第20話 狐と兎の化かしあい
「ここかな?」
従業員の言葉どおりに歩いていったましろの前に扉が現れる。
もちろん、表のように真鍮製の取っ手が付属しているなんてことはない。
よく見かけるステンレス製のドアノブである。
控えめなノックを二度すると、ましろは中に足を踏み入れた。
入ってすぐの部屋に灯りがついており、人の気配を感じる。
廊下から覗き込むと案の定、部屋の中には人がいた。
その者は椅子に腰掛けている。
ましろに背を向けているせいか顔は見えない。
薄茶色で、ふんわりとしたセミロングの髪が否応なく目を惹く。
「すみません」
ましろはおっかなびっくり、その後頭部に言葉をぶつける。
彼女が振り返った。
耳元にある翡翠がしゃらんと揺れる。
振り向いた彼女は狐面を被っており、表情がわからない。
額の中心に鶏の足を押したような朱い紋様が描かれ、赤で塗りつぶされた耳の根元には、左右に川の字を逆さにしたような黒い紋様が描かれている。
「あのー、すみません」
ましろは再び狐面に言葉を投げかけた。
「聞こえてる」
感情の読み取りにくい声でそれだけ言って、彼女はだまった。
仮面越しに、ましろの目をじっと覗きこむ。
「私、ここに面接のために来たんですけど」
ちくちくと針先が肌に触れるような不快さを堪えながら、ましろは素っ気なく言った。
「んー、面接の時間っておぼえてる?」
「午後一時です」
「今って何時?」
「午後三時を回ったところです、かね」
「で、アンタはなんのためにここに来たの?」
「面接です」
ましろが言った後、場を沈黙が支配した。
次いで何か言葉を発しようとしたが、喉の奥が接着剤か何かで貼り付けられているかのように、上手く声にならない。
そんな中突然、ぽん、と手をたたいて、狐面の女性は愉快そうに笑い声をあげた。
「近年、まれにみる大型新人みたいだね、アンタは」
彼女の予想外の反応に、ましろの頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。
「怒ってないんですか?」
「なんでアタシが怒る必要があるのん?」
彼女の声が先刻のようなかたいものでなく、石をも蕩けさせるような甘いものに変わった。
「面接遅れちゃいましたし……」
「別に面接に遅れようが、アタシにはまったく関係ないんだよね。だって、アタシが面接するわけじゃないし」
「えっ」
「やーやー、アタシ、別にここのオーナーじゃないよん。ただ、休憩がてらここに座ってただけ」
「そうだったんですか」
「でも、オーナーからは面接予定の子が時間どおりに来なかったから、万が一遅れてでも来た場合には、帰らないように言っておいて、って言伝は預かってるよん、一応ね」
語尾をはねさせて、狐面の女性が言う。
「で、アタシが見る限りなにか事故とかに巻き込まれたって形跡は認められないけど、もしかして純粋な遅刻?」
それを聞いて、ましろは午後一時より前には来ていたものの、客と間違われ、素直に列に並んだ結果、この時間になってしまったことを嘘偽りなく話した。
「アンタって変わってるね」
そう言われて、ましろは悪い気はしなかった。
言葉の中に、非難や人と違うことへの嘲りが含まれていなかったからだ。
同じ言葉であっても、暖かさをはらんだ調子で言われると、いっそ誉め言葉にすら聞こえる。
「どったの、いきなりニヤニヤして?」
「そんな顔してましたか?」
ましろは両手で頬の辺りをさすった。
微かに熱を帯びている。
「してる、してる。あっ、もしかしてなんかえっちな妄想とかしちゃった?」
「それはしてません!」
「またまたー、そんなに必死に否定しちゃうのは図星だからかな」
たいそうおかしな冗談を言ったみたいに、手の甲を口元にあて、狐面の女性が笑い声を立てる。
「で、そう言えばさ、どうしてアンタはここで働こうと思ったのん?」
「なんとなくです」
うまい言い訳が見つからず、さりとて馬鹿正直に答えるのは、今後支障をきたす恐れがあるため、ましろはそう答えた。
「なんとなくって珍しいタイプだねー」
「そうなんですか?」
「うん。いやー、たぶんねぇ、普通の会社とかだったら、そういう人が多いかもしれないけど、うちの場合はちょーと違うんだよね。まぁ、一番は自分らしく働けるからって人が多いかなー」
「自分らしく働ける?」
「そっ。さっきアタシはアンタに変わってるって言ったけど、ここの連中はアタシも含めて変わってる人がいっぱいだよん」
その言い方にはむしろ、変わってることに対して、偏見や劣等感を持っているのではなく、誉れさえ持っているようなニュアンスが滲んでいた。
と、どこからか、派手でありながら、一方で哀愁の漂うような音楽がましろたちのもとに届いてきた。
「よーし」
軽い伸びをしながら、狐面の女性は立ちあがった。
「じゃあ、いこっか」
ましろに声をかける。
「どこにですか?」
「えっ、この中の案内だけど」
「私まだ、ここで正式に働けるのか決まってないんですけど……」
「やー、まぁ落ちることはないっしょ。書類選考で通ってて、落ちたことある人、アタシ見たことないもん」
声と同時に、狐面の女性はましろの背中を掌で軽くたたく。
「だから、たぶん大丈夫! てなわけで、先に案内してあげるよん。ってそういえば、アタシ、アンタの名前聞いてなかったよね」
「そうですね。私は戸田、戸田ましろです」
「へたってあのうまい、へたのへた?」
「違います」
「えっ、じゃあ野菜のへたとかのへた?」
「いいえ。戸田って書いて、『へた』って読みます」
「へぇー、アタシのシショーとおんなじ読み方なんだ」
「そうなんですか? 『とだ』って読む人はかなり多いんですけど、『へた』って意外と少ないんですけどね」
「そなんだー。じゃあ、二人もそんな珍しい読み方した人と出会ったアタシは運がいいのかな」
狐面の女性は明朗な笑い声を響かせる。
「あのー、狐さんの名前はなんていうんですか?」
おずおずとましろは訊ねる。
その質問を口にした後、なんとなくはぐらかされるような予感めいたものがましろにあった。
それは果たして、現実となった。
「狐さんってネーミングセンス」
彼女は苦笑した。
「じゃあ、狐さんでいいよ。こんこん、ってねー」
人差し指と小指を耳に見立てた狐を両手で作り、首をかしげるようにして、顔を左右に揺らす。
ましろは狐面越しからでもわかる、ほほ笑みを滲ませた狐さんをじっと見つめる。
しかし、ただ見つめるだけに留め、彼女の名前について、それ以上追求することはしなかった。
詮索をすることにより、自身と彼女との間に、今後何らかの影響を及ぼすのではないかと危惧したためだ。
「じゃあ、狐さん。案内お願いします」
「にゃはは、おねーさんにまかせんしゃい!」
そうして、二人は連れ立って部屋から出る。
軽いノリのポップスを鼻歌で唄いながら、意気揚々と狐さん、とやらは進んでいった。
しばらく歩くと、彼女の足が止まる。
突然、止まったせいか、後ろを歩いていたましろは鼻をその背中に思い切りぶつけた。
「あぁ、メンゴ、メンゴ。初めはやっぱここかなー」
微かに感じた鼻の痛みに一瞬目を閉じたましろが、再び目を開く。
「わぁ」
目の前に広がった光景に、ましろは圧倒された。
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