見知らぬ街へ 4

 公園からしばらく歩き、途中バスを乗り継いで、2人はどんどん進んでいく。

 見知らぬ街の奥深くに入っていく感じ。渋谷を歩いているときは目的地に向かって一直線に進むだけだから、周りの景色のことなんて気にしないけれど、今日は感触が違う。人がほとんどいないことも作用してか、随分と世界が広く感じる。


 こんなに広い場所が、世の中にあるのか。

 日常を賃貸の小さい部屋と人で溢れる渋谷にしか感じていない和成だが、この道程を不安に思いつつも楽しんでいた。


 なぜ駅からバスに乗らなかったのか、座ってから聞いてみたら「歩くの疲れちゃったから」と、和佳奈らしからぬ理由が述べられて少し拍子抜けしてしまった。

 そんな彼女は和成以上に楽しんでいる様子で、道行く人々や最近できたらしいお店をいちいち報告してくる。隣の席で勝手にテンションが高まっていく。

 和成にも雰囲気だけ感染したのか。心なしかさっきまでの不安が薄らぎ、状況を楽しめている。気がしないでもない。


 20分ほど揺られ、和佳奈が降りまーす、と誰ともなしに言いながら目の前にあったボタンを押す。子供らしい和佳奈は、ドアが開くと小学生のように駆け下りた。

 続いて和成も降りると、バス停から少し離れたビルの前で和佳奈は待っていた。わんぱくな子供みたいだと、小さく鼻を鳴らして近づこうとすると急に和佳奈が歩きだした。


「ほら早くー」

 いや、早くと言われても。

 今向かおうとしたところなんだけど。


 何かにつけて行動の速い和佳奈にせかされながら、隣に追いつく。

 しばらく歩くと、バス停前のビルとは違う住宅が並ぶ区画に入った。1つ1つがまあまあの大きさを持っている。敷地を囲む塀、家へと続くであろう門との間には刈込をされた植木が見える。ここが一等地だと言わんばかりに、豪邸がずらりと並んでいる。


「はい、とうちゃーく!」

 和佳奈が急に大声で止まるので、豪奢な家々に目を奪われていた和成はぶつかりそうになった。ぎりぎりで回避したが。

 急に止まらないでくれ、と心の中で毒づく。


 頭を上げるとチョークで『山城カフェ』と書かれた小さな黒板が目に入った。名前の横には蝶で遊ぶ猫が描かれている。

 その建物は住宅街の中でやたらと西洋風を主張していた。他の家は取り囲むような高い塀があったのに対し、ここは頭一つが見える高さだ。中の様子がよくわかる。

 玄関までのアプローチの側の低木は丁寧に剪定されており、左右の庭を取り囲む柵は塗装の禿げたところが見当たらない。最近できたところなのだろうか、建物の白さが際立って見える。


ここが和佳奈の言う目的地なのだろうか。

「ここは?」

横を振り向くと、信じられないものを見たような顔で見つめられた。

「えっ、本気で言ってる・・・?」

「いや、こんな立派な家の持ち主は知らないけど・・・」


 和佳奈の言葉の真意を捉えかねていると、「まあ、見た方がはやいか」と呟きながらアプローチを歩き出した。

 ずんずんと先を行く和佳奈の背中からは何も読み取れない。つい先ほどまで、感情の両極端が振れ幅全開で歩いているようなものだったのに、急に冷ややかに止まったまま動かない。何か自分に足りないものがあるのだろうか。

 結局、意味不明なまま、(記憶はないものの)一度来たことがあるらしい家、もといカフェに入った。


 思っていたよりも店内は広かった。床も壁もきれいに磨かれ、ワックスのかかった木目調のインテリアは外観の白さと比べると、どこか古びた印象を受ける。が、時代と年季を感じる古めかしさだ。デザインが一昔前に統一されているからか、年配の客が多いからか、タイムスリップでもしているかのようだ。

 荷物や服装を見る限り、客は地元の人間が多いらしい。最初の印象ではまだ目新しく見えたが、店自体は随分と昔からあるものだと気づいた。


「懐古趣味があったとは驚きだよ」

「ざーんねん、これは私の趣味じゃないよー」

 店内を見まわしながらからかってみたが、アタリは外れたらしい。ということは店主の趣味だろうか。明治時代の日本人が憧れたであろう大きなテーブルと凝った意匠のイスが、いささか大きく感じられる。


 よく見ると客の足元に猫がすり寄っていたり、寝転がっていたりしている。テーブルの上にも、置物かと思ったが、丸まった猫がチラホラといる。

 これが世にいう猫カフェというやつだろうか。行ったことがないのでわからないが、不思議なことに動物臭さは感じない。人も猫も、この店にいるのが当然であるかのように、一体感があり、完成されていた。


 不慣れな状況にぽんと放り込まれた若者1人。どうしたものかときょろきょろしていると、店の奥から一人の女性が現れた。

「あ、昭子しょうこおばさーん、久しぶりー」

「あら和佳奈、聞いてたより早かったのね」


 昭子とよばれたその女性は背が高く、立ち姿が凛としていた。頭の後ろで一つにまとめた髪をバレッタで留めている。背筋の伸びたシャンとした姿からも若々しさを感じる彼女は、和佳奈の姉と言われても疑わないだろう。美しさが前面に出ているわけではないが、整った顔立ちやきれいにネイルされた爪からは近寄りがたい強気さを感じる。


「一応紹介しておくねー、和成くん。こちら、昭子さんね。このカフェの店長さんでー、お母さんの妹さんだよー」

「ど、どうも」

 呆けている間に圧倒され、そんなことしか口にできない和成に顔を向けると、優しく包み込むような笑顔になってこちらを向いた。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。準備は出来ているわ、ふたりともこちらへ」

「え?」

「ほら早くー、行くよ」

「いや、ちょっ」

 小さく一礼して再び扉を開けて歩いていく昭子に和佳奈がついていく。状況を理解できないまま置いて行かれたが、店の中でつっ立っていても意味がない。とにかく2人の後を追って奥に向かう。


 扉の先は縁側になっていた。扇形の中庭に沿って、左右に縁側が分かれている。正面とは反対側の庭も手入れが行き届いており、枝や落ち葉が見当たらない。整然と、澄んだ水面のように整えられた庭の中央には、1本だけ樹が植えられていた。時季を過ぎたようで花は残っていないが、葉はしっかりとついていた。

 外からはそう見えなかったが、これほどの庭があると分かるとやけに家全体が大きく感じる。いくら豪邸の立ち並ぶ土地とはいえ、この広さは程度を越えている。まるで迷宮に迷い込んだような、大きな静寂感があたりを包んでいる。

 まるで日本家屋の中庭のような場所だ。西洋風の外観をした建物には不似合いなはずなのに、なぜかここにあって当然であるような確信がある。どこか錯誤があるようでいて、正しくそこに収まっているような、歪でありながら正しい、不思議な空間。

 昭子はこんなところに一人で住んでいるのだろうか。一体何者なのだろうか。


 見慣れない光景と不思議な女性の登場に意識を取られながら縁側を歩いていくと、奥座敷があった。襖の開け放たれた座敷に2人が入っていく。

 大人しく従おうと、2人に続いて座敷に入った和成は思わず声を出した。

「なんだこれ・・・」


 変わった形の彫刻、色鮮やかな絵画、人と獣の混じった土器、極彩色に彩られたガラス製の器。縁側の雰囲気とは打って変わり、一気に目の前が明るくなったようだ。確かに畳の敷かれた座敷部屋には、中東趣味の産物が所狭しと置かれていた。

 屋敷の外観からは座敷の一つがこんなことになっているとは想像することはできないだろう。なにがどうなればこういう部屋ができるのか、和成にはさっぱりだった。


「よかったー、ちゃんと届いてたー」

「ちょっとうるさくなっているけど、もとはちゃんと落ち着いた雰囲気の和室なのよ」

「あー、うるさいって言ったー。ひどいなー、どれも可愛いのにー」

「まあ、それは否定しないわ。この置物もとっても私好みだしね、お店に出したいくらい」


 冗談めかして話しているようだが、すべて和佳奈の私物らしい。届いてた、言っていたが、これだけの量をいったいどこから持ってきたのか。和成の部屋は間違いなく埋まってしまうだろう。

 目の前の光景に唖然として動けないでいると、昭子が和成に顔を寄せてきて言った。いい香りが突然漂い、和成は身を引く。

「驚かせてしまったみたいでごめんなさいね、この子ったら急に来るっていうものだから、ろくに掃除もできていなくて・・・」

「おばさん、もういいってばー。それより早くお茶用意してよー」


 和佳奈が遮って急かしたので、昭子はあらあらと微笑みながら縁側の向こうに戻ってしまった。おばさんと呼ばれてはいるが、やはり所作1つとっても若さを感じる。はたして何歳なんだろうか。

 もちろん聞くことはできないが。


 さて、と気持ちを切り替えるように呟くと、和佳奈は部屋の中央に置かれた座卓に座った。一本の樹から造られたような重厚感のある机には何冊かの本が置かれている。随分と大きい。アルバムのようだ。


「ほらほら、立ってないでそっち座ってー」

 アルバムを開きながら、和佳奈は座るよう促す。言われた通りに向かい側の座布団に座る。ここまで流されるまま動いていたが、ついに体を落ち着けることができた。ようやく聞きたいことが聞けそうだ。


「・・・で、いったい何をしにこんなところまで連れてきたんだ」

「えー、そんなの和成くんの記憶を取り戻すために来たに決まってるじゃーん」

「いや、そうじゃなくてさ。わざわざこんな遠くの知らない店にまで来て、そのうえ店の奥のなんだかよくわからない趣味全開の部屋に通されて、何かを思い出すヒントになると思えないんだが、どういうつもりなのかってことだよ」

「よくわからなくないよー、この置物だって鳥の神様なんだよー、神聖なんだよー」

 側においてあったひと抱えほどの大きさの木彫りの置物を持ち上げると、和成の目の前に置いてほれほれと見せつけてくる。鬱陶しい。避けて和佳奈の目を見ようとしても遮られるの繰り返し。和佳奈本人はだんだん楽しくなってきたのか、「早く思い出しなよー」と腹話術までする始末だ。

 このままでは埒があかない。早いところ本題に入った方がよさそうだ。


 しびれを切らして先を聞こうとしたところで、和佳奈が置物をどんと置く。

「じゃー、さっそく始めようか!和成くんの記憶を取り戻そうの会!」

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