエール等のフールセックやフィナンシェ等のドゥミセックが並べられていた。


「スーさん、ハロー」


 ましろが普段あまり見かけない光景に目を奪われていると、狐さんが巨大なオーブンをのぞいている、栗色の髪の女性に声を掛けた。

 ス―さんと呼ばれた彼女は、振り返ってましろたちの方に視線をぶつけた。

 狐さんのように狐の面を付けてるようなことはない。

 代わりに鼻と口をすべて覆ってしまうような、いわゆるカラスマスクを装着している。


「くっくっくっ、フル―ルド・スリ―ジエよ。我のことをス―と呼ぶのをやめよ、と何回言えば理解するのだ」

「いや、でも、流石にさんってつけてるじゃん? 逆に菰野さんって小物みたいで馬鹿にしてる感じが出ちゃうし。ってか、スーさん今日はそんな感じなんだー」

「であれば、くるるさんという言い方もあろうが……」

「くるるさんはくるるさんで噛みそうになるし。やっぱ、スーさんが一番! 響きに可愛さもあるし!」

「当事者を放ったまま勝手に自己完結するでない……。まったく……して、フル―ルド・スリ―ジエよ、そこにおる小動物のような者は誰だ」


 ぎろり、とスーさんと呼ばれた女性が矛先をましろに変えた。

 痛い言動とは裏腹に、くっきりとした二重瞼の下の目には、冷たさを感じさせるほど聡明な光がある。

 まるで、計算しながら会話をしているような、ましろにはそんな気がしてならなかった。


「初めまして、私、戸田ましろって言います」

「ましろか。ブランシュと言ったところだな。我が名はル・セルクイユ。以後、よろしく頼む」


 五本の指をピンと伸ばし顔を覆ったまま、彼女が名乗る。


「ぶ、ぶらんしゅ?」


 ましろはあらためて、ル・セルクイユとやらを見つめた。

 何度見ても日本人にしか見えず、頭を悩ませる。

 加えて、カラスマスク越しに鼻翼が口の動きに合わせてひくひくとなっているのが、気になって仕方がない。

 それが狐さんに伝わったのかどうかはわからないが、彼女はいきなり手をあげだした。


「はいはーい、この人は菰野枢(こものくるる)さん。通称ス―さん。れっきとした日本人でーす。ちなみにうちで、ス―シェフをやってる人だよん」

「ス―シェフってなんですか?」

「ス―シェフとは、副料理長。いわば、この組織の序列第2位にあたるものだ。小娘どもよ、崇めたてまつってもよいのだぞ。ほれほれ」

「今日はちょーっとメンドクサイ感じだけど……思い返せば、いつも結構メンドクサかったわー。この前なんて女王様キャラだったし」


 乾いた笑みをもらしながら、げんなりとした調子で狐さんはこぼした。


「おいおい、下げてから更に下げるな。普通は下げたら上げるものだぞ。フル―ルド・スリ―ジエよ、せめて少しはフォローしてくれまいか」

「にゃはは、メンゴ、メンゴ。ってかス―さん、そのフル―ルド・スリ―ジエってどういう意味なの?」

「くっくっくっ。貴様もフランス料理を扱う店で働いている身なれば、少しはフランス語を勉強せぬか」

「それとこれとは関係なくない? その理論でいったら、イタリア料理屋で働いてる人はイタリア語勉強しないといけないし」

「ああ言えば、こう言いおって。まぁ、いい。フル―ルド・スリ―ジエとは、貴様の名前をフランス語にしたものだ。ちなみにブランシュもそこの小動物の名に含まれている『しろ』をフランス語にしただけだ」

「思った以上に単純だった! って、ス―さん、しれっと本名バレほんとやめてもらえません?」

「貴様、いきなりのガチトーンをやめろ! 普通にへこむぞ。なぁに、そこのブランシュもわかってはいないようだぞ」

「今回はわかってなかったみたいなんですけど、もしフランス語が流暢な人だったら軽くバレますよね」

「否定は出来ぬ、しかし、いつも思うが、何故そこまで名前が明らかになることにこだわる」

「なんか狐のお面で顔隠してるのに、初めから名前ばれたら意味ないというか、なんというか。とりあえず、アタシルール的な」


 薄茶色の髪の毛をくるくると手で弄びながら、狐さんは唇を尖らせる。


「これはすまんかった。しかし、これまでもバレているではないか。現に貴様より後に入ったものは何人か知っているだろう」

「バレてるんじゃありません。自分から選んでばらしてるの。アタシの過去のことを知らなさそうな人に留めてるのが、アタシのルールじゃん。後々メンドくさくなると嫌だし」

「じゃんと言われても、貴様のルール的なものは我にはわからん」

「まぁ、別にいいどさー。それより、その口調なんかウザい。いつまで続くの?」

「約1カ月後だ。その日、我は首都、東京において、更なる高みへとのぼる」

「あー、ってことはその日はス―さんお休みってことですねー。1カ月近く厨二病チックな喋り方されるのはメンドくさいけど、東京土産でチャラにしますんで。よろー」

「調子のいいことばかり言いおって」


 狐さんと枢の漫才のような会話についていけず、ましろがふとキッチン内に視線を巡らせると、やはり置いてある菓子類が目を惹いた。

 塗布させたドリュールの光沢が艶めかしい。

 昼食を食べていなかったからか、それはよりいっそうましろの胃袋を刺激した。意図せず、きゅるーという気の抜けた音が腹部から発せられる。

 会話に興じていた二人がそれに反応した。

 ましろの頬が紅潮する。


「やー、確かにこんなところにいたら、お腹すいちゃうよね」


 狐の面をましろに向けながら、狐さんがフォローする。


「こんなところとはなんだ。戦場だぞ、ここは」

「……で、スーさん、今何作ってんの?」

「無視か。……アンガディーネだ」

「アンガディーネ?」


 枢の発音とまとう雰囲気から武器か何かを作ってるように、ましろは思えてしまう。

 そんなましろに対し、得意げに狐さんが説明する。


「タルトに胡桃とヌガーを入れて蓋をして焼いたお菓子。めちゃくちゃ甘くてホントにやばい。語彙力なくなるレベル」

「正確に言えば、少し異なる部分もあるが、素人に詳しい説明をしてもまるで理解は出来んだろう。概ねそようなものだ。結構人気がある」


 狐さんは唇の前あたりに人差し指を当てながら、大きな瞳を無秩序にケーキクーラーの表面に往来させている。

 何を選ぶか考えあぐねているようだった。


「先に言うが、それはまだやれんぞ。お客様用だ」

「言われなくてもわかってますよーだ、スーさん。ただ、余ったらもらえるんでしょ」


 にやりと狐さんが口元で笑う。


「言葉は正しく使え。正確には余らんが、余分に作ってるだけだ、従業員(きさまら)の分もな。序列第1位(オーナー)に感謝するんだな」

「はいはい、感謝してますって。てな訳で、アタシは新人案内の旅に戻りまーす。そんで、あとで余りを取りにきます! どっちんしろこれ、装着してたら食べらんないし」


 狐さんはびしっと敬礼すると、キッチンから出た。


「まったく、あいつは……」


 枢がため息をもらす。

 ましろは狐さんを追従しようとして出した足を、ふと止めた。

 枢に言葉を投げかける。


「あの」

「なんだ、何かまだ用があるのか」


 問われて、ましろは一度ぎゅっと唇を引き結び、言葉をつむぐ。


「私たちどこかでお会いしたことってありませんか?」


 口に出してから、ましろは自分でも妙なことを言ってしまったな、と思い後悔した。

 思い浮かぶ大阪に来てから会った人といえば、黄金や紫歩、おかんちゃん、それに名も知らぬ紅い髪の女性くらいが関の山だった。

 そして、そもそも元から大阪に知り合いなどいない。

 ましろはなんとか思い出そうとした。

 しかし、何一つ具体的なものに行き当たることができない。

 けれど、なんとなくであるが、枢と会って話した気がしたのだった。


 枢は一瞬、ほんの一瞬だけ目を細めたが、すぐに微笑み、


「前世であったのかもしれぬな」


 と冗談めかして答えた。


「変なこと聞いてすみませんでした」


 ましろはそう言って、軽く頭を下げた。


「ましろーん、何してんのー。次行くよ―」

「待ってください!」


 ましろは先行く狐さんの背中を追い掛けながら、チラと振り返った。

 枢は眉をひそめ、多少不安げな表情でましろの方を見ていた。


「ほーら、遅いと置いてっちゃうよ」

「今、行きます」


 ましろは顔を前に向けて、走り出した。

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