第15話 彼岸からの声
目があったとたん、ましろは肌が瞬時に凍りつくような感覚をおぼえた。
一番聞かれてはまずい人間だった。
紫歩が、眼帯を着用していない方の目をしばたたかせる。
奇妙に寂しげな色が、彼女のふとした表情にからむのが、ましろの目に焼きついていた。
「あの、今の話って聞こえちゃってましたか?」
ましろが問いかけるも、紫歩はまったく反応せず、あげく知らないとでも言いたげに、プイと顔をそらした。
彼女が手に持っている盆が少しかたむいた。のせられていたコーヒーの表面が波立つ。
「おっと」
黄金がそれに気付き、片方の盆を支えてやる。
あわてて紫歩が水平に持ち直した。
そうして彼女はむすっとした表情のまま、ましろの前にソーサーを置くと、その上にデミタスカップをのせた。
スプーンを置く際にかちゃりと音が鳴る。
黄金の方も同じようにするが、ましろの時に比べて所作が丁寧であり、もちろんスプーンを置く際に音なんて鳴らない。
紫歩は、コーヒーを席に配り終えると、最後にスティックシュガ―とコーヒーフレッシュが入った入れ物を、デスクの真ん中あたりに置いた。
「紫歩さん!」
紫歩に対し、ましろが呼び掛けた。
が、彼女は聞こえなかったように方向を変えると、車椅子を動かし始めた。
「紫歩さん、もし聞こえていたなら、教えてください!」
依然として、紫歩はましろのことを無視している。
「聞こえてたんですよね? 待ってください! お姉ちゃんは――」
ましろが言い終える前に、紫歩は扉を閉め、拒絶した。
特段、わざとらしく音を立てたりはしない。
むしろ、力が弱すぎたのか、扉は半分しか閉まっていない状態である。
それでも、紫歩が怒っていることは確実だという印象をましろは受けた。
ぼうぜんとしたまま、扉の方をみていると、ゴホゴホとせき込む音が応接室に届いた。
それがしばらくの間続く。
遠ざかっているはずであるのに、むしろ近付いているように感じる。
なんだか責められているような気分になる。
ましろはその音から逃げるように、耳をふさいだ。
しかし、そのようにしても、鼓膜にへばりついてくるようにゴホゴホという乾いた音は聞こえてくる。
黄金が腰をあげ、扉から出ていった。
彼女が去ってややもすると、せき込んだ音が聞こえなくなった。
そのすきに落ち着いたましろは七着の衣装を丁寧にキャリーバッグの中にしまいこむ。
「紫歩さんは?」
数分後、再び応接室に戻ってきた黄金に対し、ましろは訊ねた。
「あぁ、大丈夫だ。気にすんな」
そう言われると、いっそう気にしないわけにいかない。
けれども、ましろはこんなとき何を言えばいいのかわからなかった。
沈黙が気まずくなり、コーヒーを口に運ぶ。
「姉妹そろっておんなじか」
黄金が、なにげなく言葉をもらした。
「何がですか?」
「あぁ、口に出ちまってたか。ぶりかえしてわりぃが、今の話が本当なら、約束を反故されたことに対して、憎しみや恨みを持ってねぇことだろ、ましろも」
「えっ?」
「そうじゃねぇのか? 話を訊いてる限りじゃ、会社に対する恨みとかなんとかより、姉と一緒であの衣装に別の方法で再びスポットライトを浴びさせようとしている」
ましろは首を横に振る。
「それはなんとも言えません。私はお姉ちゃんが亡くなるまでは、この衣装の存在さえ知りませんでしたし。それに、事故がなければやるはずだったライブではこれを着るはずだったと知ってしまったので」
「んなことまで知ってやがったのか。いったいぜんたいどこまで知ってんだよ」
黄金が大きく目を見開いて大声をあげた。
「はい。お姉ちゃんにこの話を聞いてから、お母さんを問い詰めると話してくれました」
ましろの目を見て、黄金がふぅと息をはく。
「あー、ようやく、点と点がつながったって感じだな。ずっと違和感があったんだよ。ちょうど年間契約してたとこと期間満了のタイミングで、メールが届いたしなぁ。かぁっ、輝赤ならうちの裏方どもともわけ隔てなく仲がよかったし、期間満了のタイミングもそりゃわかるな」
刻々に傾く陽射しが、黄金の横顔を斜めに照らす。
「なるほど、あれがあぁなるのか」
黄金がしみじみとつぶやく。
ましろが頭に疑問符を浮かべていると、黄金が解説をし始めた。
「さっき見せてもらった衣装のデザイン画だけなら、契約前に一度見てんだよ」
「そうなんですか」
「当たり前だろ? いくら初めに衣装を担当するところだったとはいえ、上司に決裁とおさないといけねぇし。まっ、上司連中も喜んでとおしたがな」
言葉を聞き、自分のことではなかったが、ましろはなんだか誇らしい気分になる。
「しっかし、あのクオリティのもんが初っ端にとおらなかったのは、謎以外のなにものでもねぇな」
黄金は、吐き出すようにつぶやくと、デミタスカップに手を伸ばした。
「そこの理由は、お姉ちゃんもわからなかったみたいです。一方的にキャンセルされたそうですから」
「とりあえず、オレが引き継いだときは、やっとあいつと仕事ができる、ってオヤジがうれしそうに話してたんだ。けど、ふたを開けてみりゃ何回目かの会議で衣装担当がしれっと変わっちまってた。そのことに気付いちゃあいたが、結局なんも言ってねぇがな」
そう言って、黄金はかすかに笑みを浮かべた。明らかに自嘲の笑みであった。
陽射しを受け、壁に映っているカーテンの影が揺れる。
「オレはしらねぇことが多すぎるな、あいつらにかかわってたっつーのに」
「私の方がですよ。お姉ちゃんのこと何もわかってませんでした」
ましろの言葉に、黄金は何も応じ返さなかった。
ずいぶん長く感じられる沈黙があった。
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