第16話 安全地帯を踏み越えろ!
「紫歩さん、お姉ちゃんのこと嫌いにならないですかね……」
ましろが唐突にそんなことを口走る。
「どうしてそう思うんだ」
「だってアイドルを純粋に好きだって人にしてみたら、お姉ちゃんってアイドルを手段としか考えてないみたいなものじゃないですか。それって結構な裏切り行為なんじゃないですかね?」
父親の衣装にスポットライトを浴びせたいがために、アイドルをしていたというのはなんとなく、アイドルを踏みつけにするような思いがましろにはあった。
そして、公言したとはいえ、自分自身も同じようなことをすることに対し、いくばくかの罪悪感があった。
どのような罵詈雑言を浴びせられるかと身構えていたが、想像していたようなことはなかった。
「別に紫歩は、んなこと気にしねぇと思うぞ。今でさえあんなだが、当初はじいさんに実験体にされたようなもんで、本人は乗り気じゃなかったしな」
言ってから、ふと、黄金は放心したようにぼんやりと、窓の外に視線を漂わせる。
「それに他のやつらもアイドルになりたい、アイドルが好きっていうのは少なからず根底にありはしたが、それぞれなんかしらの事情もはらんでたし、手段としてるきらいもあったぞ。有名になりたいだの金だの、漫画家としての踏み台だの、見返したいだのな。まっ、それ言いだしたらアイドルだけじゃねぇがな……」
黄金はそこでいったん言葉を切った。
彼女は急にせき払いして、コーヒーを飲む。
「とにかくだ、んな感じだから別に紫歩がそれを知ったからって、輝赤を嫌うことはねぇと思うぞ」
「それだったらいいんですけど……」
少し困ったような顔でましろは二、三度まばたきする。
「なんだ、引っかかってるとこでもあんのか?」
「そうですねー。今の話が本当だとするなら、紫歩さんがあんなふうに露骨に機嫌が悪かったのがちょっと気になってしまって」
「まぁ、そりゃ、あれだ、あれ。たぶん、嫉妬ってやつだ」
「嫉妬ですか? 今の話のどこに嫉妬する要素なんてあるんですかね?」
「詳しくはわかんねぇが、お姫様は王子様には自分だけを特別扱いしてもらいたいんじゃねぇか?」
「はぁ」
黄金の言っている話の半分もわからなかったが、ましろはとりあえずあいまいに返事した。
「だったら、あのせきはなんですか?」
「あー、ありゃ、ただの風邪だ。まったく関係ねぇ。どうも少し体調がわりぃらしい」
「そうですか」
ましろはほっとした。それが顔に出たらしい。
「要するに、アイドルが好きで、アイドルになりてぇって思ってりゃ理由なんざどうだっていい。これになりさえすりゃ誰も文句は言わねぇよ」
黄金は親指と人差指で輪を作り、ましろにみせる。
「んで、うちの新しいアイドル様はこれになってくれんのか? ずいぶんと難しい課題もあるみたいだがよぉ」
「課題?」
「最終的に七人集めなきゃいけねぇんだろ?」
「えっ」
「単純計算、七着なんだから、七人集めりゃいいだけじゃねぇのか? それもきちんとコレになる七人を、な」
刺を含んだ語調だったが、ましろはもう一切動じなかった。
「私の話、信じてくれたんですか?」
「信じる信じない以前に信じてみたくなったんだよ。おもしれぇじゃねぇか。ただ、再三言うが、このご時世にアイドルになりたいなんつー物好きを七人も集めるのは、だいぶきちぃと思うぜ。それに関しての具体的な策はあんのか?」
「街頭でチラシを配ったりだとか……」
「ガキの部活じゃあるめぇし、ビラ一枚で来るなら誰も苦労しねぇよ」
「VOTが新メンバー募集の時にしたみたいに公開オーディションとか……」
「オーディションをしようにも、広告費だなんだって金も時間もかかる。それにオーディションっつーのは行う母体がある程度でかくねぇと成立しねぇんだよ。逆の立場で考えてみろ。いつつぶれるかわかんねぇようながけっぷち事業部に好き好んでいく馬鹿がいるか? やったとしても後悔オーディションにしかならねぇ可能性の方が高いぞ。他にはねぇのか」
「だったら……」
問われてましろは答えに窮する。
「案外ねぇだろ。いや、あるにはあるんだが、金がかかんだよ。まぁ、ビジネスである以上ある程度リスクを負うのはうちも覚悟は決めてる。ただ、金かけてその結果に見合うもんがなけりゃ、うちは大損だ。ちなみにこの現実の問題を、VOTの初期メンバーにもたたきつけた」
「お姉ちゃんたちにもですか?」
「あぁ。ちなみに輝赤はこれ言った次の日にキャッシュで数百万を目の前において、『経営が苦しいならこれを使ってくれ』、って言いやがった」
「数百万!?」
ましろはその金額にも驚いたが、その破天荒すぎる行動にも同じくらい驚いた。
「あの時は全員、今のましろとおんなじような反応をしたもんだ。やっ、オレたちもアイドルどもにそういった現実の上で、アイドルを行っていることを認知してもらいたかっただけだったんだよ。なのに、まさかその問題を現実的に解決しようとするとは思わなかったからな」
ましろはあらためて姉のむちゃくちゃさを思い知るようなエピソードを聞き、自分が意志を継ごうとしている人間の背中が、かなり遠いことを思い知った。
「で、ましろだったらどんな答えをくれるんだ?」
「私は……」
急に問われて再び答えに窮する。
お金の問題を解決するにはそれを持ってくるのが一番早い。
しかし、それを短期間で用意するのは難しく、なおかつ自分の夢のことだとしても平気で差し出せる人間は限られている。
そもそも、まとまったお金がある程度あったとしても、姉と同じことをしても意味がないとましろは思う。
「輝赤の意志を本当に継ごうとしてんなら、オレを驚かしてみせろ」
ほれほれ、と黄金がわかりやすく挑発する。
「だったら私は、――」
その言葉を聞いてましろは、自分にもわけのわからぬ、猛々しい衝動が身体の中を駆けめぐるのを知覚した。
売り言葉に買い言葉とでも言うのだろうか。
それは出口を求めて、喉元にまでせりあがってきた。
「今後、この会社でできた借金の連帯保証人になります」
ましろの言葉に、黄金が眉をあげた。
見開かれた目が、なにか面白い物でものぞきこむ折の光に輝いている。
「てめぇは正真正銘の馬鹿だな」
きつい口調だった。母親にでも叱られているような気がした。
が、内心はおもしろがっているようだった。
それが証拠に黄金の眉がピクピクと震えていた。
「私が馬鹿だなんてわかってます。このご時世にアイドルを目指すなんて愚かだ、という反応を取る人をここに来てから、もうすでに二人も見ましたから。でも、それでも、私はアイドルになりたいんです! いや、ならなきゃいけないんです! そのためにも七人集めきゃならないんです!」
「そのためなら、なんでもするか?」
「はい。保証人でもなんでもどんとこいです!」
「言質はとったぜ」
カッカッカッ、という笑いを黄金は中空に放った。
「なら、うまくいきゃ二人はその衣装にふさわしいやつらを引っ張ってこれるかもしれねぇな」
ましろは何を言われているのか、意味がわからなかった。
「てめぇの頑張り次第だよ」
まるで心の中を読み取ったかのように、黄金は付け加える。
その声になんとなくだが、ましろは嫌な予感を抱いた。
そんなましろの心中など察することなく黄金が質す。
「あともう一つ。今の言葉で気になったんだが、二人のうち一人はおかんちゃんだろうがもう一人っつーのは誰だ?」
「私、そんなこと言いましたっけ?」
「言っただろ、二人もそんなやつを見たって言ったじゃねぇか」
「あぁ、そのことですか」
「他にどのことがあるんだよ」
黄金が呆れたような表情を浮かべる。
「誰? 誰かっていわれると……すみません、わかりません」
「なんでわかんねぇやつにんなこといわれんだよ。つーか、どんなシチュエーションだ、それ」
「どんなって……ここに来るのに案内してもらっただけですかね」
黄金が、「へぇ、物好きもいるもんだな」と興味深そうにつぶやく。
「そういや、オレは入口の近くにいたのに、あの部屋で会うまではましろに会わなかったな。荷物も裏口近くにあったってことはそっちから来たのか?」
「はい、そうみたいですね。裏口らしいところもその人に教えてもらいました」
「はっ?」
黄金が心底戸惑っているような表情をする。
「どうかしましたか?」
「どうもうこうもねぇよ。裏口なんて基本名前のとおり、関係者しか使わねぇんだよ。おい、そいつギャルみたいなやつか、お嬢様みたいなやつじゃなかったか?」
「どっちでもないと思います。特徴っていえば、緋色の髪でした」
「緋色の髪だと!? おいおい、もし、その話が本当なら……」
黄金はにわかに表情をけわしくし、顎のあたりを所在なげにこする。
そうして、腕組をすると、天井を見上げた。
長く息を吐き出すと、何事か思案するように目を閉じる。
しばらくすると、かっと目を見開いた。
黄金は、机の上に置いていた契約書類をひっつかむ。
「どうかしたんですか?」
「急用ができた。今日はこれで終わりだ。後はコーヒーと菓子でもゆっくり食っててくれ」
「どこ行くんですか?」
「
「なんのためにですか?」
「ん? あぁ、そりゃ仕事探しに決まってんだろ」
「えーっと、だ――」
ましろが何かいいかけるのを黄金は手振りで止める。
「カッカッカッ、なぁに、どうせ近いうちに知るし、その時のお楽しみっつーことで。んじゃまっ、後で、ちゃんと契約書読んどけよ」
あいまいな笑いを残すと、黄金は後ろ手にひらひらと手を振って、出ていった。
大事な話を聞きそびれたままのましろは、いささか釈然としない顔でその背中をただただ見つめていた。
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