第5話

 翌日の休み時間。

「ねえ天野、喉渇いた」

 二年A組の窓側後ろの席。スマホで林檎に呼びつけられた僕は、机に頬杖を突いた彼女にいの一番にそう言われた。

「へえ、そうなんだ」

 彼女が不機嫌そうに目を細める。

「何か飲み物買ってきてって言ってるの」

「全然そうとは言ってなかったよね! そもそもそれが人にものを頼む時の──」

「アカネちゃん、元気かしらねー」

「──どんなお飲み物をご所望でしょうか!」

 窓の外を眺めながらアカネの名前を持ち出す林檎に、僕は取り繕った笑みを向けて従うしかなかった。

 そんな僕を見て、林檎が満足げに頬を緩める。

「冷たい紅茶がいいな。甘くないやつ」

「行ってきまーす!」

 元気よく教室を後にする。しかし心の中にはどす黒い感情が渦巻いていた。

 くそぉ……林檎のやつめ、いつか復讐してやる。

 休み時間が過ぎ、午前の授業を終え、昼休みになるとまた呼び出された。もちろんそこでも彼女の虐げは続く。

 僕はパンや飲み物を抱えて、購買から二年A組の教室へと戻ってきた。

「ほら、買ってきたよ」

 自分の席で花咲さんと机を合わせて弁当を食べる林檎に、僕は野菜サンドを突き出した。

「ご苦労さま」

 林檎は偉そうな態度でパンを受け取り、代金ぴったりの小銭を渡してきた。花咲さんの分も入っているようである。

「わたしの分までごめんね、天野くん」

 花咲さんが実に心苦しそうに手を合わせてきた。

「花咲さんが謝る必要ないよ。林檎のついでだったし」

 そう言って花咲さんに紙パックのミルクティーを手渡す。

 それでも申し訳なさそうな顔をしている花咲さんはやっぱりいい子だな。むしろ花咲さんに使われるのであれば光栄な限りなのに。

 さて、そろそろ僕も自分の教室に帰ってお昼を食べようかな。

「じゃあ僕はこれで」

「待って。せっかくだから一緒に食べようよ、天野くん」

 帰ろうとする僕を花咲さんが引き止めた。その目は、僕の手元──自分の分として買ってきたパンや牛乳に向けられている。

「え、いいの?」

 林檎と一緒に食べるのは嫌だが、花咲さんと一緒なのは嬉しい。最近、アカネと付き合っていると言い出してから彼女との関わりがぐんと減ってしまったからなおさらだ。

「は、はあ!? ちょっと何言ってるのよ、こころっ! なんでそうなるのよ!?」

 しかし、林檎は反対。やはり僕が一緒だと嫌な様子である。

「わたしが一緒に食べたいんだもん」

「う~、やっぱり花咲さんは優しいなぁ。天使だよ、ほんと」

 僕はうっかり思ったことを口に出してしまった。

 花咲さんは照れたように顔を赤くして、手をぶんぶん振り回す。

「そんな天野くんったら、天使は言い過ぎだよぉ~」

 花咲さんのこういう表情も可愛いなぁ。何時間でも見ていられる気がする。

「わ、私だって本当は……っ」

 慌てたように林檎が何かを言いかけたので続きを促す。

「本当は何?」

「あっ、あんたみたいなどんな女の子にも尻尾振る犬と食べるより、こころと二人きりで食べたいって言いたかったの! でも、こころが言うなら仕方ないわね。好きにしなさい」

 なんだかひどく貶された気がするが、了承してくれたのならそれでいい。花咲さんとお昼が食べられるのだ。

「じゃあお言葉に甘えて」

 僕は近くから椅子を引っ張ってきて、林檎たちが使う机の上に自分の食事を乗せた。

 ふと林檎に目を向けると、彼女は弁当をすべて食べ終え、僕に買ってこさせた野菜サンドを食べようとしているところだった。

「そんな量食べたら太るんじゃない?」

「うっ、うっさいわね! いいでしょ!」

 赤面して憤慨する林檎。しかし、静かに野菜サンドとにらめっこをしたかと思うと、唐突にぷいっと顔を背けて言い訳をするように話す。

「ま、まあでも、犬にはちゃんとご褒美をあげなきゃいけないし? 半分くらい分けてあげないこともないわよ」

 林檎が野菜サンドを半分にして、目を合わせないようにしながら僕によこしてきた。

「え、でも」

「い、いいから受け取りなさい、エサ……ご褒美なんだから」

「今一瞬すごく受け取りたくない言葉が聞こえたんだけど! ……まあ、一応ありがと」

 僕は戸惑いつつも野菜サンドを受け取った。太るのを気にしてだろうが、林檎から何か物を貰ったのは初めてかもしれない。

「あ、ずるい林檎ちゃん!」

 その様子を見ていた花咲さんがいきなり大きな声を上げた。

 そして、自分の弁当箱から卵焼きを箸で掴み、僕に差し出してくる。

「わたしのもあげる。はいあぁ~ん」

 いやいやいや、それはまずいでしょ!

 だって、それとこれとは違うよ! 違うよねっ!

 A組のみんなの視線が痛いんだけど。

「やめなさい、こころ」

 林檎が呆れた声で花咲さんを制する。

「だって、彼女さんが嘘だったら、こうしてもいいかなって」

「みんなは嘘だって知らないんだから、こころが彼女だと誤解されちゃうわよ?」

「わたしが彼女……っ!? そ、それは天野くんに迷惑だよ……ね?」

 花咲さんが卵焼きを弁当箱に戻し、足をもじもじとさせて上目遣いで見てきた。

 嫌なわけない! けれど、そう言いきってしまったら、告白みたいになってしまうのではないか。かといって自分に嘘を吐くのも嫌だし、ここは曖昧にぼかしておこう。

「えーと、迷惑ではない……かな」

「ほ、ほんとに……?」

 花咲さんはなぜかちょっと嬉しそうな顔をした。

「あ……うん」

 え、何これ。何この甘い雰囲気!? このまま告ったらなんかいけそうなくらいだけど!

 しかし、そこへ林檎が口を挟む。

「ふ、ふーん、天野が浮気野郎として学校で名を馳せることになるだろうけど、こころはそれでもいいんだ~?」

「そ、それはダメっ!」

 花咲さんはぶんぶんと首を横に振った。

 僕らの甘い雰囲気はどこかへ消え失せ、林檎も疲れ切ったため息を吐いてスマホを手に取る。

 あーあ、もう少しだけさっきの雰囲気を味わっておきたかったな。

 そう思っていると、花咲さんが突然顔を近付けてきた。林檎は野菜サンド片手にスマホを見ていて、僕らに気が付いていないようだ。その一瞬に彼女は僕の耳元に口を寄せて囁く。

「じゃ、じゃあ今度から誰も見てないところでするね」

 真っ赤な顔ではにかむ花咲さん。耳に彼女の息がかかった。甘い香りがする。

 どうしよう、不覚にもドキッとしてしまった……!

 顔が火照ったみたいに熱い。

「それで天野」

 身体を冷まそうと牛乳を口に含む僕に、林檎が淡々とした調子で訊いてくる。

「そのアカネって子のこと、本当はどう思ってるの?」

「え、ど、どうしてそんなこと訊くの?」

「これも命令よ。今すぐ答えなさい」

「えぇー……」

 いくら命令だからといっても、それは何だか恥ずかしくて言いづらい。

「それわたしも気になるな」

 しかし花咲さんまでもが興味ありげに身を乗り出してきた。

 追い込まれたような感じがする……。

「うぅ……分かった言うよ」

 アカネを弱みとして出されても嫌だし、花咲さんのお願いは断りづらい。

 僕は渋々話すことにした。

 といっても、この感情はどうにも説明しづらいんだけど。

「アカネのことをどう思ってるのかというのは自分でもよくわからないんだよね。でも、どんな人なのかなとかどこに住んでるのかなとか、何となく気になっちゃうんだ。できることなら会って話してみたいとも思ってる」

 やばい、自分で言っておいてすごく恥ずかしくなってきたぞ。まるで好きな子の話を教えているような気分だ。

「ほえぇ~」

「花咲さん、なんでそんな嬉しそうなの?」

 花咲さんがぽわぁ~とした笑みを浮かべていたので僕は訊ねた。

 すると彼女は、慌てて手を上下に振り回しながら答える。

「え、あ、だって聞いててきゅんきゅんしちゃったんだもんっ」

 そしてまた柔らかい笑みになった。

「いやぁ、恋っていいもんですなぁ~」

「なぜいきなりおやじ口調!? ていうか恋とかそういうのじゃないって」

 たぶん違う……と思う。純粋な友情とかでもないかもだけど。

「とかとか言っちゃって~」

 花咲さんは左右に体を揺らしながらそう言い、林檎に向く。

「林檎ちゃんもきゅんきゅんしたよね?」

「別にしないけど」

 林檎は興味がなさげに、指先で横髪をクルクルと巻きながらスマホをいじっていた。

 訊いておいてその態度って……。

「もう林檎ちゃんったら素直じゃないんだから~」

 花咲さんが茶化すようにそう言ったが、林檎は無反応だった。



 その後も林檎の虐げを受けながらも、なんとか迎えた放課後。

 僕はすっかりヘトヘトになっていた。

「はぁあああ疲れたぁ……」

 生徒会室のいつもの席に座り、机に顔を伏せる。

「あ、天野……」

 正面に座った林檎に呼ばれた。上体を起こして顔を向けると、彼女は照れくさそうにちらちらとこちらを見る。

「ちょっと今日はやりすぎちゃったかも……?」

「かもじゃなくてそうだよ」

 僕は呆れ眼でそう言ったが、心の中では少し驚いていた。まさか林檎が僕を気遣うような言葉を言うなんて。明日は槍が空から降ってくるかもしれないから準備しておかないと。

「お疲れさま、天野くん。大変だね」

 花咲さんが優しく声を掛けてくれ、傍に湯呑みを置いてくれた。

 ほうじ茶のいい香りがする。

「ああ、ありがと花咲さん。今日は特に君が天使に見えるよ」

「もうキザなこと言っちゃって~。だから天使は言い過ぎだってばぁ~」

 お盆でバシッと僕の背中を叩く花咲さん。その頬は心なしか赤らんでいる。

「犬のくせにこころを口説いてんじゃないわよ」

 ふん、とそっぽを向いて林檎がそう言った。

「林檎には関係ないじゃな──」

 けれども、言い返そうとする僕に、林檎は得意げな笑みでスマホを開いて見せてきた。

 そこにはアカネのアカウントページが。

「──ごめんなさいっ」

 弱みを前に僕は光の速度で謝罪することしかできなかった。

 さっきは僕を気遣うような発言をしていたが、やっぱりいつもの林檎だ。

 窓辺からその光景を見ていた鳥田先輩が陽気な声で言う。

「気のせいかもしれないけど、近頃君たち仲いいね~」

「「気のせいです!」」

「ほら息もぴったり」

 図らずも林檎と声を揃える結果となってしまった。僕らは互いに睨み合う。

 しかし、鳥田先輩はまるで裏が取れたと言わんばかりにニヤリとしていた。

「そんな君たちに仕事を頼みたいんだよね」

 鳥田先輩の声音が少し変わった。おふざけモードからお仕事モードへとなったようだ。

「9月に合唱コンクールがあるの覚えてる? あの企画の一部をお願いしたいんだ」

「と言いますと?」

 林檎が訊いた。恐らく彼女はもうすでに仕事を引き受ける気なのだろう。

「当日の段取りやタイムテーブル決めだよ。歌う順番を決める抽選会は毎年お昼の放送で流すから、その企画もお願いね」

「なるほど……」

「そんなかんじだけど、頑張ってもらえないかな。なかなか会長の仕事が増えて手が回らなくなってきちゃってね。それに来年はあたし抜きで色々企画しなきゃいけないから、その練習ってことで」

 鳥田先輩はそう言い、僕と林檎を見てにこりと笑った。

 先輩にそんなことを言われたら断る選択肢はない。しかし、僕たちだけでやり遂げることができるだろうか。失敗はしないだろうか。不安ばかりが先行して、なかなか「やります」という言葉が口から出なかった。

「私やります」

 けれども、林檎は違った。彼女は全く迷いも見せずにそう言ったのだ。

 林檎がそんな堂々としているならば僕も負けていられない。

「分かりました。僕もやります」

 僕も追うようにそう答えたが、林檎と二人きりの仕事は結構苦労しそうだ。

 特に今は林檎の犬もやっているわけだし。きっとこき使われるに違いない。

「あ、あの! わたしもいっしょにその仕事やってもいいですか!」

 そこへ、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら挙手をする花咲さん。

「おー花咲庶務、やる気満々だね~! もちろんいいよ」

 鳥田先輩は快く承諾して、その場をまとめる。

「生徒会はほぼ毎日あるし、分からないこととかあったら何でも相談して。お互いの進捗状況とかも随時報告し合おうね。じゃあ、今日の生徒会についてだけど……」

 よかった、花咲さんがいるなら少しは安心だ。林檎に虐げられても彼女が助けてくれるだろう。

 そう思いながら花咲さんの横顔を見つめると、不意に彼女もこちらを見て、無言で笑顔のウィンクをした。

 この様子だと花咲さんもそのつもりで名乗り出てくれたのかもしれない。

 花咲さん……本当に君は天使のような人だ……!

 このようにして、僕ら三人は一緒に仕事をしていくことになった。

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