第9話 意思表明

「てめぇの姉が、うちにかなりの利益をもたらした、VOTの戸田輝赤だからだ」

「えっ」


 ましろは思わず問い返した。黄金は当然だろ、という顔で言う。


「ダンスを見た感想を言えば、別にへたくそってわけじゃねぇ。

 むしろうまい部類には入るな。

 けど、それは素人の中ではっていう限定がつく。

 言い方はわりぃが、あの程度ならプロになりゃごろごろいる。

 んで、歌の方だがそっちも特段へたでもなけりゃ、ずば抜けてうまくもねぇ。

 けど、それを考慮してもお釣りが出る要因として、戸田輝赤が姉っていうのがある。今の時代、正攻法で勝負してもまず目につかねぇんだよ。

 話題にならなきゃ人の目に触れない。そもそも見てもらえなきゃ、良い悪いの前に判断すらされねぇんだ。

 そりゃ昔もアイドルが多すぎて人の目にも触れにくかったのかもしれねぇ。

 けど、アイドル自体に興味を持っている人間が一定数はいた。

 今は母数自体はかなり少ねぇが、そもそもアイドルってジャンルに興味を持っている人間が数えられるしかいねぇレベルだ。

 もともとアイドルを応援してたやつらも声優アイドルの方に行っちまった。

 そうなってくると、今アイドルに興味がないやつらを引っ張ってこなきゃセールスが見込めねぇ。

 そんな中で数年前に老若男女にまで名前が知れ渡ってた戸田輝赤って言葉は、売り出す際にいい宣伝文句になる。

 んで頭ん中でそろばん弾いて、てめぇを優遇するにふさわしいって判断した。

 そんな理由だからオレはてめぇ単体として、評価して契約を結んだ部分はみじんもない。あくまでも姉の名で取ることを決めた。それだけは理解しといてくれ」


 黄金の思わぬ長い弁別に、ましろは思案げにしばらく口をつぐんでいた。

 突然、横腹に分厚い鉄板を押しつけられたような圧迫感をおぼえる。


「厳しい言葉かと思うか?」


 ドスの利いた低音だった。

 黄金は自分の言葉をさして気にするでもなく、続ける。


「けどな、アイドルっつーのは、ガキの遊びじゃねぇんだよ。その周りで金がぜってぇ動く。さっき優遇って言葉を使ったが、そりゃ売上をもたらしてくれる可能性が高いもんを会社はいい待遇をするだろ。逆に優待するにふさわしくないものは、それ相応の扱いをする。大人の世界じゃ常識だ」


 ましろにとっては夢やロマンといった浮わついたものかもしれないが、黄金にとってはただただ純然たるビジネスに過ぎないかのような言いぶりだった。

 ましろは喉が張り付くように渇いているのを自覚する。予測はしていたものの、額に汗が噴き出て、ツーと滴り落ちた。


「オレはいくら歌やダンスがうまかろうが、アイドルにふさわしくないやつをステージに立たせるつもりはない。とりあえず、専属マネジメント契約は締結する。けど、オレがふさわしくないと判断したら、ステージに立たねぇまま契約期間満了になるかもしれねぇ。そうなったら、金はまったく入らねぇな。それでも、アイドルになってやっていける覚悟はあるか?」


 切れ長のすずしげな目元は、挑戦的な鋭さを宿していた。ほんの数秒のうちに、ましろははらを決めた。


「それでも……それでも……」


 ましろが、喉になにか詰まっているかのような声で言った。


「あぁ、何言ってんだ? まったく聞こえねぇぞ」


 黄金が左の耳に手のひらを当てて、大きな貝を作り、とぼけたように問う。


「それでも私はアイドルになりたいです」


 つぶやきが、しなびた光の中を浮遊する。

 言葉につよさはなかったが、ましろの瞳は、真剣で、真正面から黄金を見つめ、その様は魂をつかもうとしているかのようであった。


「それが答え……か」


 黄金の口から吐息が漏れた。


「戸田ましろ、アイドルは好きか?」

「はい!」


 黄金は固く目を閉じた。


「見た目は全然ちげぇが、中身はやっぱあいつとそっくりみたいだな」


 再び目を開いた時、黄金の瞳は一瞬にして静かな湖面のように落ち着きを取り戻していた。

 彼女はまっすぐにましろを見た。


「それに目の輝きがそっくりだ」


 黄金は腕を組んで考え込んでいたが、しばらくしてその腕をほどくと、右拳で左のてのひらを打った。

 風船がしぼむように、ましろは張りつめていた緊張が急激に萎えていくのがわかった。


「うっし、そんだけの意思があるなら、もうオレは何も言わねぇ」

「それって――」

「ん代わり、その選択を後悔だけはすんなよ。あとマジでふさわしくないと判断したら立たせる気はないから、理解はしといてくれ」


 ましろの表情に明るさが兆しはじめる。


「はい!」


 その返事を聞いて黄金はうん、とうなずく。


「んじゃまぁ、とりあえずしゃべりすぎて喉がカラッカラなもんだから、とりあえず茶でもしばきながら詳しい話でもしていくか」


 黄金がソファから立ち上がろうとすると、応接室の扉が二回ほどノックされた。

 数秒後に扉が開き、湯呑みをのせたお盆を持った紫歩が姿をあらわした。膝の上には『そろそろ話が終わりそうな頃だと思って』と書かれたスケッチブックが置かれている。

 ましろは腰を浮かせ、「お気遣いすみません」と頭を下げた。


 紫歩は車椅子ですぅっとましろに近付き、机の上に湯呑みのひとつを置き、ついで黄金の前に置く。

 二人に配り終わると、紫歩は黄金の横に控えた。


「ありがとうございます」

「おぉ、紫歩サンキュ―な」

『少し冷めた。温めなおすなら言ってほしい』


 二人の謝意に対し、紫歩はスケッチブックにそう書いた。


「んー、んなに冷めてねぇし、これで十分だと思うぜ」


 黄金の言葉に満足すると、紫歩はましろにスケッチブックをみせる。


『どうぞ』 


 温かい湯気とともに香ばしい匂いがましろの鼻腔をくすぐる。

 湯呑みを口に運ぶ。

 肩のあたりにしこっていた緊張感が溶け出す。


「私も問題ありません」

『それなら良かった』

「それじゃあ、茶も入ったようだし、今後についてのもちっと詳しい話をするか。あっ、んなに気張らなくていいぜ。むしろ、菓子でも摘まみながら、気楽に聞いてもらえりゃいい」


 黄金は促すが、デスクの上にある透明のガラス皿には、銀紙に包まれたチョコレートが2、3個ぐらいしかない。


「って言っときながら、これじゃあ摘まみようがねぇな。ちぃとばかし待ってろ。おかんちゃんが補充してくれてるはずだから探してくる」

「いや、そんなわざわざいいですよ」

「オレも口寂しいし、別にうちで買ってるもんじゃねぇから遠慮すんな、すんな」


 言葉を残し、黄金は応接室から出ていってしまう。

 黄金が菓子を取りにいっている間に、何もせず座しているのも居心地が悪いような気がして、ましろは立ち上がる。

 すると、紫歩がちょうど茶を置いたときのように近付いてきた。


『さっきの会話廊下までもれてた。黄金の言葉辛辣。ごめんなさい』


 紫歩が黄金の代わりに謝ると、ましろは何かを堪えるように口許を引き締め、しばらく黙りこんだ。

 紫歩がスケッチブックをめくり、新しいページになんらかの言葉を記入しようとしたとき、ましろが口を開いた。


「謝らないでください」


 紫歩がスケッチブックから顔をあげる。


「黄金さんが言ったことは、すべて事実だと思います。実をいうとアイドルにならないか、と言われたとき、自分のパフォーマンスごときで大丈夫なのかどうかを聞こうと思ってたくらいです」


 ましろは自嘲の笑みをもらす。


「今はまだまだアイドルとして、足りない部分が多すぎるのは痛いほどわかってます。だから、姉のおかげでなれたっていう評価は甘んじて受けます。けれど、いつか姉の七光りじゃなくて、私という人間を絶対に認めてもらいます。……そうじゃなきゃここに来た意味がないので」


 しょぼんとうなだれてみせた後、ましろはこぶしを握り、宙をにらんだ。


『最後の方聞こえなかった』

「あんまり気にしなくて大丈夫です」


 紫歩は不思議そうな表情を浮かべていたが、少しすると、またスケッチブックに向かっていた。


『応援してる』


 ましろはその文字を見て、心にほんのりとあかりがともったような気がした。


「ったく、とんだ悪者にしたてあげられちまったみたいだな、オレは」


 ましろと紫紫のやりとりが廊下にまで筒抜けだったのか、応接室に持ってきた黄金は、やれやれ、と息を吐いた。


「言葉で言うのは簡単だ。輝赤みたいに行動で示してくれよな」


 彼女は両手いっぱいにせんべいやらクッキー、果てはマシュマロまでもを抱えていた。それをデスクの上にどさりと置く。

 そうして、ましろの真向かいにドカッと腰を下ろした。


「遠慮なく食ってくれ。なくなりゃ、またおかんちゃんが補充しといてくれるから、心配すんな」


 すすめながら黄金はクッキーの袋を手に取ると、封を開き、一枚取り出す。

 包装紙に期間限定さくら味と書かれた、ほんのりとピンクに色づいたそれを、サクリといい音を立て口に入れた。次いで、茶をすする。


「あえて挑戦したが、やっぱ、茶にクッキーは合わねぇな。おとなしくせんべいでも開けりゃよかったぜ」


 カッカッカッと笑いながらいい終えた黄金が急に真面目な顔つきになる。


「さてと、んじゃま始めるか」


 湯呑みをデスクに戻すと、彼女はぞんざいな言葉遣いで切り出した。

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