第14話 遺作

 一瞬、何が起こったのか、わからなかった。


 黄金と萌木の二人から視線を受け、ましろは逃げ場を失ったと感じた。


 耳の奥で血管がどくどくと脈を打つ。

 それが指の先まで伝わったのか、小刻みに震える。

 口を開けて、なにか言わなければならないと言葉を探した。

 しかし、自分のものではないかのように動いてくれない。

 状況を頭が理解できていないと、身体はどうにも動いてくれないらしい。


 焦れば焦るほど、頭の中で言葉が空回りする。


 静謐せいひつが応接室を満たす。

 重苦しい沈黙を打ち破ったのは、萌木の甘ったるい声だった。


「違うんですか?」


 問い掛けに対し、ましろはゆっくりと顎を引いた。


「だとしたら、黄金さんですか?」

「いや、オレのじゃねぇよ。どこにあったんだ?」


 チラとましろを見た後、黄金が答えた。


「裏口すぐの廊下の端に寄せられてました」

「裏口? んなもん使う人間限られてるだろ。紫歩が車椅子に乗りながら、キャリーバッグなんて使うことないしよぉ」

「あの二人も最近来てないんですよね?」

「あぁ、活動休止してからは一回も来てねぇよ」

「だとしたら、いったいだれのなんでしょうかね」


 萌木が心底不思議そうに首をかしげた。


「中には何が入ってるんだ?」

「閉まっている状態なので、開けないことにはわからないですね」

「んじゃあ、とりあえず開けたらいいんじゃねぇか」


 二人のやりとりを聞きながら、ましろは額に手のひらを当てた。

 頭が重く、ぐわんぐわんと揺れているような気がする。


「誰のかわからないのに、勝手に開けてしまうのはまずいんじゃないですか?」

「逆だ。わからないからこそ中を見て、その持ち主を特定するんだよ。もしかしたら、身分を証明するようなもんとか入ってる可能性もあるだろ? うちに来て忘れたんなら本人さんは困ってんじゃねぇか?」

「そもそも、ここに来る人で裏口使う人なんて、みなさん以外だとうちの社長ぐらいだと思うんですけど……」


 黄金にはそんな萌木の声が聞こえていないのか、ソファーから立ち上がるとキャリーバッグに近付き、ファスナーに手をかけた。


 ましろはそれを眼に映していた。

 楽観的な思考でキャリーバッグの中身を持ってきたものの、現状を鑑みるとそれを見せるのは今日このタイミングではないと、ましろ自身漠然と理解していた。

 しかし、そうも言ってられない状況に直面していた。


 にもかかわらず、一方ではどこか他人ごとのような、現実感が伴わないような、思考だけが浮遊している状態でもあった。


「んじゃま、開けるぞ」


 黄金がファスナーを下におろそうとした、ちょうどその時であった。


「待ってください!」


 ましろがあえぐように喉を鳴らした。

 慌てた声は動揺で少し震えていた。

 開けようとしていた黄金の手が止まる。


 はっとしたように息を呑み、ましろは自分の口をあわてて両手で押さえた。

 格好の獲物を見つけた時の猫みたいに、黄金は大きく見開いた瞳をらんらんと輝かせた。


「このキャリーバッグの持ち主がだれなのか知ってんのか?」


 ましろは顔を伏せた。

 その耳にジジジ、とじらすようなファスナーを徐々に開ける音が入ってくる。

 どうせ今このタイミングでばれるならば、自分から話した方がいい。

 そう判断したましろは意を決して顔をあげた。


「そのキャリーバッグは私のです」


 萌木は突然の告白に虚をつかれたようで、ポカンとした表情でましろを見た。


「なんで初めにうそをついたんですか?」


 萌木が質すが、ましろは答えない。

 というよりも、自身でもなぜ初めにキャリーバッグを自分のではない、と意志表明したのかいまいちわかっていなかった。

 すぐにばれるうそだと流石に理解していたし、実際黄金にはお見通しだろうと思ってもいた。


 萌木ははぁー、とわざとらしいため息をつく。


「清掃している間、邪魔になるので、ここに置いておきますね」


 萌木はさらりと言うと、性急な足取りでましろの視野から去っていく。

 沈黙の時が冷酷な時間を刻む。


 ましろはソファーから立ち上がると、キャリーバッグの前に立った。

 取っ手を握ろうとすると、横から出てきた腕がましろをつかんだ。


「キャリーバッグの中身はなんなんだ? 見られちゃ困るもんなのか」


 黄金の口調こそ穏やかだったが、眼光は鋭く、うそは絶対に許さないと告げていた。

 胸の奥底まで見通すような目つきであった。

 そんな目で見られれば、うそなんてつけない。

 取っ手を握りしめた手が、何かに耐えるようにふるえていた。


「もともとは見せるつもりで持ってきました。というよりも私が無理だった場合には、託すつもりで持ってきました。でも、所属させてもらえるなら、今見せるものではないかな、と思ったんです。だから、その質問に答えるとすれば、困る、ですかね。でも、黄金さんはそれでは納得してくれないんですよね」

「あぁ、不透明な部分がいつか大きな問題になるかもしれねぇからな」

「そうですか」


 一瞬、躊躇ちゅうちょしたが、ましろは大きく深呼吸すると、言葉を続けた。


「お姉ちゃんのやり残したことって知ってますか?」

「輝赤がやり残したこと、か。特段、思いつかねぇな。アイツほど自由奔放じゆうほんぽうに生きてるやつでも、やり残したことがあるんだな」

「あったんです。そして、これはお姉ちゃんのそのやり残したことです」


 自由になっている方の手で、ましろはぽんぽんとキャリーバッグをたたいた。

 そうして、ましろは顔を引き締める。

 秘しておかねばならない、とっておきの内緒話でもするように。


 黄金がましろの腕を離した。

 詫びるように少し頭を下げると、ましろは口をひらいた。


「さっき私はうそをつきました。すみません」

「キャリーバッグのことか?」

「そっちじゃないです。黄金さんが言った、妄執みたいな感情に心当たりはあります。たぶん、今からする話に関係してくると思います」


 ましろは、キャリーバッグを開くと中からそれらを取り出して、今の今まで座っていたソファーに並べた。

 並べられたのは七つのビニール袋だ。

 その表面には英語で書かれたシールが貼られている。


「これは、服か?」


 黄金が訊ねる。

 念を押すというより、どこか無理におどけてみせる響きがあった。

 彼女がそのような反応を取らざるを得ないほど、それは普通の服と呼ばれるものとは、一線を画していた。


「Astronomica《アストロノミカ」

 

 ましろが言った瞬間、黄金の目が宙を泳いだ。


「VOTに初期からかかわっていたなら、知っている名前なんじゃないですかね。本当は、VOTの衣装を担当するはずだったファッションブランドですし」


 黄金が眉をピクリとはねさせた。ましろはよどみなく説明を続けていく。


「このブランドは、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受勲した日本人デザイナー、戸田とだくろがねによって創られたものです。一時期は人気もあったんじゃないですかね。あの事件で世間からバッシングを受けるまでは」


 正面から黄金に相対し、一言ひとことかみ締めるように言う。

 黄金の大きな瞳が真正面から、ましろをじっと見つめていた。

 黄金は長嘆息をすると、言葉を切りだした。


「そのブランドなら当然知ってるぜ。いや、そんな話は今どうでもいい。んなことより、なんでてめぇはVOTの衣装を担当するはずだったファッションブランドを知ってるんだ? 変更になったことは内部のもんしか知らねぇ秘匿情報なはずだぜ」


 ましろは胸に手を押し当てた。

 そうすれば、暴れだしそうな心臓の拍動をおさえることができるとでも言いたげに。


「それなら簡単です。戸田鉄は私とお姉ちゃんの父親なんです」

「いや、名字が違うだろ」


 ましろが冗談でも言ったものと黄金は思ったのだろう。

 彼女は軽く笑った。

 しかし、ましろはそんな黄金に笑い返すことなく静かに言った。


「選択的夫婦別氏制度」

「はぁ?」

「私のお母さんとお父さん名字が違うんです。漢字は同じなんですけどね」


 カーテンが風を受けてふわり、と膨らんだ。


「これらはそんなお父さんの遺作です」

「遺作?」

「私のお父さん、このデザインを完成させた直後に亡くなってしまったんです」


 黄金が間の抜けたように、口を開けたままの顔をましろにさらす。


「Hyades《ヒアデス》。それがこの七着の衣装のシリーズの名前です。そして、これはお父さんの約束の形でもあります」

「約束?」

「この衣装は父が親友たちと学生時代に交わした約束を果たすためにデザインしたものだと、遺書に書かれていました」

「あぁっ」


 なにか思うことがあったのか、黄金が心当たりのあるような声をあげる。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもねぇよ。それが仮に全部本当の話だったとする」

「本当ですよ」

「まぁ、そこは今の段階ではいろいろと情報がなさすぎるから、信用できねぇんだよ。だから今はそれが本当だったと仮定して、とりあえず気になってることだけ聞かせてもらうぜ。そもそも、なんでましろはなんで今日これを持ってきたんだ?」

「えっ」

「この説明をしたくなけりゃ、そもそも持ってこなけりゃよかったんじゃねぇか。でも、持ってきた。それだけじゃねぇ、急にしちゃああまりにも説明がうますぎた」

「さっきも言ったとおり、もし、無理だって言われた場合、衣装だけでも渡そうと思ったからです。アイドル氷河期に私みたいな理由じゃなくアイドルになりたい、って人に着てもらえるならお父さんも納得してくれると思いますし。そうなったとき、説明はしないといけないと思ってましたから、ある程度頭では考えてました」


 言い訳するかのように、ましろは小声で訴えた。

 互いに、自分の目に映る相手の顔を無遠慮に見つめあう。


「はぁ、そうか。まぁ、それなら道理はまかり通る」


 黄金はソファーに座ると足を組み、片方のブーツをぶらつかせた。


「道理は、な」


 含み笑いを漏らしながら、黄金は言った。

 独り言ともとれる低いつぶやきだった。

 言葉を選ぶように少し間を空け、ましろがゆっくりと言葉を吐き出した。


「私はアイドルが好きです。その言葉に偽りはありません。お姉ちゃんを見て、アイドルになりたいって思ったのも本当のことです。けれど、私がアイドルになりたいと思った一番の理由は――」


 ましろは、いったん息をつき、力を蓄えると、いっきに最後まで言い切った。


「お姉ちゃんが本来果たそうとしていた父の約束を代わりに果たしたいと思ったからです」


 それを聞いた黄金が口角を上げた。彼女は首だけ応接室の扉の方に向けた。


「だそうだぜ」

「えっ?」


 戸惑うように、ましろは黄金の視線の先をたどった。

 そこに隻眼せきがんの元アイドルの顔を見た。

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