見知らぬ街へ 3
***
背の低い民家の横を通り過ぎていく。吸い寄せられるように空を見上げた。同じ東京のはずなのに、空の高さがまるで違う。見たこともない程に広く、大きい。
ここまで空が大きいものだったのかと、和成は驚いていた。
さっきここは自分の住み慣れた世界と同じだと確かめたばかりなのに、バカらしい反応だが。頭上に広がる青色を見たのは、いったいいつぶりのことだろう。随分と前のような気もするし、それでいて目に馴染む色だった。
空の青に目を奪われたまま歩いていると、目の端から急に水音が聞こえてきた。音のする方に目をやると、目の前に大きな水場が広がっている。池だ。いつの間にか大きな公園の前に出ていた。池を囲む柵に手をついて周りを見渡した。
天から降り注ぐ光を反射して眩しい水面には、鮮やかな空の色が映し出されている。ハクチョウを模したボートを漕ぐ親子が通りすぎていき、いっちにっ、いっちにっという掛け声が遠ざかっていく。
池の奥には、森と見まがうほど背の高い木々が生い茂っている。スズメだろうか、小鳥のさえずりが森の息吹のように池の反対側にいる和成たちの耳まで響いてくる。チチチという声に耳を傾けると、空気が澄み渡っているのが分かる気がした。息をすると、アスファルトと土の焼けたにおいが混ざり合い、鼻にツンとした刺激が走る。
涼しい風と日光の熱に、少し早い夏の訪れを感じた。
いい景色だと、和成は開放的な気持ちになった。
自然に触れ合う機会がない和成の五感すべてが一気に反応する。初めて感じたような感覚に体だけでなく脳もびっくりしているみたいだ。外れとはいえ、まさか東京の中でこんな体験ができるとは夢にも思わなかった。異世界に飛び込んだような気分になったのも、あながち間違いではないかもしれない。
突然の感覚に眠っていたはずの野性を呼び起こされた和成だったが、ふと好奇の視線を感じた。はっと気づくと、隣で和佳奈がじーっと見つめている。真剣な顔をしていて下から覗き込むように見られて、なんだか妙に気恥しい。
「な、なんだよ」
「別にー」
恥ずかしさを紛らわせるようにあえてぶっきらぼうな言い方をすると、面白がるような返事をされた。本人にその気はないだろうが、どことなく馬鹿にされたような気がする。少しむっとして、ここぞとばかりに一番の疑問を突き付けた。
「そろそろどこに向かうか教えてくれてもよくないか。何のためにこんな遠いところまで来たんだ」
電車の中でずっと聞きたかった疑問をようやく吐き出すことができた。どことなく懐かしさを感じる一帯の土地の不思議さもだが、何よりも気になるのはここに来た目的だ。和佳奈は何のためにここまで連れてきたのか。
「なんだー。珍しく表情がころころ変わるんだもん。何か大事なことでも思い出したのかと思ってたけど、違うのかー」
背の低い柵に体を預けたまま、答えにならない答えでごまかされた。今度は面白がるというより、少しばかり呆れられたように感じて、和成も突っかかる。
「そんな面白い顔をした覚えはない」
「さっき実は写真撮ってたんだよねー、こ・っ・そ・り♪」
「早く消してくれ、嫌な予感がする」
「いやー、君の写真なんてなかなか撮る機会ないからねー。いっつもむすっとした顔してる君のあーんな表情やこーんな表情が!私の手の中にあると思うと・・・。ふふふっ、なんだかよくないことを考えちゃうよねー!」
「脅しても無駄だぞ、何かを思い出した感覚はないんだからな」
「ちぇー、乗り悪いなー」
スマホをフリフリしていた手が止まり、つまらなさそうにむくれると和佳奈は池の方に目を向けた。それに倣うと、離れていったボートが対岸の発着場に到着したところだった。優しそうな父親とじゃれあう息子が、ベンチで待つ母親のもとに駆け寄っていく。
「・・・仲がいいみたいだな」
「・・・そうだね」
ぼそりと呟くように和佳奈が答える。微妙な違和感に和成は同級生の横顔に目を向けた。
こんなに短い返答がきたのは久しぶりだ。いつも無駄に元気で、言ってほしくないところを突いたからかいが来ると警戒していたのだが。同じ違和感をもったのは初めて彼女を見たときくらいではないだろうか。
表情がころころ変わるのは和佳奈の方だ。そちらの方が見ていて面白いし、彼女の普通のはずだ。そんな彼女が遠くを見るような目をしている。大学で初めて彼女を見かけたときと同じ、目の前にはない何かを見つめているような。
微妙な空気を取り払うように、和成が声をかけようとすると、
「よし、じゃあ向かいますかー!我らが目的地、山城カフェへー、ゴー!」
和佳奈はポンッと弾けるポップコーンのように両手を上げ、微妙な空気を吹っ飛ばした。元気な掛け声とともにスキップをして離れていく。
数秒ポカンとしてしまったが、いつもの彼女が戻ってきたようで少し安心した。
「まあ、気のせいだよな」
ちゃっかりと和成の疑問にも答えてくれているし、深く考えすぎていたのかもしれない。
またも置いてけぼりを食らった和成は、いつもの如く、元気な背中を追いかけた。
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