第19話 ぶらっせりええとデザートぴえうぶれ

 日本橋にある『Brasserie et Dessert Pieuvre(ブラッスリー エ デセール ピューブル)』のドアが開いて三、四人の男女がぞろぞろと出てくる。


 Brasserieとは早い話が酒や食事を提供するような店、要するに日本語でいうところの居酒屋みたいなものである。

 そうはいうものの、店先で赤のれんや赤提灯が出迎え、くたびれた会社員が仕事の愚痴を語ったり、大学生等が大声で笑ったりするような喧々囂々(けんけんごうごう)たる場所とは一線を画している。


 それは、『Brasserie et  Dessert  Pieuvre』も同じであった。


 店先に置いている、黒を基調とした立て看板には、フールセックやドゥミセックという文字が躍っている。

 客を迎え入れるドアには、真鍮製のアーチを描いた取っ手がついている。

 その上、外からでも内層の一部が見えるのだが、大小様々な書籍やボトルシップが几帳面に並べられた棚、飴色の艶めきがまぶしい古時計等チーク材の重厚な調度品が控えている。


 そのような厳格なたたずまいであるからか、開店当時はちょっとした話題になったものの、なかなか店の中に入ろうとするものはあまりいなかったのだ。

 入ってもスーツを着こなしたような紳士や着飾った淑女が大多数を占め、間違っても学生や会社帰りのサラリーマンが入るようなことはなかった。


 しかし、街頭での宣伝も功を奏し、怖いものみたさに入店する者がでて来るようになった。

 また、口コミにより店内の様子が、従来の敷居が高い料理店のイメージを完全に逸脱しているような作りになっていることが判明してからは、一人また一人と客足を伸ばしていった。

 現在では、観光ガイドにも取り上げられるほど有名になっており、老若男女問わず列がない日はないほどである。


 ましろは、店の前に立つと、看板を見上げた。

 ショルダーバッグから四つ折に畳まれた紙を取り出して開き、見比べる。


「ここで合ってるみたいだけど……」


 ましろが訪れた時も、例にもれず、多くの人々が並んでいた。


「あのー、すみません」


 客を案内していた燕尾服の赤い狐面を被った従業員に声をかける。


「お客様、最後尾はあちらですので、並んでお待ち下さい」


 手で案内だけすると、ましろの言葉に聞く耳をもたず、その者は再び店内へと消えていく。

 ましろはおとなしく最後尾に並び、首だけのぞかせる。

 列の一番前はまず見えない。


(こういうのって裏口とかから入るものなのかなぁ……)


 盛大なため息をつきながら、持っていた紙をギュッと握りしめた。


(時間しか聞いてないのはやっぱり失敗だったよね)


 ましろは、自分がここに来ることになった経緯をふと思いだした。



「ましろ、てめぇには居酒屋で働いてもらう」


 契約をしてから数日たったある日、レッスン終了時に黄金が脈絡もなく、そんなことをましろに言ってきた。


「私、料理得意じゃないですよ」

「そこは心配いらねぇよ。たぶん、接客の方だけだろうからな」

「たぶんってなんですか」

「たぶんはたぶんだよ。職種にも事業内容にも接客業って書いてたしよぉ。ほれここだ」


 黄金は印刷した紙をましろに手渡した。

 ましろが目を通すと紙の一番上にハローワークインターネットサービスと書いている。


「ぶらっせりええとデザートぴえうぶれ? これって何語ですか?」


 事業所名という欄に書かれている文字をたどたどしい調子でましろは読み上げながらたずねた。


『ブラッスリー エ デセール ピューブル。フランス語。このへんではとても有名なお店』


 紫歩がそんなましろに助け舟を出してくれた。


「全然居酒屋っぽくない名前なんですけど……」

「まぁ、おしゃれな居酒屋って感じだよ。昼間は全然ちげぇがな」

『あそこの焼き菓子は美味しい。お勧め』


 紫歩が恍惚とした表情を受かべる。


「はぁ、お勧めなのはわかったんですけど、居酒屋なのにどうして焼き菓子なんですか?」

「昼間がデセール、つまりデザートを提供してるんだよ」

「あっ、そうなんですか。でも、どうして私がここで働かなきゃならないんですか?」

「いやか? 賃金も結構いい感じだし、まさしくバイトにはうってつけだと思うけどなぁ」

「別にいやとかじゃないんですけど、ただ単に気になったんで。黄金さんのことなんで、なにか理由があると思いますし」

「よーく、わかってんじゃねぇか」


 黄金はCDラックの中から一枚のCDを選んで差し出した。

 表にはriwegと書かれており、二人の女性が写っている。

 一人は鋭い目つきの絵に描いたギャルのようであり、もう一人は対照的に日本人形のような和がとても似合う長い黒髪の女性であった。


「これなんですか?」

「てめぇの先輩のデビューシングルだよ」

「それって前に聞いた活動休止中の人たちですかね? りー、りー、りー……なんて読むんですか、これ」

「野球じゃあるまいし、何にリードとってんだよ」


 黄金が苦笑する。


『リーヴェーク。フランス語とドイツ語があわさった造語。ちなみに、そこの店で今ふたりは働いてる』

「はぁ、フランス語、ドイツ語……って、えっ? 働いてる?」

『かもしれない』

「えっ? 正確にはわかんないんですか?」

「信用できる筋からの情報っちゃー、情報なんだが、まだ、確実とは言い切れねぇんだよ」

「なんでなんですか? 接客じゃないからとかなんですか?」

「接客か調理かなんつーとこまでわかんねぇよ。それ以前に、そもそもあの店自体がちぃとばかし特殊なんだよ」

「はぁ」

「そこでだ、ましろ」


 にやりと邪悪な笑みを浮かべて、黄金はましろにして欲しいミッションを話した。

 あれよあれよという間に公共職業安定所へと黄金に連れて行かれ、求職者登録をした後、紹介状を受け取り、応募した結果、書類選考を通過した。

 残すところは採用面接のみであり、本日が面接の指定日であった。


 現実へと戻り、ましろは再びため息をつく。

 そうやって、列に並んでいると、他の客の世間話が自然と耳に飛び込んできた。


「いやー、やっぱり人が多いなぁ」

「そりゃ料理もかなりうまいってネットで評判みたいだし、なんたってここにはシレーヌがいるからな」

「シレーヌっていうからには……期待が膨らむな」

「おいおい、膨らむのは期待だけかぁ? けど、期待してるとこ悪いが、この店じゃあ素顔まではわかんねぇぜ。ステージにあがってる子達はみんな仮面つけてるしな」

「でも、これなんかは素顔でてるじゃねぇか。お世辞にも美人とは言えねぇがよ」

「おいおい、それは一般人だよ。ここじゃあ誰でも希望すりゃステージにあがれんだよ」

「マジかよ、俺もあがってみるかー」

「お前、歌上手くねぇだろうが」


 ましろは再び首だけのぞかせる。

 彼らは、ゴシック体で大阪、と表紙に書かれ、有名な観光地の写真が掲載されている雑誌に目を通しながら、そんなやりとりをしていた。

 遠すぎて、内容までは読み取れない。


(しれーぬ?)


 聞きなれないその言葉が妙にましろの耳に残った。


(それに歌? 居酒屋なのに? ステージ……それにさっきの人も装着してたけど、……仮面?)


 謎が深まるばかりであった。

 しかしながら、彼らからそれ以上の情報がもたらされることはなかった。

 この店に行った後、どこにいくかの相談に話題がシフトチェンジしたのだ。

 しまいには、店内に入っていた。


 それから、自然と入ってくる周りの世間話を聞きながらましろが並んでいると、ようやく入店できるようになった。

 真ん中の部分だけ、真鍮の色が変化し、くすんでいる取っ手を握って入店した瞬間、横手から唐突にぶわっと音の波が吹き付けてきた。

 落ち着かない気持ちのまま、ましろは店内を見渡す。

 結婚式を彷彿とさせるような丸テーブルの数は多く見積もっても十程度。

 椅子はあるものの、ほとんどの者が、立ったまま飲み物を片手に一点を注視している。


「わぁ」


『一人サーカス』


 ましろの頭には純粋にそんな文字が浮かんだ。

 外側から見えない位置にあり、人々の視線を集めていたのはステージであった。

 その上で狐面を装着した者が歌いながら、縦横無尽にジャンプやダンスを披露し、駆けまわっている。 

 パフォーマンスもさることながら、歌唱力もかなり高い。

 客たちも、やんやの拍手で煽り立てている

 表現力に溢れ、力がこもっており、ましろは知らず知らずのうちに拳を握り締めていた。

 思いがけない拾いものをしたとばかりに、食い入って見つめるましろの目は真剣だった。


「お客様、こちらに」


 そのためか、一度目の案内は耳に入っていなかった。


「お客様!」

「あっ、すみません!」


 ハッとしてましろは謝罪した。併せて、なおも案内しようとする従業員に対し、自分が客ではなく、採用面接のために訪れたことを説明した。


「そうだったんですね。それならそうと、ひとこと言っていっていただければ良かったのですが……」


 一度、燕尾服を着た従業員に声をかけたが、さらっと流されたことを言おうとして、ましろはぐっと堪えた。

 結局のところ、どうやって中に入ればいいかまで聞いていなかった自分が一番悪いことに気付いたからだ。


「ちなみに面接のお約束をされていたお時間はいつになりますか?」

「一応、午後一時だったんですけど……」


 古時計の針は、まもなく午後三時を差そうとしているところであった。ましろは今にして初めて不安をおぼえた。

 それが従業員に伝わったのか、


「オーナーは事情を説明すれば理解してくださる方ですよ」


 というような優しい言葉でましろを安心させた。


「そういった事情でしたら、裏口から入ることになりますので、一度店内を出ていただき、正面右手側からお回りください」


 従業員の説明を受けて、ましろは店外へと出る。

 未だに列は途切れておらず、むしろましろが並んでいた時よりも人が増えていた。


 ステージでパフォーマンスをしていた者を思い出すと、じんわりとてのひらに汗が浮かんだ。

 ましろの身体に電流のようなものが走る。


(すごかった。あれがもしかして、しれーぬさんなのかな?)


 ましろは、そのやわらかなしびれに精神を預けながら、裏口へと歩を進めた。

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