第17話 勝負パンツ
黄金が出ていき、一人残されたましろは自分の発言を振り返る。
(とっさに考えていろいろと言っちゃったせいで、結構、矛盾もあったけど、納得してくれたってことは,なんとかなったのかな。それにしても――)
唐突に、ましろの耳の奥によみがえった言葉があった。
懐かしい声が聞こえてきて、ましろは息を呑む。
(一方通行なのかなって思ったけど、違うみたい)
「ズルいなぁ」
はぁ、とため息をつく。
黄金には話さなかったが、姉である輝赤が亡くなる直前に悔やんでいたことは衣装の件以外にもうひとつあった。
そもそも、衣装は姉が父親の約束を果たすために代替していたことであって、輝赤の意思は介在していない。
もうひとつの方は輝赤自身が悔やんでいたことであった。
そして、ともすればそちらの方が重要であり、その約束を果たすまでは絶対に公になってはいけない内容であった。
それは紫歩に関係していることだった。
そのことに対し、衣装のこと以上に妄執に近い感情を抱いていた。
ましろはぶんぶんと顔を左右に振る。
(私、また考えちゃってた。らしくないから、ぼろがでちゃうんだよね。意識しないと。でも、とりあえず私、アイドルになれたんだ!)
ましろは、はやる気持ちをおさえきれないといった様子で、すっくと立ち上がった。
そうして、キャリーバッグとショルダーバッグを持つと、応接室から出ようと扉を開いた。
「わっ」
ましろは、腰を抜かさんばかりに驚く。
黄金とレッスン室に行った時のように、紫歩が車椅子に乗ってそこにいたからだ。
彼女はスッと右手を上げると、ましろを指差した。
まるで犯人はお前だ、と言わんばかりに。
「どうかしましたか?」
ましろは小動物にでも近づくように、うそくさい優しさを漂わせ、用心深く声をかけてみた。
が、紫歩がスケッチブックをみせるそぶりはない。
かわりに膝の上にのせていた箱のようなものをコンコンとたたく。
ましろはそれに目を向けた。
よくよく観察すると、ただの箱ではなく、上部に取っ手が付いており、箱の中央部分には赤十字が付されていた。
「それって、救急箱ですか?」
ましろの問い掛けに、紫歩がうなずく。
彼女はようやく、ましろにスケッチブックを見せた。
『けが』
「けが?」
『脚から血が出てる』
指摘され、ましろは思わず自らの脚を見る。
「えっ」
猫柄のニ―ソックスの膝辺りが、赤黒く染まっていた。
おそるおそるソックスを下げていく。
一部についてはもう固まっていたが、中心のあたりは綺麗なサーモンピンク色であった。
なるほど、さっき指を差していたのはこのことだったのか、とましろは一人納得する。
「ほんとですね」
膝から視線を外し、ましろは紫歩に目を向けた。
『消毒しないと、バイ菌がはいるかもしれない』
そう書いて紫歩は、スケッチブックを脇に挟み、救急箱のふたを開いた。
中には包帯やら綿棒、胃を調えるような薬等とともに消毒液が入っていた。
「借りていいんですか」
紫歩が再び顎を引いた。
許可を得たましろは手を伸ばしてそれをとろうとした。
が、――
「いたっ」
ましろの手は救急箱にかまれた。
「紫歩さん、なんでふた閉めちゃうんですか」
救急箱から手を脱出させたましろが、フーフーと右手の甲に息を吹きかけながら問いかける。
『私がしてあげるのに、勝手にとろうとするから』
「いやいやいや、いいですよ。自分でやりますって」
『えんりょはいらない』
「遠慮はしてませんって。自分でできますから」
なおもましろが言うが、紫歩はかたくなにスケッチブックをましろに見せ続け、一歩も引く様子はない。
かといって、傷を見てしまった以上ましろ自身消毒をしたいという気持ちがあるため、消毒液を得ることを諦めることはできない。
二人は互いの瞳に刻印を刻むかのようにじっと見つめ合う。
二人だけの時間は永久に続くかと思われた。
しかし、終わりはすぐにもたらされた。
「わかりました。じゃあ、お願いできますか」
最終的にましろが白旗をあげたのだ。
ましろの言葉に紫歩は救急箱を開き、消毒液を取り出すと、ほほ笑んだ。
「あっ、水で少し洗ってきてもいいですか?」
紫歩がコクン、とうなずいた。
ましろはすぐに該当部を水で軽く洗うと、応接室内に戻った。
紫歩はましろの近くに寄ると、消毒液を持った手を伸ばした。
しかしながら、腕が短いのか。
車椅子に乗ったままだと、ましろの膝あたりにまでは届かない。
しばらく、必死に頑張っていたが、結局届かないままであった。
『届かない』
「そうですね」
『立ってるからだと思う』
「座ったら、余計に届かなくなりません?」
『ソファーに寝転がって脚を伸ばしてくらたら、大丈夫』
「行儀が悪いですよ。それなら自分でしますって」
ましろが手を差し出すが、紫歩は拒否するかのように消毒液を保守する。
『早く』
ましろは抵抗しても無駄だと判断し、ソファーに寝転がった。
と同時に、傷口を水で洗いに行った時にそのまま帰ればよかった、とぼんやりと思ったが、次の瞬間には、いやいや、荷物はどうするんだと一人で突っ込んでいた。
ましろがそんな思考を巡らせていると、紫歩が消毒液を傷口に近づけようとする。
ましろは無意識のうちにギュッと目をつむった。
しかし、いつまでたっても何かが塗られるような感覚はない。
目を開いて、紫歩を見る。
『止血のために脚をあげてほしい』
「いや、指ならわかりますけど、脚あげても心臓と関係ないんで、意味がないんじゃ……」
『早く』
何枚かページを戻したスケッチブックを紫歩はましろに向けてくる。
おとなしくましろは、ソファーの端に脚をかけた。
紫歩はスケッチブックをテーブルの上に置くと、今度こそ消毒液をましろの傷口に塗った。
しびれに似た感覚が、背骨に沿ってかけ上る。
「ひゃあ」
ましろの反応など無視して、紫歩は消毒液をつけていく。
少ししみる感じがあったが、冷たくて心地よい感覚の方がまさっていた。
と、そのとき、ましろは応接室の入口あたりに気配をおぼえた。
頭を上げてましろが誰何するように一瞥すると、萌木が不思議そうな表情をして、立ちつくしていた。
「何してるんですか?」
「消毒してもらってるんです」
「寝転がってする必要はまったくないと思うんですけど」
萌木が怪訝そうな表情を浮かべる。
ましろも心の中で激しく同意した。
「まぁ、何をしようが私には関係ないのでいいんですけどね。それで、応接室の掃除させてもらいたいんですけど」
『今日はしなくても問題ない』
「であれば、完了の押印だけもらえますか」
言って萌木はポケットから紙を取り出した。
『少し待ってて』
紫歩は車椅子を器用に操縦すると、萌木の横をすり抜けて出ていった。
彼女が出ていくと、応接室全体が息をつめて静まり返った。
残されたましろは、萌木のことを意識すまいと思えば思うほど、よけい意識過剰になり、心臓の鼓動が早くなった。
「なんとか間に合いますね」
萌木が壁の時計をちらと見て、安堵のため息をもらした。
「戸田さん」
萌木に名前を呼ばれて、ましろは肩をビクッとさせた。
つい数分前の彼女のきつい言葉が自然と思い出されたのだ。
唇をキュッと引き結び、萌木から放たれるであろう口撃にそなえる。
「別にとって食おうって思ってるわけでもないのに、そこまで怯えられると、私でもさすがに傷つくんですけど、ね」
「すみません」
ましろの反応に、萌木が苦笑する。
「別に謝ってもらいたいなんて思っていません。気持ちもわかりますしね」
萌木はましろの顔を見て、瞬間、呆れたような、寂しいような眼をした。
「そんなことより、見た目の割に結構過激なパンツ履いてますね」
萌木がすました顔でとんでもない言葉を投げつけた。
「スカートだって短いのにそんな格好してたら、ひっかけ橋で男どもに誘ってる、なんて勘違いされますよ。それとも、この後それを見せるような相手がいるんですかね」
「そんな人いません!」
ましろはすぐに起き上がり、股の辺りを手で隠すと、ムキになって否定した。
「だったらなんでそんなの履いてるんですか? 普通は履きませんよ」
「別にどんなの履いたっていいじゃないですか! セ、セクハラですよ!」
ましろは耳まで真っ赤にさせて、萌木の方をキッと睨む。
「私だって見たくて見たわけじゃありませんよ。視界に無理やりいれさせられただけなので、あなたの方こそセクハラですよ」
「私だって見せたくて見せてるわけじゃありません! 痴女みたいにいわないでもらえますか!」
「別に痴女とまでは言ってませんよ。それともその自覚があるんですか」
ましろはその発言にこの人はやっぱり苦手だ、と思う。
なんだか、辱しめを受けたような心地だった。
やにわに、萌木がポケットに手を突っ込む。
「あなたにはこっちの方がお似合いです」
言葉と共に山なりに投げたそれを、ましろは両手で辛うじてキャッチした。
ちょうど、その時、紫歩が紙を持って戻ってきた。
萌木は紫歩から紙を受け取ると、そのまま去っていってしまった。
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