第4話
「おつかれーっす……てあれ、珍しい。一番乗りだ」
アカネと恋人のふりをするようになってから三週間と少しが経ち、6月に入った。その日の放課後は、僕が生徒会室に着いてもまだ誰も来ていなかった。
荷物もない。ということは、一度来てみんなでどこかへ行ったということはなさそうだ。各々、何かしらの理由があって遅れているのだろう。
「いつもいつも『遅かったわね~』なんて言ってる林檎の方が遅れてるじゃん」
僕は一人愚痴りながらいつもの席に座った。
外からは運動部の掛け声が聞こえ、校舎内からは吹奏楽部の練習の音色が響いてくる。
暇なので、ひとまずスマホを開いてみた。起動するのはもちろんツインクラーである。
だが、どうもタイムラインの動きが鈍い。まだみんな忙しい時間なのかも。
アカネはどうだろう。
念のため学校内ではアカネとのやり取りはしないよう心掛けていたのだが、誰もいないことだし、たぶん大丈夫だろう。
僕はアカネとのDMを開いた。
漆星 《これから生徒会~。アカネはもう学校終わったの?》
アカネもまだ忙しい時間なのか。深夜以外いつも返信が早い彼女にしては少し時間がかかって返事が来た。
アカネ《ううん、ごめんね。これからまだちょっとすることがあって》
《漆星くんも忙しいんだね》
漆星 《それが今暇でw 生徒会室にまだ誰も来てないんだ》
《あ、アカネは忙しかったよね。ごめん、続きはあとでやろ》
アカネ《ごめんね、本当に! また今夜ね》
漆星 《うん、また今夜、恋人のふりをする仕掛けを一緒に考えようね!》
「もしかして彼女さんとのメール? あれ?」
「っ!?」
僕はびっくりして椅子から転げ落ちそうになる。
いつの間にか真横に花咲さんがいて、僕のスマホを覗き込んでいたのだ。
しまった。見られた。まずい。全部見られた!
「だ、大丈夫っ? 天野くん、ごめんねびっくりさせちゃって!」
「いや、これはあの……」
花咲さんがあたふたと謝るが、僕はそれに構っていられなかった。
彼女には恐らくアカネとのやり取りを見られてしまったからだ。
スマホ画面にすっかり集中していたせいで、彼女が生徒会室に入ってきたこともこんなに近付かれていたことにも気付かなかった。いや、今はそれよりもどう誤魔化すかだ。
けれど、恋人のふりをする仕掛けを一緒に考えよう、としっかり書いてしまった。これではもう誤魔化しようがない。
いやむしろ花咲さんであれば、真実を打ち明けても、受け入れて黙っていてくれそうな感じがする。そうだ、優しくて思いやりのある花咲さんのことだ。そうに違いない。
「花咲さん、よく聞いてほしいんだ」
「は、はい」
僕が真っ直ぐに花咲さんの目を見つめて話すと、緊張がうつったのか彼女は気を付けをして改まったように返事した。
よし、言うぞ……言っちゃうぞ。
「花咲さん……実は、僕に恋人ができたのって嘘だったんだ」
「え」
花咲さんはフリーズしたように僕を見つめる。
あれ、意外にも小さな反応。聞こえなかったのだろうか。
もう一度言おうか迷い始めた時、花咲さんが唐突に大きな声を上げる。
「えぇええええ!! そうだったの!? 全然気付かなかったよっ!」
思わず耳を塞ぎたくなるような声だったが、それ以上に気になる発言があった。
「ん? ちょっと待って。全然気付かなかったって?」
「あ、うん。天野くんって嘘うまいんだもん~」
「今僕のスマホ画面見たんじゃないの?」
「え、ううん見てないよ。だって天野くん、覗き防止のフィルム貼ってるんだもん。そういえばさっき、そのフィルムの模様可愛いねって言おうとしてたんだ」
花咲さんがにこにこと笑った。一方の僕は頭を抱え、心の中で叫ぶ。
やってしまったぁあああああ!
勝手な勘違いをして自爆してしまった。しなくてもいい懺悔をわざわざしてしまったのだ。明らかな失敗である。
「でもどうしてそんなことしたの? 恋人がいる嘘だなんて」
ガックシとうなだれる僕に花咲さんが訊いてきた。
ちょっとカッコ悪いが、正直に言ってしまおう。
「あーほら、僕のまわりってやたらとリア充が多いじゃん」
「そうなの?」
「うん、そのみんなにぎゃふんって言わせたくて」
「あはは、天野くん面白いね」
「ははは……」
花咲さんは鈴を転がすような声で笑っていた。いつもならその笑顔を見るとこっちまで笑みがこぼれるのだが今日は違う。僕は自分の失態を悔いて力なく笑うのが限界だった。
「でもよかったぁ」
唐突に花咲さんが胸に手を当ててそう言ったので、僕はその理由を訊ねる。
「え、どうして?」
「だって彼女さんが嘘だったってことは、これまで通りに接してもいいってことでしょ? 天野くんの手をぎゅーって握っても浮気じゃないってことだよね?」
「あ、え、うん……そういうことっ! これからはどんどん僕の手を握っていいんだよ!」
ちょっと予想外の事態になったが、これで笑顔の天使にまた癒してもらえることになるのだ。これならもっと早く彼女には話していてもよかったのかもしれない。
けれども、花咲さんの言い方だと、まるで僕とスキンシップを取りたいように聞こえるけれど、ひょっとして好意を寄せてくれていたりするのだろうか。いや、しかし彼女は天然でそう言っている可能性も捨てきれない……! 断定して考えるのはよそう。
それはそうと、引かれるでも軽蔑されるでもなくてよかった。これならば、誰にも言わないように頼めば聞いてもらえるだろう。
僕は本題を切り出す。
「それで悪いんだけど、このことは誰にも言わないでくれるかな?」
「うん、もちろんわたしは秘密にするよ」
「よかった……!」
さすがは花咲さん。二つ返事で了承してくれた。
けれどもちょっと引っかかる。嫌な予感がした。
「ねえ花咲さん。今、わたし“は”って言った……?」
「うん」
彼女の目が僕の背後に向けられ、僕は錆び付いたブリキ人形のような動きで振り返る。
夕陽が差し込む窓際。そこに佇む少女がいた。
それは僕が今一番見たくなかった顔。最も知られたくなかった人物。
「り、林檎……っ!」
中学校時代からの宿敵、月見里林檎だった。
林檎は見開いた目で僕を見つめている。驚いている、または焦っているともとれるような表情だ。
「いつからそこに……?」
「わたしが彼女さんですかって訊いた時からずっとだよ」
戸惑う僕に、後ろの花咲さんが代わりに答えた。
というかそれって最初からいたってことじゃないか。
いよいよ大変なことになってしまった!
「た、頼む林檎っ! このことは秘密にして! してください!」
林檎に走り寄って懇願した。
この際プライドなんて関係ない。アカネとの秘密がみんなに広まってしまえば、リアルでもSNSでも居場所を失ってしまう……!
「あ、あのね天野……黙って、だま、黙ってたんだけど」
ところがどうしたというのだろう。林檎の様子がおかしい。
考え込むような、あるいは困っているような顔をしていた。
「……だま……だ、黙っててあげるから私の言うことなんでも聞きなさいっ!」
林檎は頬を赤く染め、甲高い声でそう言い切った。
僕は口を開けたまま、頭の中で林檎の言葉を反芻する。
黙っててあげるかわりに言うことを聞けだって。
「……えーと、それはつまり、一つだけ何でも言うことを聞けということですか?」
「誰が一つだけだなんて言ったのよ?」
「え」
「私がいいって言うまでに決まってるじゃない。つまりは犬になれってことよ」
「はぁああああああ!?」
何かを悩んでいたかと思えば、僕に対する口止めのための交換条件を考えていたのか。
もちろん、そんなのは嫌だ。断固として拒否する。花咲さんならむしろ喜んでと言いたいところだが、よりにもよって林檎の言うことを聞かなきゃいけないなんて! それに彼女のことだ。一体何を命令するか分かったものじゃない。
「り、林檎ちゃん、何もそこまでしなくてもいいんじゃ……」
花咲さんが戸惑いつつも止めに入ってくれた。さすがは僕の天使。ナイス花咲さん。
「何を言っているのよ、こころ」
しかし、林檎は折れる気がないようだ。
「この私が黙っててあげるのよ。それくらいの条件を出さないと不釣り合いでしょ」
「でも林檎ちゃん、犬になるなんていくらなんでも可哀想だよぉ」
「大丈夫よ。天野はそういうので喜ぶ質だから」
「あ、そうなんだ。それなら大丈夫だね」
花咲さんはそれまでの気遣うような表情がすっかり消え失せ、晴れやかな笑顔になった。
「いやいやちょっと待って! 僕にそんな趣味はないからね!」
そもそもだからって大丈夫な問題でもないだろう。同級生の犬になるなんて。
だが、落ち着いて考えるんだ。ここで断ればアカネとの秘密が口外されてしまう。そうなったら僕は学校内の立ち位置が底辺へと転落。アカネとの関係も終了だ。それだけは何としても避けなければ。
……林檎の言いなり。それはすごく嫌な響きだが仕方ない。
「はあ、わかった。林檎……君の言いなりになるよ……」
こうして僕は、犬猿の仲である女の子の犬になったのだった。
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