第10話
次の日から、加奈が家にやって来た。ヘルパーさんが加奈と一緒に私の家に立ち寄り、加奈がお邪魔します、と家に入る。加奈も落ち着いたのか、笑顔が増えたように感じた。
初めはぎこちない会話ばかりだったが、幼い頃から少しずつ会っていたおかげか、あまり時間がかからないうちに慣れていった。加奈は学校で今日あった事、色々な事を聞いて、笑い、驚き、微笑んだ。
加奈が次第に大きくなり、自分の家の家事もこなし始めた頃、加奈からヘルパーの訪問日を減らすように父親に言い、自分の家と良輔の家に交互に出入りするようになった。
小学校6年になる頃には、私が作った料理か、まだぎこちなく加奈が作った料理を2人で食べ、取り置いたものを持って家に帰り、父親に食べさせていた。
すくすくと育つ加奈を微笑ましく思える半面、恋人でいた加奈を助ける予定が遅れていることが気になり始めていた。このまま行くと自分が65になっても終わるかどうか。今の幸せは惜しいが、このまま見守ってしまうと、私がもたないのでは、とも心配になる。
小学校を卒業し、夕食に中学の話題が増え始めた頃に、加奈に言ってみた。
「加奈ちゃん、もう、おじさんの所に来なくても、大丈夫なんじゃないかな」
いつもの夕食。加奈の箸が止まった。
「おじさん、どういう意味?私、来ない方がいい?迷惑かけてる?」
「いやいや、迷惑なんてかけてないよ。逆に本当に助かっている。加奈ちゃんがきてくれて毎日が、とても充実しているよ。でも大変じゃないかな」
「そんなことない。大変じゃないし、おじさんの所にくるのは楽しい。来ちゃダメですか?」
良輔は加奈の寂しそうにする姿に、気持ちが折れそうになる。しかしこのままでは。
「ごめんね。実はおじさん、そろそろふるさとに帰ろうかと思っていたんだ」
「ここっておじさんの家でしょ?」
「ここは借りてるんだ。あと単身赴任で来てるって言ったと思うけど。まあ今は単身違いだけどね」
自虐的な発言に加奈は戸惑いながら笑う。
「でもそれでちょっとずつ、戻ってみようかと思ってね。向こうには向こうでおじさんの家があるんだよ」
「・・・すぐいなくなるの?」
「いや、まだまだだよ。ただ、こう毎晩ではなくなるかもしれないから」
「じゃあ、いる日は来ていいの?」
「もちろんだよ。玄関の明かりが付いている時はいる時だから、是非、おいで」
良輔は結局折れてしまった。しかし加奈との生活がなくなることは、思った以上に辛いことなんだと、今日わかってしまった自分がいる。
初めは反対していた加奈の父親からも、ご迷惑をおかけしますが、ご在宅の時は迷惑でない限り、いてあげてもらえませんかとお願いされた。今では彼からも信頼を得ている。
結局良輔は土曜から月曜までを不在とし、それ以外は変わらない生活を続ける事になる。
日に日に積もる娘としての加奈への感情。恋人としてではなく、違う関係として募る複雑な思いを、良輔は感じていた。
加奈が高校2年の時、父親が職場で急に倒れ、帰らぬ人となった。
ささやかに葬式を上げる事になったが加奈の親戚がくることはなかった。
「パパもママも、ずっと会うまで2人っきりだったんだってパパが言ってた」
寂しそうに笑う加奈。
「加奈ちゃん。少し、私にも葬儀をお手伝いさせてもらえるかな」
そんな良輔の一言に、うん、うんと泣いて頷いていた。そして良輔は自然と加奈の頭に手を乗せて慰めていた。加奈のすすり泣きが嗚咽に変わり泣き止むまでそばにいた。
私はその日のほとんどを過去の時間に使った。
次の日からも加奈は相変わらず夕食を家で食べた。少し無理をしているようだったが、そこは良輔からは何も言わなかった。
ただ、加奈を支えなければならない、そういう思いが良輔の気持ちの半分以上を占めていた。
「高校卒業したら、働こうと思ってる」
高校3年になった加奈は、そう良輔に告げた。
「今の高校は進学校だろう?」
良輔はもしかしたらと予想していた加奈の一言にそう答えた。
「でも、働いた方がいいかな、って」
「そうかもしれないが、おじさんはそう思わない。立ち入るが、生活が苦しいのかい?」
「お金は、なんとかなると思う。けだ、このままでいいのか不安で」
父親の保険がおりているはずだし、大学くらいまではなんとかなるんじゃないだろうか。
「なら、大学は行きなさい。語学を学びたい、と言ってたじゃないか。確かに働きながら学ぶこともできるけど、大学で学ぶという事は、時間も質も違う。お金の事はおじさんもアドバイスくらいはするから」
歴史は変わらない、とは良輔にはもう言えなかった。気がつけば、もう十数年間、加奈に深く関わってしまいすぎていた。しかし加奈が大学に行かないと、色々と変わりすぎて私と出会えない可能性が高まる。それは良輔と加奈、この二人関係の始まりを否定している。
「これは、お父さんから預かっていたものだ。少ないけれど、受け取って欲しい。入学金くらいにはなるはずだ」
良輔はそう言って通帳を手渡した。このお金は加奈の父親が夕食代として良輔に渡していたものだ。どうやらそれなりに出世していたようで、加奈が高校に行く頃あたりまで、少しずつだが金額が増えて来ていた。良輔は黙ってそれを受け取り貯金していた。きっと彼も私がそうしている事に気が付いていただろう。
「こんなお金知らない。貰うわけにはいかないよ」
加奈は大きく首を振って返した。
「これは、加奈ちゃんが小学生の時にうちに食べにくるって話になってから、ずっと頂いていたものだよ。当然、少し食費に使わせてももらったけど、余ったものは貯金させてもらっていた」
嘘だ。1円も使ってはいない。
「本当は加奈ちゃんが嫁に行く時に渡そうと思ってたんだけどね。まあ、お父さんもなんとなく気が付いていたと思うよ。さあ、使いなさい。君が使っていいお金だ。そして大学に行ける高校に出してもらった、お父さんの気持ちも大切にするんだ」
良輔は力強く、また通帳を返した。
「・・・ありがとうございます」
加奈はそう言って小さく震える手で受け取った。
「そうだ。そして頑張って勉強して、合格しなさい。さすがに浪人できるほどあるわけじゃないぞ」
良輔はおどけて見せて、2人で少し笑いあった。
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