第7話 猫かぶり

 ましろは女性に応接室へと案内された。

 そこにも廊下に飾られていたのと同じように絵画が飾られている。

 風景画ばかりであった。

 そのどれもがましろに惜しい、という感情を抱かせた。


 癖がでそうになるのを堪えて、磨りガラスのテーブルの前で女性と対峙する。

 ましろは自分からは話さず、向こうが切り出すのを待った。


 女性は怜悧なまなざしをましろにぶつけながら、口火を切った。


「先に申しあげておきます。あなたも知ってのとおり現在当社におきましては、SEXY NOVAアクターズアカデミー大阪校の運営をしておりません」


 静かだが、力強く響きのある声で続ける。


「そのため、大変申し訳ございませんが、ご期待に沿えずただの時間の無駄になる可能性もないとは限りません。というよりもそうなる可能性の方が、確率として限りなく高いでしょう。それでもよろしいのであれば、どうぞ」


 ましろは女性をじっとみつめた。

 丁寧な言葉とは裏腹に、とてもじゃないが歓迎しているような雰囲気ではなかった。


 少しためらった後、悪魔の誘いに身を委ねたかのようにましろはソファーに腰を下ろした。


「失礼いたします」


 それを確認し、女性も腰を下ろした。

 扉は開け放たれたままだった。

 見計らったようなタイミングでキィキィと音を立てながら、入口の方に紫歩がやってきて、スケッチブックを見せる。


『お茶かコーヒーかどっちがいい?』


「紫歩さん、こちらの方は長居はなされないので、何も出す必要はありませんよ」


 女性は、言外に早く帰ってほしい、というニュアンスが込められた言葉を冷やかに言い放つ。

 ましろは、識らず識らずに膝上の拳をギュッと握りしめた。


『わかった』


 そのまま、紫歩はそっと扉を閉めると、どこかへ行ってしまう。

 しわぶき一つない静寂の中、女性が切り出す。


「申し遅れましたが、私、SEXY NOVAエンタ―テイメント株式会社大阪営業所 アイドル事業部の事業部長を務めております、明星あけぼし黄金こがねと申します。早速ですが、あなたはSEXY NOVAアクターズアカデミー大阪校の情報をどこで知ったんですか?」


 黄金の声は抑揚に乏しく、まるで報道番組かなにかのキャスターが、ただ淡々と事実を読み上げているかのようであった。


 ましろは、5年前に発刊したアイドル雑誌をとりだして言う。


「この雑誌で知りました」


 黄金はウソつけと言わんばかりの微笑をみせる。

 そう思われても仕方ない、逆の立場であれば、確かに自分もそういう反応をとるだろうとましろは考える。

 しかしながら、ましろがSEXY NOVAアクターズアカデミーがアイドル志望者を募集していることを知ったのは、間違いなくその雑誌からだった。


 このまま中断されても仕方がない、と思ったましろであったが、意外なことに面接は続けられた。


「でしたら、こちらに羅列しております履歴書は、ご持参していただいているということですかね?」

「は、はい」


 ましろは隣に置いていたショルダーバッグの中から、ファイルに入れておいた封筒を出して渡した。


「お預かりいたしますね」


 受け取った封筒から履歴書を取り出す際、一瞬だけ黄金は埴輪のように口を開いたまま停止した。

 しかし、すぐに表情を取り戻すと、彼女の頬に、ちらりとほほ笑みが浮かんだ。


 取り出した履歴書を彼女は封筒に戻し、テーブルの脇に置く。


「生年月日などにお間違いがないか、身分を証明するようなものはございますか?」


 先刻までと一転して、弾んだような声だった。

 言われてましろは、財布から免許証を取り出そうとした。


「えっ」

「どうかしましたか?」

「あっ、なんでもないです、どうぞ」


 怪訝そうな表情をした黄金に、ましろは免許証を渡す。

 いつも財布のポケット一番手前に入れていないはずの免許証が、なぜか一番前になっていることに、若干の違和感をおぼえ驚きの声をあげてしまったが、入れ間違いをしたのだろうと自己解決した。

 手渡したそれを片手に、黄金は遠慮なくましろの全身を眺め回す。


「間違いねぇか」


 黄金がぼそり、とつぶやく。

 何か言ったということさえ、よほど気を入れねば、聞き取れぬほど潜めた声だった。


「何か言いましたか?」

「いえいえ、なんでもございません。では、こちらはお返しいたしますね」


 黄金から返された免許証を財布にしまう。


「これから、少しあなたの実力を見せていただきたいのですが、よろしいですか?」

「えっ、実力ですか?」


 突然の黄金の提案にましろは驚きを禁じ得なかった。

 可能性があるのではないか、と思った矢先、言葉が投げつけられる。


「まだ、ご期待に沿えられるかどうかは、お答えいたしかねますので、その点は

ご了承くださいね」


 そう言って黄金は、右手で側頭部をコンコンとたたきながら、立ちあがった。

 ましろも急いで腰をあげる。

 黄金についていき部屋を出ようとして、


「わっ」


 ましろは驚きの声をあげる。扉のすぐそこに紫歩がいたからだ。

 彼女はスケッチブックを胸に掲げていた。


『どこにいくの?』


 ましろ同様に一瞬驚いた表情をした黄金が、それを見て答えを返した。


「レッスン場ですよ」

『何のために?』

「この子の実力を見るため、ですかね?」


 黄金の返答に表情ひとつ変えず、淡々と紫歩がスケッチブックに文字を書く。


『どういうつもり?』

「私がどういうつもりかは、紫歩さんも見ればわかりますよ、きっと」


 黄金がいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「では、行きましょうか」

「はい」


 黄金が歩き出したため、ましろは彼女の後ろをついていった。

 リズムの合わぬ二つの靴音とキィキィという機械的な音が、灰色の廊下にこだました。


「レッスン場は上にあるんですよ」


 エレベーターの前で振りむき、黄金がましろに笑いかける。

 ずっと下の階で止まっているらしく、しばらくたっても赤く光る数字は変わらなかった。

 待っている間、紫歩はずっとましろの顔を穴があくほどみつめていた。


『あなたに何があるの?』


 紫歩がましろへ向け、それを見せた。

 ちょうどその時、 エレベーターが到着したという合図を鳴らした。

 少し遅れて、扉が開く。


「お先にどうぞ」


 黄金がエレベーターの開ボタンを押して、先に入るようにすすめた。

 ましろが入るより前に、紫歩が入っていく。

 彼女は車椅子にのりながら、エレベーター内部の4のボタンを押した後、開のボタンを押し続けていた。

 ましろと黄金が入ると、彼女はボタンを離した。


 息の詰まるような数十秒の密室空間を出たましろの前には、縦長の部屋が現れた。

 黄金が、電気をつける。

 幾枚も鏡を張り、握棒が備え付けられたレッスン場。

 ましろが案内されたのはそんなところだった。


「少し待っていてくださいね」


 慣れた手つきで、部屋の隅に置いてある音楽機器を黄金は触り始める。


 その間に、ましろは床と鏡を検分した。ともにピカピカに磨かれており、鏡の方にはくもりひとつ見当たらない。


「ここは弊社のアイドルがレッスンに使う場所なので、掃除はほかよりも特に気合いを入れてするようお願いしているんですよ。ちなみに場所こそ移りましたが、広さや握り棒の位置、果ては鏡の枚数まで前のレッスン場と同じですよ」

「前のレッスン場ってことは――」

「あなたがよく存知あげてるであろう、あの子たちが使っていたレッスン場ですよ」

「そことすべてにおいて同じ……」


 ましろは改めて、鏡、いや鏡の中の自分を見つめた。

 ワインレッドのリボンが、光の加減のせいか微かに輝いたように錯覚した。

 もう一度、鏡の上から下へと目を走らせる。


 と、ましろが何度も繰り返し聴いたことがあるイントロがふいに耳を叩いた。

 心臓が脈を打つ。だんだんと勢いを増し、何度も何度も身体の中から、コツコツとノックをしてくる。

 それを逃がすかのように少し曲げた膝から力を抜き、勢いよく空へ身を放つ。

 すると、ふんわりと空気に溶けるようにましろの身体が浮いた。


 自然と口が動く。

 ワンフレーズ目を歌った瞬間、黄金の唇が、やわらかい弓なりのカーブを描いたのがましろの視界に入った。




 数分間の後、黄金の指が音楽機器のスイッチを切った。

 音楽が鳴り止む。

 物々しい静けさの中を、二つのせわしい息が折り重なって響いていた。

 一つは歌い、踊り終えたましろのもの。


 もう一つは、――


「はぁっ、はぁ、はぁ、はぁっ……」


 見ていることしかしていないはずの紫歩のものであった。

 彼女は眼帯がはめられた方の目をおさえながら、酸素不足に陥った金魚のように顎をつき出していた。

 汗が、ましろのこめかみを流れていく。


『彼女は何者? まさか輝』


 紫歩が横にいた黄金に向け、輝の次の文字を上から黒で斜めに消したスケッチブックを見せた。


「その質問は直接本人に訊いてもらった方がいいと思いますよ」


 黄金がうすく笑う。

 紫歩は幽霊でも見たような顔つきで、ましろを凝視した。

 直前に書いた『彼女は』の三文字を二本線で消し、スケッチブックをましろに向ける。


 ましろはすぐにその質問に対し、回答しなかった。というよりもできなかった。なにか言いたくても、息が弾み声も出ないのだ。


 粗い呼吸が段々とおさまっていく。

 ましろは丹田に力を込めて、息を吐き出した。


「私は、戸田ましろです」


 ましろが自身にかかる情報を明らかにすると、紫歩は大きく目を開いた。

 まさか、という表情をする。


「戸田輝赤は、私の姉です」


 ましろが紫歩に向けてほほ笑みかける。

 がたん、という何かが地面に落ちる音がレッスン場に反響した。

 それは他でもない、紫歩がスケッチブックを地面に落とした時に発せられたものであった。

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