第6話

 その日の放課後、僕と林檎と花咲さんでファミレスに寄っていた。

 僕の正面に林檎で、その隣に花咲さんという座り方。注文したのはドリンクバーだけだ。僕はウーロン茶で林檎はグレープフルーツジュース、花咲さんはメロンソーダだった。

 何も食事をするために寄ったのではない。これからの仕事について色々と話し合うためである。

「やっぱりあなたたちは何もしなくていいわよ。私一人で十分だから」

 しかし、開口一番林檎が言ったのはそんな言葉だった。

 いきなりそんなことを言われ、僕と花咲さんは驚いて固まってしまう。

 林檎と一緒に仕事をするのは嫌だが、彼女一人にすべて押し付けるのはもっと嫌だ。

「でも林檎、一人だと結構な仕事量になると思うよ?」

「そうだよ林檎ちゃん。みんなでやろうよ、ね?」

 僕と花咲さんが諭そうとするが、林檎は素っ気なく返す。

「私一人の方がやりやすいのよ」

 すると花咲さんが怪訝そうな顔になった。

「もしかして林檎ちゃん、わたしたちに気を遣ってる?」

「別にそんなことないわよ」

 林檎は視線を逸らし、前髪を指先で弄り出した。

 取り合う気もないというように見えるが、花咲さんはそれでも引き下がらない。

「自分が最初にやるって言いだしたから、天野くんが断りづらかったんじゃないかなって心配してるんだよね?」

「だっ、だからそんなことないって言ってるでしょっ」

「うそ! だって林檎ちゃん嘘吐くときいつも髪を弄るんだもん!」

「こ、これは……その」

 林檎はハッとなって髪を弄る手を止め、真ん丸の目で花咲さんを凝視する。

 これは僕でも分かる。図星だ。なるほど、林檎にこんな癖があったとは。ずっと一緒にいる花咲さんだから分かることなのだろう。

 それにしても林檎、そんなことを気にしていたのか。しかし、そんな配慮は不要である。一度頼まれたことから逃げるなんて嫌だ。

「林檎、僕たちに気を遣う必要なんてないよ。僕たちだって生徒会役員なんだし。それに花咲さんは親友で、僕は……犬、なんでしょ?」

「そうだけど……」

 林檎は黙り込んでしまった。僕は彼女の言葉を待つ。

 ファミレスに来ている他の客たちの騒がしさの中、僕たちだけに沈黙が訪れた。

 しかし唐突に、その沈黙を破るようにして花咲さんが手を打ち鳴らす。

「そうだ!」

 びっくりした。突然のことに林檎も目を見開いている。いきなりどうしたのだろう。

 僕たちが見守る中、花咲さんは自分のスクールバッグをがさごそと漁り出し、あるものを取り出した。

「じゃーん! 二人にプレゼント。可愛いでしょ~」

 それは手の平サイズの黒猫のぬいぐるみだった。頭が丸くて大きいデフォルメされたデザイン。よく見ると頭には紐が付いていてストラップにできるらしい。だが決して可愛くない。なぜならその目は不機嫌そうなジト目をしていたからである。

「な、何これ? すごくふてぶてしい顔してるんだけど」

「名前はウォーカー君だよ。可愛がってあげてね!」

 花咲さんが屈託のない笑みを見せてそう言った。

「へ、へえ、ウォーカー君ね……」

 もしかして花咲さんってこういうのが好きなの? 女の子ってよく分からない。

 というかなぜこのタイミング……!? 女の子とか以前に花咲さんがよく分からないぞ。

 僕が若干引いている横で、ぼーっとぬいぐるみを見つめていた林檎がぼそりと言う。

「可愛い……」

 え、林檎でも可愛いとか言うんだ……。てっきりそんな感情抜け落ちてるかと思ってた。

「な、何見てるのよ? なんかすっごく失礼なこと思われてる気がするんだけど?」

「そんな滅相もないよっ!」

 林檎は変なところで鋭いな。

「みんなでお揃いだからね。仲良しの印!」

 花咲さんが僕らに一つずつ“ウォーカー君”を渡しながら明るくそう言った。

 へぇ、お揃いか。林檎はともかく花咲さんとお揃いなのは嬉しいかもしれない。

 そんな思考も読み取ったかのように、林檎は僕をビシッと指差し強い口調で言う。

「天野は付けるの禁止だから! 保管は許すけど」

 ですよねー……。

 まあ、花咲さんから貰ったものだし、元より大切に保管しておくつもりでいたけど。

 林檎は笑顔で花咲さんに向き直る。

「それにしてもほんとに可愛いわね。手作り?」

「えへへ~実は最近こういうの作るのハマってて」

 へえ、じゃあこれは花咲さんの手作りなんだ。なおさら大切にしなきゃ。

「ありがと、こころ。大切にするわ」

「ありがとうね、花咲さん」

 僕と林檎が口々にお礼を言うと、花咲さんは照れたように笑って後頭部を掻いた。

「えへへ~」

 それから思い出したかのように林檎を見る。

「じゃあこの子に免じてさ、一緒にお仕事しよ、林檎ちゃん」

「でも……」

 それでも林檎は迷っているようだった。

 花咲さんはすかさず“ウォーカー君”を盾のように構えて裏声を出す。

「ボクも林檎ちゃんと一緒にお仕事したいナー」

「……もお、こころったらずるい」

 仏頂面が思わず、ぷっと吹き出した。さすがの林檎も折れたらしい。花咲さんの力技は最強だ。

「分かったわ。じゃあ仕事の内容について確認するわよ」

 花咲さんは「やった!」と飛び上がらんばかりに元気な笑顔で僕を見た。僕までつられて笑顔になってしまう。

 ともかく、花咲さんのおかげで僕たちは三人で仕事を進めることができそうだ。花咲さんには感謝してもしきれない。

 ファミレスが夕飯時で賑わってくるまで、これからの仕事のスケジュールや各々がすることなどを確認し、僕たちはそれぞれの帰路へとついた。

 そうして家に帰ってくる頃には、すっかり真っ暗になっていた。

「やっと帰ってこれたぁ……」

 自室のベッドに体を沈める。林檎に虐げられたり、新しい仕事が始まったりでいつもよりも遥かに疲れた。

 そこでスマホの通知が鳴った。ツインクラーではなく、アインというSNSの通知音だ。

 ちなみにアインとは、アカウント情報を交換した相手と無料でメッセージのやり取りや通話ができるアプリで、若者ならば誰でもスマホにインストールしているものである。

 スマホでアインを起動し、トーク画面を表示する。

「ん、田辺からだ」


田辺『お前らほんとにラブラブだなぁ~』


 メッセージの次に画像が送られてきた。それはSNSの画面。僕とアカネのやり取りを写したスクリーンショットだ。見返すのも恥ずかしいほど甘ったるい言葉を交わし合っている。しかし、それも僕とアカネが恋人に見せるために行った偽物のやり取り。

 疑う余地もなく、恋人同士だと思わせられていることに改めてほっとした。

 だが詰めを怠ってはいけない。僕はいかにも慌てているように考えて返す。


天野『ちょっ、そんなの送ってこないでよ!』

   『というか、そっちだって彼女できたばかりでラブラブなんでしょ!』

田辺『へっへっへー』

   『お、噂をすれば、お前の彼女さんが何か投稿したみたいだぜ』

天野『え、嘘』


 変だと思った。

 アカネが僕に何も言わず何かを投稿するのは初めてのことだ。

 僕はなんとなく嫌な予感がしてすぐさま彼女の投稿を開いた。


アカネ【学校帰りに最近駅前にできたお店でチーズケーキ買っちゃった♪】


 なんだ、偽の恋人とは関係のないただの投稿か。だが、アカネは自発的に投稿をすることがなかったから、どんなものなのか気になる。

 僕はアカネの投稿をタップして開いた。

 よく見れば画像付きのようだ。画面をスライドして画像を見る。

 それはチーズケーキと紅茶のドアップの写真だった。ちょっとふんわりキラキラとした加工が施されているが、それ以外は特に変わったこともない普通の写真。

 しかし不意に、僕の目はある一点に引き寄せられた。

「……え、ちょっと待って」

 写真の紅茶はティーカップに収まり、丁寧にソーサーの上に乗せられ、銀色のティースプーンまで添えてあった。そのティースプーンは新しいものなのかぴかぴかで、鏡のように辺りのものを反射しているようだった。

 そこに映っていたもの。それは──

「──今日花咲さんからもらった……ウォーカー君……っ!」

 湾曲したスプーンの表面で若干歪んで見えるが、このふてぶてしい顔は見間違えようがなかった。

 見覚えがあるどころではない。ついさっき貰ったものにそっくりだったのだ。

 僕はまさかと思いつつスクールバッグから“ウォーカー君”を取り出す。

 画像と見比べると顔の特徴が一致。今手に持つ“ウォーカー君”をスプーンに映せば、きっとこう見えるに違いない。

 これを手にしているのは、世界で三人だけのはず。

「もしかすると、アカネは──林檎か花咲さんのどちらかなんじゃ……っ!」

 僕とSNSで偽の恋人を演じる女の子は、身近にいるかもしれない。

 それが分かり、僕の頭の中で驚きや動揺が渦巻いた。

 となると僕は、いままで身近な人間とSNSでイチャラブなやり取りをしていたということになる。毎日顔を合わせている女の子と偽の恋人を演じていたということになるのだ。

 だが本当にあの二人なら、どうしてアカネとして僕に近付いたんだ。僕がアカネと恋人のふりをしていると二人は知っているはずだから、もしかして最初から僕だと知っていて近付いてきたのかも……?

 それと同時にある感情が湧いてきた。

 どちらがアカネか分かれば、リアルで会って彼女と話をすることができる。まあ、もうリアルでたくさん話をしていることになるのだが、ちゃんとアカネと漆星としてリアルで対面することができるのである。

「でも今回は大丈夫……かな」

 実は中学時代にあったちょっとした出来事のせいでトラウマがあり、アカネに会ってしまうことの恐怖があった。これで関係が崩れてしまい、この楽しい時間が終わってしまうのではないかと。

 それに万が一にも二人のどちらもアカネではなかったら、彼女たちに変な誤解を与えてしまうことになるかもしれない。

 いや……ここで尻込みしていてはいつまでたっても前に進めない。これはアカネに近付くための大きなチャンスなのだ。

 アカネが近くにいると分かった僕は感情が抑えられなくなり、居ても立ってもいられなくなった。

 絶対にどちらがアカネかはっきりさせる。そしてリアルのアカネをたくさん知るんだ。

 そう僕は決心したのである。

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