第11話 おかんちゃん
そう言って応接室に入ってきたのは、取っ手が金鎖になっているひとむかし前のバッグを持った女性であった。
小柄な体型でありながら、強烈な存在感がある。
スッと通った鼻筋は彼女の真っすぐな性格を表しているようで、小さいながらもふっくらとした唇は艶やかなさくらんぼのように愛らしい。
四肢は雪のように白く引き締まっている。
そして、何より意志の強そうな瞳にかぶせるように、
女性がおかしな寝癖のついた頭髪を手でなでる。
彼女は、ましろの顔をうさんくさげに眺めまわした。
検分する鋭い視線が矢のように突き刺さって来るのが、ましろには感じられた。
「いつもは見かけない顔ですね」
無愛想を絵に描いたような顔で女性は言った。
ましろは、ハッとしてソファから立ち上がると頭を深くさげる。
「あぁ、すみません! 今日から所属することになりました、私、戸田ましろって言います! 先輩、これからよろしくお願いいたします!」
「先輩?」
片眼鏡を装着した女性は、ましろが口にした言葉の意味がどうやら分かっていないような様子で、空になった湯呑みをもてあそぶ黄金に視線を飛ばした。
黄金は顔を伏せ加減にして、彼女と目を合わそうとはしない。
代わりに紫歩がスケッチブックに『今日から所属した新しい人』と書いた。
「はぁ、それはわかりますけど……。大体の事情は黄金さんの表情を見ればわかりますし」
女性はこれ見よがしに、わざとらしいため息をついた。
「多分勘違いしてると思うんですが、私はここに所属するアイドルさんではないですよ」
「へっ?」
ましろは黄金を見た。
下を向いて真面目な顔つきをしていた彼女の皮膚のすぐ下では、
「で、黄金さん、いつもどおりだと始めにここを掃除するんですけど、今日は後回しにした方がいいですかね」
女性は、淡々とした口調で言う。
「掃除?」
誰にきくでもなく、ましろが空気に言葉をのせた。
そこで黄金はついに雪崩を起こしたようだった。
「カッカッカッ、おかんちゃん、そうしてもらえるとありがてぇな。なんせ、まだ、ましろと話の途中だからよぉ」
「わかりました。って、おかんちゃんって呼ばないでもらえますか!」
怒っているようではありながらも、脳がとろけるような声だった。
「おかんちゃんさんは、アイドルではないんですか?」
ましろが訊いた。
黄金は笑いながら手をひらひらと顔の前で振る。
おかんちゃん、と呼ばれた女性は、短く息を吐いて、ずれた片眼鏡を直した。
「まったく、何も知らない人に広めるのは辞めてもらえないですかね。それでなくても、うちの社長がいろいろなところでそう言ってるせいで、あだなとして定着しつつあるんですから」
「あだな?」
抱いた疑問がましろの口からこぼれる。
「そうですよ。私の名前は
自己紹介とともに萌木は、言葉を添えた。
「本人が言ったとおり、おかんちゃんは、うちで契約している会社の清掃員さんだよ。残念ながら、ここに所属するアイドルじゃねぇ」
「清掃員? こんなにかわいいのにですか?」
「だそうだぜ、おかんちゃん」
「嫌味ですか? 明らかにこの人の方が可愛いじゃないですか」
「いや、いい勝負してると思うぜ、オレは」
黄金がましろと萌木の両方を見てから答えた。
「ってわけで、おかんちゃんさえよければ、うちの事務所に――」
「お断りします」
黄金が最後まで言い切る前に、萌木がさえぎった。
「ただでさえ、ここはがけっぷち事業部で、うちの社長のよしみで格安で清掃してるって現状知ってるのに所属します、っていうような馬鹿に見えますか?」
「……まっ、見えねぇな」
「だったら、訊かないでもらえますか。それにここの事業部なんて今は実質所属してる人なんて0みたいなもんじゃないですか」
萌木はましろに視線をよこす。
「どうせあなたも夢と現実の違いを思い知って辞めていくのが、関の山ですよ」
決めつけて言った。
「かわいそうですね」
萌木がつぶやく。
「VOTなんてアイドルは本当はいないほうがよかったんですよ」
萌木の頭ごなしの批判的な口調に、ましろの頭の中にチリ、と火花がちらついた。
「彼女たちはそりゃ当時はいろいろな人に希望や勇気を与えたと思いますよ。人によっては人生に影響を与えるような変化をもたらされた人もいるでしょうし。けど、結局言い方は悪いですけど、薬物を打つだけ打って依存させて、
ましろは自分の肌が、内からの熱にあおられたように、火照ってくるのを感じる。
「無責任すぎるんですよ。それがいつまでも薬物のように残ったせいで、アイドルになりたかった人たちの希望さえ奪い取りました。素人目に見ても彼女らのパフォーマンスは化け物でしたもん。逆にあんなレベルのアイドルなんて登場させちゃ――」
萌木の言葉が中断される。黄金がやにわに立ち上がり、ぺらぺらと喋る彼女の言葉をさえぎるように手をのばして頬をつかみ、ぐっと両側からしめつけるようにしたからだ。
「おかんちゃんその辺にしときな。オレの冗談が悪かった」
黄金がそれだけ言って、口から手を離す。
応接室内に静寂が訪れた。
それを打ち破るかのように黄金が口を開く。
「ただ、そこにいる新人は将来的にはその化け物すら凌駕するかもしれねぇぜ。なんたって姉があの戸田輝赤だからな」
萌木は少し虚をつかれたような、ポカンとした表情でましろを見た。
彼女が短く息を吸う。
ようやくすべてがのみ込めたとでもいうように唇をギュッと引き締めた。
「身内の方がいるとは知らずに言いすぎました。すみません」
萌木が頭を下げる。
ましろはその行動に戸惑った。
少なからず嫌な気持ちは味わったため、否定するのもなんだかおかしい気がしたし、許さないと口にだすのもそれはそれで違う気がした。
その結果――
「おかんちゃんさんって呼ばれるのは、結婚してるからとかですか?」
萌木の左手を見ながら、まったく関係のない、特別に不思議な心のいたずらごととして感じたことを口にした。
ましろに指摘されて、萌木はサッ、と左手薬指のそれを隠した。
何の変哲もないシルバーリング。
しかしながら、左手薬指にはめられているだけで、たぶんに意味が変わる。
ただ、それは彼女の華奢な指にはあっておらず、ましろにはゆるいように見えた。
「っていうのが由来ってわけじゃねぇよ」
萌木のかわりに黄金が答えた。
「おかんちゃん、喉がちょっといてぇんだが、あめとか持ってるか?」
ごほごほ、とわざとらしいせきをした後、黄金が唐突に萌木に訊く。
「いきなりすぎますね。まぁ、持ってますけど……。ちょっと待ってくださいね」
萌木がショルダ―バッグを肩からおろし、床に置いた。
「えっ?」
バッグの中身が見え、ましろの口から情けない声がでた。
中にはいくつものポーチが、横詰めにびっしりと入れられていた。
そのうちの一つから萌木はあめを取り出すと、ショルダーバッグのファスナーを閉めた。
「たぶん、今日持ってきている中だと、それが一番効果があるかと思います」
萌木が、てのひらの上にのせたあめを黄金に差し出す。
黄金はそれを手に取ると、包装紙を破いて、中身を口の中に放り込んだ。
舌の上でころころと転がしながら、なにもわかっていないましろに対し、解説を始める。
「あめだけじゃねぇよ。おかんちゃんは、ありとあらゆる菓子を持ち歩いてるんだぜ。あめちゃんポーチの中に入れてな」
「あめちゃんポーチ?」
ましろの口から感嘆符と疑問符の入り雑じった声がもれる。
『あめを入れる、大阪のおばちゃん
紫歩が答えてやる。
「その中でもおかんちゃんは、あめちゃんポーチを十袋。それだけじゃなく、服のポケットというポケットに菓子をいれて、いつでもありとあらゆるニーズにこたえられるようにしてる、キングオブ大阪のおばちゃんだ。ただ、なげぇうえにおばちゃんって年齢じゃねぇから、おかんちゃんってあだなになったんだよ」
「はぁ」
「おばちゃんもおかんちゃんも一緒です! って、話している間に次のところに行かないといけない時間になっちゃうじゃないですか! 急いで掃除してきますね」
ショルダーバッグを肩にかけると、立ち去りかけた萌木が、不意に首だけ振り向かせた。
「戸田ましろさん」
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