第10話 事業概要

「戸田ましろ、逆に訊くが、まずは何から話して欲しい?」

「えっ?」

「いや、まぁ、オレから話を始めてもいいっちゃーいいんだが、それだと後から聞いてないとか言われたら困るからよぉ」

「はぁ、でも、私そんなこと言いませんよ」

「今そうだとしても、未来はどうかがわかんねぇからよぉ。社会ってやつは口約束だけじゃ危うすぎるんだよ」


 チッ、チッ、チッ、という言葉とともに、黄金が人差し指を左右に振る。


「そんなもんなんですか」

「そんなもんなんだよ」


 黄金は、新たな菓子袋に手を伸ばす。


「それに、相手にゆだねた方が、聞かれなかったから、言わなかったっつー抗弁もできるしな」


 菓子袋の口を開けようとしたが、すっと開かなかったからかあきらめて、黄金はまたクッキーに手を出した。


「でも、いざそう言われてしまうと、純粋になにも思いつかないんですよね」

「ほんとなんでもいいぞ。ただ、てめぇが知りたいことをオレが知ってるかにもよるがな」


 ましろはその言い回しに妙な既視感をおぼえた。

 顎の下に手を添えながら、黄金に視線を注ぐ。


「ん? どうかしたか? あぁ、先に言っとくが、オレの個人的なことについてはNGだからな」


 にやり、と笑みを浮かべ、黄金が胸の前で×マークを作った。


「いやいや、もとからそれは訊くつもりないですって」


 ましろは、顔前で手を左右に振り、否定の意味を示す。


「質問、質問ですか……」


 ましろ自身、訊きたいことはかなりあったが、どのラインまでが訊いていいことなのか判断がつかず、頭を悩ませる。


『いきなり、丸投げは無責任。会社のこと自体知らなさそうだから、説明してあげたら?』

「んなもん、インターネット使って調べりゃ一発だろ」


 ほんの一瞬の間があり、黄金はツンと鼻を上げて、小馬鹿にするような表情を見せた。


「当然、自分が入りたいって思うようなところは、前評判とか調べてきてるはずだしな」


 黄金の言葉を聞いて、紫歩は困ったような、あきれたような顔をした。


「あのー」


 おずおずとましろは手をあげた。


「んー、質問でも思いついたか、戸田ましろ?」

「質問ではないんですけど、実はお願いがあって……」

「お願い?」


 クッキーを手に持ったまま、黄金が眉根を寄せる。


「はい。いや、まぁ、お願いって言ったら語弊ごへいがあるかもしれないんですけど、でもたぶん、私のわがままなんでお願いになると思うんですよね」

「とりあえず言ってみろ」


 話し方がもどかしいといった表情で黄金は首を突きだした。

 ましろは言いよどみ、間を置いてから、きっぱりと口に出した。


「ましろって呼んでもらえませんか?」

「はっ?」


 唇の隙間から空気をもらした後に無言でいる黄金に対し、紫歩がくすり、と笑った。


『まさかと思うけど、今のがお願い?』

「はい。さっき、家族って言われたのに、フルネームで呼ばれるのは、少し他人行儀な気がして……」


 ましろは恥ずかしそうに顔を伏せた。

 笑われるだろうと予想していたにもかかわらず、すぐに反応がなかった。

 おそるおそる黄金の表情をうかがう。

 ほんの一瞬であったが、彼女の瞳孔が光り、遠くを見つめるような目つきになった。 

 しかし、すぐに収束し、頬にわずかな笑みが浮かんだ。


「いいぜ。んなことなら、お安い御用だ。オレのことは黄金って呼んでくれ、ましろ」

『わたしも紫歩でいい』


 ましろはぱぁと表情を明るくする。


「はい! 黄金さん、紫歩さん、よろしくお願いします!」


 うんうん、と黄金がうなずく。

 ましろの方はそれで勢いづいて、言いにくかった言葉を吐きだした。


「あと」

「まだ、あんのか」

「大変申し訳ないんですけど、インターネットで調べてきてません。ごめんなさい。そもそも、実家にネット環境がありませんでした」

「はぁ?」


 ましろと呼んでほしい、とお願いした時よりも、大音量で黄金は驚きの声をもらす。

 金縛りにあったように、ポカンと口を開けたまま、彼女は思わずましろの顔を凝視した。


『驚き。今なんで生きてるかが不思議なぐらい』

「ましろ、てめぇよくそれで今まで生きてこれたな」

「そこまでびっくりするようなことなんですか……」


 自分では普通だと思っていたことが、他人から見れば信じられないことだという評価を受け、先刻とは別の意味で、ましろは今すぐにでもこの部屋から逃げ出したくなった。


「かぁー、そういう理由わけなら、説明するしかねぇか」


 黄金は腕組をすると、鼻から大きな息を漏らした。


「おい、紫歩。ちぃとばかしスケッチブックとペンを借りてもいいか?」


 言われて、紫歩は黄金にそれらを渡した。

 受け取った黄金は、歯でペンのふたを取ると、片手に持ったスケッチブックの中心にだ円を書いた。


「まず、前提として、SEXY NOVAグループっていうのがある。うちの会社もここのうちのひとつだ」


 黄金はだ円の中に、SEXY NOVAと書き入れ、さらにそこから複数の枝を走らせた。


「上場してる業種としては、情報通信業とはうたっているが、まぁ、なんでもござれのコングロマリットだな」

「コングロマリット?」

「かなり簡単に言やぁ、縁もゆかりもねぇいろんな業種が合体してるグループってことだよ。うちのグループで例を挙げるなら、音楽事業、主としてアニメーション制作を行う映像事業、金融業、放送業、んで、芸能マネージメント事業だな」


 枝からのばした先に中心にあるようなのと同じだ円を描き、音、映、金、放、芸と加える。

 用を終えたからか、黄金はスケッチブックとペンを紫歩に返す。


「ここって金融業もしてるんですか!?」

「ちゃんと話聞いてたか? グループにはそういった業種もあるが、うちはあくまでも芸能マネージメント事業だけだよ」

『その中でも、ここはアイドルをマネジメントするだけの事業部』

「アイドル以外のマネジメントは他のところでしてるってことですか?」

「あぁ、そうだよ。ここのほかに大阪営業所が梅田にあるからな。でっけぇビルに構えてるぜ。こことは似ても似つかないようなな」

「なんでアイドル事業部だけ別になってるんですか?」

「それはな、簡単に言やぁ、VOTがかなり売れたからだよ」

「お姉ちゃんたちが関係してるんですか?」


 あぁ、と黄金はひとつうなずく。


「もともと、SEXY NOVAエンタ―テイメント株式会社 大阪営業所はアイドル事業部も含まれてたんだよ。当時はアイドル氷河期で、わざわざわける必要もなかったしな。もっと言うと事業部自体解体の話がでてたぐらいだ」

「そこからどういう経緯で別になったんですか?」

「その話に入る前にまず知識として、今日現在で、グループん中で一番お偉いさんの名前っつーのが、美旗至極みはたしごくって言うんだ」


 黄金は言葉をわざわざ区切ると、ここがポイントだと言わんばかりに意味ありげな笑みを浮かべた。


「美旗?」

「そうだ、今ましろが頭ん中で想像してるとおり、代表取締役は紫歩の身内、もっと言うとじいさんだよ」

『もともと、アイドル氷河期の時代に、黄金のお父さんたちが私のおじいさまにしつこく頼んで出来たのが、初代VOTなの』

「そうだったんですか?」

『そもそも、オーディションはなし。会社の関係者の知り合いのみ』

「それなのに、お姉ちゃんはどうしてメンバーに入ることになったんですか?」


 ましろの言葉に黄金と紫歩は顔を見合わせる。


「いやぁ、オレがオヤジから仕事を引き継いだだけだから、そこらへんはあんまり知らねぇんだよ」


 黄金はカッ、カッ、カッと笑いをもらしながら、後ろ手に頭をかく。


『私もそこまでの理由は知らない。ただ』

「ただ?」


 紫歩はましろに見せていたスケッチブックを引っ込めると、今までの時間よりも長く文字を書いていた。


『私がメンバーになることは確定していて、青澄海あすみもすんなりと決まった。けど、輝赤だけは候補者だったもうひとりとどちらかになるかはすごい議論になったって輝赤自身から聞いた』

「ぶっちゃけた話、新メンバー募集のときそれを聞いて、そのもうひとりの候補者を探したんだよ。うわさによりゃ判断するための最終試験で輝赤よりもダンスも歌も圧倒的にうまかったらしいからな。ひょっとすると、履歴書ぐらいは残ってて、それ見りゃなんとかなさると思ってな。けど、その履歴書がどうにも見つからなかった。いくら探しても輝赤のしかなかったんだよ。もう一人のはまるで元からなかったみたいにな」

「でも、最終試験っていうものをしたんであれば、その人たちは知ってるんじゃないんですか?」


 黄金は力なく首を横に振った。


「その時点で、最終試験に立ち会ってた三人のうちの二人は既に表舞台から姿を消してたんだよ。それでいて、その内の一人であるオレのオヤジは、落ちたやつまでの情報は引き継がなかったもんだからよぉ」


 黄金は表舞台から姿を消した、という言葉を使ってみせたが、彼女の表情からましろはその意味をなんとなく察した。


「んで、残り一人は新メンバー募集の際には、日本にはいなかったんだ」

「どういうことですか?」

「その人はもともと統括プロデューサーだったんだが、VOTが世間でも注目を浴び始めてから、海外の事業場にとばされたんだよ。理由については、その空いた席に紫歩のじいさんが座ったってことから予想は付くだろ?」


 ましろは言葉を失った。


「オレたちが生きてる業界っつーのはこういう場所だから、誰も文句は言わねぇけどな」


 流れがあったとはいえ、自分で話しておきながら、そっけない物言いには、早く会話を打ち切りたい、という気持ちが表れているようにましろには思えてならなかった。


「でも、電話とかで聞くぐらいは……」

「さっきコングロマリットだって言ったよなぁ?」

「はい」

「その人が次についた業種は芸能マネジメント業じゃなかったんだよ。だから、まだ企画段階である新メンバー募集の話自体漏えいすると、最悪オレの首が飛ぶ」


 数秒間、ぎこちない沈黙の間があった。


「話はそれたが、それで思いのほかにVOTが人気が出ちまったわけだから、アクターズアカデミーでも経営して、未来の卵を育てようって話になった。そうなってくると、事業規模がでかくなるもんで、ほかの事業部と一緒の営業所だと場所とかの関係で不都合がでてくる。んで、アイドル事業部だけでビルごと日本橋に新しく借りたってわけだ。成功してた時代の産物なんだよ、この事業部は」


 黄金はわずかではあるが嘲笑に似た薄笑いを口許に浮かべ、言葉を継いだ。


「けど、今のうちの現状を包み隠さず話すと崖っぷちって言葉以外に見当たらねぇ」


 黄金が言いきった瞬間に、ましろの耳をサクリ、という音がたたいた。その方に顔を向けると、紫歩がなんの表情も浮かべずに、クッキーを口に運んでいた。


「VOT以降にデビューしたのは、二人組アイドルユニットが一組だけだ。笑っちゃうだろ」


 黄金は場違いな弾んだ声で続ける。


「それでもここの運営を続けてるのは紫歩がいるからだよ」

「えっ?」

「要するに、孫のわがままに付き合ってんだよ」


 答を求めるようなましろの目に応えて、黄金が短く、明快に言った。


「紫歩の時間は、他のやつらが事故にあったときからまったく進んでなかったんだよ。なんなら、ましろが来るまでは笑うことさえなかった。思い出に浸りながらでしか生きてられなかったんだよ。それを紫歩のじいさんは理解してるからこそ、ここを残してくれてる。普通なら万年赤字の事業部なんて解体されるからな。けど、いくら代取だっつても、一応社員からの目がある。ましろがさっき雑誌で見せたビルは維持費がかなりかかるっつーことで、前のとこより格段に安い、ここに移ったってわけだ」


 それを聞いて、ましろは紫歩を見た。彼女は黄金の言葉など耳に入っていないかのように菓子に舌鼓を打っていた。


「……私と一緒だ」


 ましろの喉奥から、絞り出すような声がもれた。

 と、その時――

 ドタドタという足音が遠くから聞こえ、数秒後に応接室の扉がノックされた。黄金が返事する前に扉が開かれた。


「遅れてすみません!」

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