見知らぬ街へ 2

 電車が進んでいく。山手線の外回りで渋谷より先に進むのはこれが初めてだ。いつもなら行くことはまずない。特別な用事があれば別だが、生憎そうした用事が和成のもとにやってくることはない。面接で向かうのも、渋谷が最前線だった。


 「乗り換えるよー」と、新宿駅のホームにとんと降り立った和佳奈についていくと西部新宿線に入った。ちょうど待ち構えていたように停車中だった電車に乗りこむ。


 さっきまで考え事をしていた様子だった和佳奈は、今度はリズムに合わせて体を揺らしている。まるでお気に入りの曲を頭の中で流しているように。

 そういえば、スマホの充電がなくなるのが嫌だからと言っていた。覚えている限り、記憶の中にある好きな音楽を流しているのだろう。

 J-POP、K-POP、ダンスミュージック、洋楽、ブルース。リズムのいいものは何でも覚えているに違いない。子供のころの動揺さえ覚えていない僕とは違って、彼女はいい曲をたくさん知っている。


 いつの間にかビルは姿を見せなくなり、背の低い建物が増えてくる。目の高さほどの建物の向こうでは、名前も知らない山脈が日の光を浴びて輝いていた。夏本番前の、澄んだ空気に晴れやかな街が映える。


 視線を下げると、緑に囲まれた砂場の真ん中で何かを作っている子供たちがいた。小さな学校に小さな川、小さな平地。町に見立てた砂場の一角は、彼らから見た世界そのものなんだろう。自分の目に見えるものだけが世界のすべてだと。

 彼らが成長して大人になるころには、都心に出て打ちのめされるだろう。自分にとっての世界がいかに狭かったのかと。自分がそう思ったのはいつのころだったか。最近のような気もするし、遠い過去のような気もする。

 砂場から離れたブランコ1人、男の子がぽつんと座っていた。彼の姿が、自分の子供のころに不思議と重なる。いつの間にか随分と都心から離れたようだ。


 目の前の風景が目まぐるしく変わり、今までの世界の小ささを実感する。大きなビルに囲まれた風情のない都心の空間より、この辺りの方が人の住む町という印象を受ける。すっかり見慣れた世界とは正反対だと、和成はぼんやりとした頭で考える。


 ふと、目の前にチカッと光るものが入ってきた。太陽の光ではない。

 冷たく、なのに目に馴染むような、不思議なぬくもりを帯びているようだった。

 

「ほら、行くよー。ここで降りまーす」


 一閃の光に視覚を奪われたまま、和佳奈に背を押されて歩き出す。チカチカする目をこすりながら、人の少なくなった電車を降りた。

 そのまま改札を抜けたところで視界が戻る。


「ここは・・・」

 異世界に来たかのような感覚を抑えようと、戸惑いながらも周囲を観察する。

 駅前のロータリー。きれいに整地されたひらけた空間にバスが停まっている。渋谷のロータリーでたむろしているものとは方が違うけれど、乗り慣れた現代のバスト相違ない。道に沿って高さも大きさも整えられた植え込みも見たことある気がする。

 自動販売機。知っている形だし、よくある赤色だ。側面には有名な会社のロゴも入っている。当たり前のように、在庫がないことを示す”売り切れ”の文字がいくつか並んでいる。

 改札。知っている形だし、渋谷で通り慣れたいつもの機械だ。みんなカードやスマホをかざして目的地に向かっていく。


 その改札口の上に、漢字で駅名が書かれていた。

 当然のことだが和成にとっては見たこともない、馴染みも縁もない場所だ。初見の駅の名前を正しく読めるわけもない。


「“いしかみいこうえんえき”・・・?」

「あれ、和成くん読めないのー?初見の人だったら読めなくても不思議じゃないけど・・・」


 和佳奈が不思議そうな顔で覗いてくる。頭に”はてな”を浮かべていた和成は心底不思議そうな顔をする彼女に少しだけ恥ずかしさを覚えた。馬鹿にされているとは思えないが、答えられないことを責められているような気がしたのだ。


「まあたいていの人は読めないよねー。”しゃくじいこうえん”って読むのよー」


 石神井公園しゃくじいこうえん駅。

 どこか神聖さを感じさせる駅名だ。初めて見るはずなのに、大いなる存在のもとに返ってきたような懐かしさがある。名前に神があるからだろうか。


「じゃ、とりあえず行きましょうかー」

「え、行くっていったいどこへ・・・」

「時間は待ってくれないよー、とにかく行くの!」


 親切に読み方を教えてくれた和佳奈だったが、ぷいっと方向転換して足早に進んでいく。少し遅れて和成も歩き出した。

 何となくそっけない雰囲気になった和佳奈の背を疑問に感じながら、2つの影がロータリーを抜けていった。

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