見覚えのある姿 1

 こんな状況にいる人間が、世界中に今どれくらいいるだろう。

 自分の家とは全く異質な、でも同じくらい散らかった部屋のなか、和成は思った。


 もとは静寂に満ちた和室だったのだろう、まだ少し涼しい初夏の空気で洗われた畳からは落ち着いた家の息遣いを感じる。それがどうしてこんなにも散らかってしまったのか。


 目の前では和佳奈がアルバムを見て思い出に浸っている。ただでさえ騒がしさに満ちた空間が、彼女の高揚した声でよりうるさい。写真の風景も原色ばかり、写っている人々の服装も鮮烈で、目がチカチカしてくる。充実感に満ちた写真の笑顔と相まって目が眩みそう。何とか避けようと顔を上げても、部屋には同じような色の置物がずらりと並んでいてうっとうしい。

 まさに四面楚歌、八方塞がりとはこのことか。

 やれやれと頭を悩ませながら、目の前の土産物紹介バザーから目を離し、中庭の樹を眺める。


 中央にひとり静かにたたずむ樹は、雲のまばらな空を背景にすると寂しく見えた。まわりを1羽のハトがせわしなく飛び回っている。枝にとまったかと思えば、すぐにまた飛びまわり、別の枝にとまる。どうも落ち着きがなくて、見ていると疲れてしまう。あの樹だって静かに過ごしたいだろうに、頭のまわりをあれだけ動き回られると気になって仕方ないに違いない。


「うーん、やっぱり死ぬ前にもう一回行っておきたいよねー。あの空に落ちていくような感覚は忘れられないよー」

 こちらでも、騒がしいヤツがきゃいきゃいと騒いでいた。植物と同じ気持ちになることはできないが、状況的には同じ。

(あの樹とは意外と仲良くできるのではなかろうか)

 鮮やかすぎる色に囲まれた空間にいるせいか、思考がおかしくなってきているのを感じていた。


 和佳奈の言う「記憶を取り戻そうの会」というのは、どうやらアルバムや土産物を見ることで、当時の出来事を思い出してみようということらしい。

 たしかに映画なんかではその人の思い出に残るような物がトリガーとなって、重要な記憶を思い出したりしているシーンもある。自分の状況がそれと同じとは思えないけれど、何も手がかりが無いよりはいいだろう。


 それにしても一体いつの間にここまで用意したのか。そんなそぶりは一切見せなかった。そもそも白いワンピースの不思議な少女の話をしたのはほんの数時間前のこと。いかに段取りをうまく組んでいたとしても、短時間でこれだけの量の土産物を運び込むことはどう考えても不可能だ。

「いつこいつらを用意したんだ?お前が超能力者だった記憶はないんだけど」


 「それともタイムトラベラー?」と、間の抜けた疑問を口にすると、「ん?なんのことー?」と心の底から分からないといわんばかりの能天気な声が返ってくる。ハトが枝から飛び上がるたびに今にも落ちそうに葉が揺れている。


「シラを切るんじゃない、この部屋の状況を説明してほしいんだよ」

「ああー、このお土産ちゃんたちねー。別に君がここに来るから用意したわけじゃないんだよねー」

「え」

 今度はハトが枝に飛び乗ったところでついに葉が落ちた。風も吹かない静かな日、落下傘のようにゆっくりと落ちていく。


「頼んでたアルバムが今日出来上がるって聞いてねー。ちょうどお休みだしー、旅の思い出を振り返るのもいいかなーって思って、昭子おばさんちに届けてもらうようにしてたんだよねー。ほらー、この家見ての通り広いでしょー。おばさん一人暮らしだし、人の出入りもあんまりないのに、空っぽにしておくなんてなんてもったいないじゃない?だからおばさんへのお土産と、私のコレクションを置くのに使わせてもらってるんだー」

「・・・つまり僕の記憶を思い出させるつもりはなかったってことか」

「まー、もともとはねー。たまたま君が面白い話をしてくれたから、そのお返し、みたいなー?」


 それよりほら一緒に見ようよー、と言いながらアルバムのページをめくり、写真の出来栄えに満足げにうなずいている。

 てっきり自分のためにしてくれているものだと思っていたのに、そんなつもりがなかったとは。一体何のためにここまで来たのだろうか。

 過度な期待と彼女の奔放さの落差に愕然としているところに昭子がコーヒーを淹れて戻ってきた。畳の匂いの中に砂糖とミルクを入れられたコーヒーの匂いが混ざり、カフェとはまた違った空気が部屋を包む。

「口に合うかわからないけど、よければどうぞ」

 そう残し、昭子は縁側の向こうに消えてしまった。表の店内ならいざ知らず、さわがしい奥地では楽しめるはずもない。どうせなら遠くまで来た報酬として、まったりとした時間を過ごしたかったのに。


 昭子がさがるとき、襖を閉めようとしたので、半分開けたままにしてもらった。唯一の目の休まるところが部屋より静かな庭しかないからだったが、ずっと見ていて首が疲れてしまった。嬉々として話す和佳奈の土産話は一向に耳に入ってこず、呆然とした視線は庭の樹とハトに注がれている。


 普段はブラックしか飲まない和成だったが、出してもらったものに文句を言えるはずもない。だが気持ちを落ち着かせるためにもいいかもしれない。乾いた砂漠でやっとたどり着いたオアシスを見つけるようなもの、喜びも一入ひとしおだろう。

 啜ってみると、見た目と違ってくどくない。ほんのり甘いコーヒーが今の和成の心と体にしみる。あながちたとえも悪くないのでは、と自分のたとえに酔いしれていると、和佳奈が凝りもせずアルバムを目の前に広げてきた。


「ほらほらー、ぼーっと外ばかり見てないで和成くんも一緒に見てよー」

「あまり近づけないでくれ、目に悪い」

 首を背けても追ってくる原色の嵐に目をつぶって文句を垂れる。

 和佳奈は先ほどからずっとこの調子で、和成の周りに独特な形の彫刻や土産ものを置いては、注目してほしそうに写真に指をさしてくる。諦め半分で勧められるままに目を向けてやるが、正直何を見せられているのか。駅地下の販売員のしつこさに似たものを感じる。

 めくられていくアルバムのページのうわべに視線を走らせていると、この不毛な時間を終わらせたくなってきた。


「旅先での出来事を語るのはいいが、どれも僕とは関係ないだろう。この写真も、へんてこな置物も、全部君の思い出じゃないか」

 すべての旅行に自分が同伴したわけではない。写真に写っているのは和佳奈ばかりだし、そもそも和佳奈の旅行土産なのだから当然だ。

 考えているままを言ったのだが、不意に静かになった。何かあったかと顔を上げると和佳奈が真面目な顔でじっと見つめている。変に真剣な表情に驚き、少し後ずさる。床に置かれた置物の倒れる音が畳に沈んでいく。


「・・・どうした?」

「・・・」

 和佳奈は応えない。普段ならこれくらいの文句をつけてもすぐに投げ返されるのだが。互いにじっと見つめあう状態が続いた。

 子供のようなあどけない笑顔しているから忘れがちだが、彼女はもともときれいな顔立ちをしている。真面目な顔をすれば年相応の美しさをまとうし、大きな目に見つめられると緊張するのだ。


(どうしたものか)

 こういうときの切り抜け方を和成は知らない。話の先頭に立つ部類の人間ではないので、話題を替えたりするのは正直苦手だ。何気ない会話を、いつもはどうやっていただろう。

 楽しい話や面白い噂の発端を最初に聞きつけ、仲間内で広め始めるのはいつも和佳奈だった。大学時代も、卒業してから出会うときでも、彼女が発信源となって伝わっていく。彼らの会話はいつもそうして始まっていた。


 和佳奈が口を開く気配はない。普段とは違う空気感に和成はまた落ち着きをなくし始める。目のやり場に困り、彼女から顔をそむける。まるで蛇に睨まれた蛙のようにちぢこまってしまった。冷たい緊張が口に広がる。自分の周りに置かれた置物がどこか物々しく思えてきた。いたたまれない空気に、アルバムの写真や部屋に置かれた土産物の色が暗く濁り、目に入ってくる。


 すると目の端に明るい色がちらりと見えた。吸い付くように目を向けると、真っ白に染まった置物が和佳奈の斜め後ろにあることに気が付いた。他の置物や絵と比べると一回り小さいが、部屋に満ちた濃い色の影響で部屋の中にあるどれよりも浮いて見える。何故部屋に入るときに気付かなかったのだろう。


 主張の激しい赤、緑、黄、紫、橙。様々な色で飾られた和室の一隅。入るときはどれか一つに目を留めている暇がないほど、色の暴力に圧倒されていた。唯一見つけた救いが中庭の一本樹だ。

 それが今はどうか、その樹の葉の色さえも他の置物たちの色に紛れてしまったかのように、白い置物にしか目がいかない。それが気になって仕方がない。救いだったはずのオアシスを見向きもしなくなってしまっている。


 その様子に気付いたのか、和佳奈の感情の乗った声が響いた。

「あ、これ気になるー?お目が高いねー、さっすがー!」

 いつも通りの和佳奈の声だ。和成の意識がそちらに向くとすぐそばにいた。いつの間にこんな近くに移動してきたのだろうと、和成は不思議に思ったが、逆だった。和佳奈は座っていた座布団の上から動いていない。和成が移動していたのだ。無意識に腰を上げ、最初の位置と反対側にまで自分が動いていたことに素直に驚く。


「この置物、お店の人が特別安く売ってくれたんだよねー」

 和佳奈が子供を慈しむように、その置物の頭らしき部分をなでる。お気に入りの土産の一つだと察しがついた。きっと大事なものなんだろう。


 瞬間、和成の脳裏を違和感がよぎった。

 目の前の同級生。白い何かを模したであろう置物。色とりどりの背景。かすかなコーヒーの香り。傾いた太陽から注がれる朱い光―――。パズルのピースがパチッと合わさるような感覚が、和成の記憶を刺激した。


「なあ、それ・・・」

 和佳奈の目が向けられる。人をからかうときとは違う、可愛いものに向ける目。純粋な興味を向けていると一目でわかる表情。

 和成は意識のままに違和感を口にした。

「僕が買ったお土産じゃないか・・・?」


    ***

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