第3話

 目が覚めると、体のあちこちが痛かった。変な体勢で寝てしまったせいだろう。

 枕元に置いてあったスマホの電源を入れて時間を確認しようとするが、どんなにスイッチを押そうとも画面は暗いままだった。

 やっちゃった……。昨日の夜、充電器に差すのを忘れてバッテリー切れのようだ。

 こうなったら家を出るまでの間だけでも充電しよう。

 すぐにスマホを充電器に差し、部屋の掛け時計を見る。

「うわっやばい」

 いつも起きる時刻を三○分も過ぎてしまっていた。

 急いで着替え、学校へ行く支度をする。それからスマホを充電器から外すと、どうにか電源が入るまでには回復したらしい。本当はいけないが、あとは学校で充電させてもらおう。

 スクールバッグの中にスマホと充電器を入れ、家を飛び出した。

 駆け足だったおかげか、どうにかいつも登校している時間に学校へ到着。

 まだ5月上旬といえども、走ればさすがに暑い。

 僕は教室の自分の席に着くなりノートをうちわ代わりにして扇いだ。

 と、そこへ声を掛けてくるショートカットの女子生徒が現れた。

「ねえ、天野君だよね?」

 なぜにそこを疑問形。

 ツッコミを入れたかったが、僕も彼女の名前はうろ覚えだ。確か、吉野さんだった気がする。吉野さんとは二年から同じクラスだし、覚えていなくて当然といえば当然かも。

 というか、クラスメイトとはいえ女子が僕なんかに話しかけてくるなんてどうしたのだろう。いきなりのことに緊張してしまう。

 吉野さんはニコッと笑顔を見せ、フレンドリーに訊いてくる。

「ひょっとして天野君、彼女できた?」

「……え、僕に?」

 突然何を言い出すんだろう。この僕に彼女なんて全く心当たりが……いやちょっと待って。一つだけ心当たりがあったぞ。

 僕は机の上に置きっぱなしのスクールバッグの中でスマホの電源を入れてみる。

「うおっ」

 ロック画面に映し出されたデジタル時計。その下に大量の通知が来ていた。

 それはすべて、アカネさんと付き合うことになったと報告した投稿に関するものだった。

 つまりあれだ。僕とアカネさんの作戦は成功していたんだ!

 僕は喜びを胸の内に仕舞いつつ、吉野さんに向き直る。

「あ、ああうん! できたよっ!」

「じゃあやっぱ昨日のツインクラーでの報告はほんとだったんだ」

「そうほんと! 何もかもほんと!」

「じゃあさ、相手の子とはどうやって知り合ったの? この学校の人?」

「えっと……」

 恋の話に目を輝かせた吉野さんが前のめりになって訊いてきた。

 女子に迫られ、図らずもドキッとしてしまう。

 いや、それよりもまずいぞ。そのあたりのネタをまるで考えてなかったっ!

「よぉ天野! 吉野さんと話してるなんて珍しいな~」

 どう答えようか困っていると、ぶつかるような勢いで肩を組んでくるやつが来た。

「お、おはよ田辺」

 それは昨日、正真正銘、本当に彼女ができた田辺だった。心なしか今日のテンションは一際高いように感じられる。偽物の恋人しかできない僕とは違って羨ましい限りである。

 ともかくナイスタイミングだ。田辺に話題をパスすれば話を逸らせられる。

「そ、そういえば田辺、彼女できたんだってね?」

「お前こそできただろ。昨日のツインク見たぞ」

 一瞬で矛先が戻ってきた……。むしろ逃げ場を失ってしまった気さえする。

 田辺は好奇心に満ちた表情で迫ってきた。距離が近い気持ち悪い。

「そんであのアカネちゃんって何者なんだ? やっぱ生徒会の誰かか?」

「えっと……そんなわけないって。ただのネット恋愛だよ」

「だよなぁ。生徒会女子ってみんな人気者だし、お付き合いできるわけないよな」

 僕は胸を撫でおろした。

 よかった。すんなり信じてもらえたようだ。

 とりあえずネット恋愛と言っておけば嘘がバレにくくなるだろう。

「そんでそんで、アカネちゃんってぶっちゃけ可愛いの?」

 立て続けに田辺が訊いてきた。その隣では吉野さんも小さく頷いて興味津々といった表情をして僕の言葉を待っている。

「あぁぇえ、うんっ! めちゃくちゃ可愛い! 画面の中の住人なんじゃないかってほど」

「ははは、お前らしいな」「惚気ちゃって~」

 田辺と吉野さんがにやにや顔で口々に言った。

 と、そこで一限目の予鈴が鳴った。

「あ、授業始まる。まあ、またあとでお互いの恋愛模様についてじっくり話しようぜ」

「私にもまた聞かせてねー」

 田辺と吉野さんが自分の席へと戻っていった。

 ひとまずは難を逃れたようである。

 一限目の時間中にどうにかアカネさんとの恋人設定でも考えておかなきゃな。



「おつかれーっす……」

 休み時間のたびに根掘り葉掘り彼女のことについて訊かれつつもどうにか放課後を迎え、僕はいつも通り生徒会室にやってきた。

「お疲れさま、天野会計。おやおやー、今日はいつもより疲れた顔してるぞ?」

 窓際で下校する生徒たちに手を振っていた鳥田先輩が振り向き挨拶をしてくれた。しかし、相当僕の顔色が良くなかったのか、少し心配するような面持ちになる。

「いやまあ、色々ありまして」

 今日は詮索されすぎて疲れた。これ以上体力を使いたくもないから、今のところは生徒会でアカネの存在は言わないようにしよう。

 僕は誤魔化しながら自分の席に着く。

「……おつかれさまです、せんぱい」

 高くて静かなソプラノボイス。隣に座って文庫本を読む春風さんが少しだけこちらに顔を向けていた。

「うん、お疲れ」

 こちらが返すと、すぐにまた本の世界へと戻ってしまう。いつも通りの春風さんだ。

「今日も遅かったわね」

 正面に座った林檎が嫌味っぽくそう言ってきた。こちらもいつも通りのようだ。

「だから遅刻じゃないでしょって」

「まったくあんたは──」

「ねえねえ天野くん! 彼女ができたってお話本当!?」

 恒例のやり取りをしていると、林檎の言葉を遮って横から元気な声が割り込んできた。その声の主は花咲さん。彼女はぱっちり二重の瞳を眩しいくらいに輝かせて迫ってくる。

 僕は思わず立ち上がり、一歩下がった。

「え、ああうん。本当だよ」

「わぁあ! おめでとう!」

「ちょっ花咲さん……っ!?」

 花咲さんが僕の手を握ってきた。どうやら心から祝福してくれているようである。

 す、すごい。すべすべしてて温かいぞ。

 花咲さんの手の感触を味わい胸の鼓動が自然と早くなりつつも、それを悟られないように平静を装う。

「え、えっと、ありがと。花咲さん」

 パチパチパチと拍手の音が聞こえたかと思えば鳥田先輩だった。

「ほー、ついに天野会計も青春を謳歌するというわけかー。めでたいね」

「はあ」

 くいくい、と服の裾が引っ張られ振り向くと、文庫本を机の上に置いた春風さんが椅子に座ったまま上目遣いで見てきていた。

「……おめでと、せんぱい」

「えっと、その、春風さんもありがとうね」

 びっくりだ。まさかこんなに生徒会のみんなに祝ってもらえるなんて。

 あまりに予想外のことにどう反応していいか分からない。けれど、学校でも中心になるような彼女たちに祝福してもらえたのは素直に言って嬉しかった。

「まったく彼女ができたくらいではしゃいでバカみたい」

 しかし、そこに響いたのは、この場の温かい雰囲気をぶち壊す冷たい声。

 前を向くと、林檎が頬杖を突いて心底どうでもよさそうにしていた。

 さすがにカチンときて言い返す。

「じゃあ、そういう林檎にはいないの? 彼氏とか」

「う、うっさいっ! 天野には関係ないでしょっ!」

 眉を吊り上げ赤面し、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。

 この反応はやっぱりいないということだろう。という僕の方も本当はいないんだけど。

「ねえねえ、彼女さんについてもっと訊いてもいい?」

 おねだりするような甘い声とともに花咲さんが僕の腕を引っ張る。

 花咲さんの可愛さに、一瞬で林檎に抱いていた苛立ちが消え失せた。

 何でも話してあげたい気持ちになってしまう。

「ちょ、ちょっとこころ! 天野から離れなさいよっ!」

 林檎がこっちを指差して慌てたような口調でそう言った。

 花咲さんはきょとんと首を傾げる。

「え、どうして?」

「どうしてって、その……そうっ! 天野には彼女ができたんだから、変にベタベタ触ったら浮気だと誤解されちゃうでしょ!」

 余計なことを林檎! 天使が離れていってしまうじゃないか!

「い、いや花咲さんはそんなこと気にしなくてもいいんだよ! これまで通りでオールオッケー! だから──」

 必死の引き止めも虚しく、花咲さんは僕の腕を離して一歩遠退き、残念そうに笑った。

「あ、そっか……ごめんね、天野くん。これからは近付き過ぎないように気を付けるね」

 それを見て、林檎がどこか安心したように息を吐いた。

 くそぉ林檎め……僕が花咲さんを心の癒しとしていることに気付いていたに違いない。恨むぞ林檎! 孫子の代まで呪ってやる!

 ……でもまあ、嘘を吐いた罰かな。

 恋人のふりをしているという嘘がバレないためでもある。仕方がないが受け入れよう。

「さて君たち。そろそろ生徒会を始めようかな」

 鳥田先輩のお決まりの台詞の後は、いつも通りに活動を終えて帰るだけだった。

 帰り道。暗くなる寸前の住宅街を歩く。

「よし、ようやく一人になれた」

 僕は吉報を一刻も早くアカネさんに伝えたくてツインクラーのDMを開いた。


漆星 《アカネさんやりました! 学校で僕に彼女ができたって話題になって、みんなびっくりしてました! 大成功です!(@^^)》

アカネ《ほんとに? すごい! わあやったね、漆星さん!(#^^#) ビグジョブ!》


 数秒で既読がつき、すぐに返信がきた。

 関係がないはずの僕の事情を、自分のことのように喜んでくれている。

 アカネさんって、すごくいい人なんだろうな。


漆星 《ありがとう、アカネさんのおかげです! ところでビグジョブって?》

アカネ《ゲームで流行ってる言葉で『グッジョブ』とか『大丈夫』『ナイス』っていう意味なんだ~。今度そのゲームいっしょにできたらいいな》

   《あ、あぁああ! ていうかタメ口ですみませんっ!》

漆星 《いえ、よかったらタメ口で! あと『さん』はいらないよ。たぶん同い年だし》

アカネ《そ、そう? じゃあ遠慮なく♪ あ、よかったらこっちも呼び捨てにしてね》

   《それにしてもやったね! リアルの人たちをぎゃふんって言わせられたんだね。よかったよかった~》

漆星 《それがいいことばかりでもなくてね……》

アカネ《うん? 何かあったの?》


 僕の学校生活において最大の癒しである大天使花咲さんに、彼女ができたと思われて距離を置かれることとなってしまった。彼女と学校で触れ合える時間がなくなってしまったなんて、一体どうやって生きていけばいいんだ。

 でもまあ、このことをアカネに言ってもしょうがない。


漆星 《いや、こっちの話》

アカネ《そっか~。あ、あのね漆星くん》

   《半ば目的は達成できちゃったわけだけど、これからも続けてくれるんだよね?》


 続けてくれる、とはえらく消極的だ。まるでアカネの方がこの偽の恋人関係を続けたいと願っているようじゃないか。


漆星 《それはこっちのセリフだよ! もう少しこの関係に付き合ってくれる?》

アカネ《そっか。えへへ、ありがと。もちろん付き合うよ!》

漆星 《よかった! ありがとう! あ、じゃあさっそく、次は何を仕掛けよっか?》

アカネ《ふっふっふー! 実はそれについてはすでに今日学校で考えてたんだ~(*^-^*)》

漆星 《お、気合入ってるんだねw じゃあさっそく話してもらおうかな》

アカネ《ぬふふ、お話ししましょ~(-ω-)》

   《えっとね、通話しているふりをするのはどうかな? お互いに相手の声がどうとか、寝息が聞こえてきたとかツインクラーで投稿するの》


 なるほど、なるほど。確かに僕のSNSの友人も、ネットで彼女ができた時にそんなようなことをやっていた。妬みのあまり、危うくその友人をブロックするところだったのを覚えている。付き合っているように見せるならばその策は効果的だろう。


漆星 《それいいね! やってみよ! えっと、ビグジョブ!》

アカネ《お、漆星くんもさっそく使えるようになってますな~(*^▽^*)》

   《あ、えっとね、漆星くん》

漆星 《ん、なに?》

アカネ《わたし頼りないかもだけど、これからもよろしくね!》

漆星 《それはこっちのセリフだよ 笑》

   《これからもよろしく!》


 それからは毎日が充実していた。

 恋人のように見せるためお互いにアイディアを出し合い、ラブラブなやり取りをみんなに見えるようにする。イタズラを仕掛けるようでずっとわくわくしっぱなしだった。

 そして次第に恋人のふりをする以外にもやり取りを行うようになった。

 普段の学校生活について話をしたり、趣味や好きなものについて話をしたり。すると嬉しいことに彼女もオタクで、偶然にも好きなアニメが一緒だと分かった。

 5月下旬には中間テストがあったので、お互いに解けない問題を教え合いもした。別の学校だと思うのだが、授業が同じ進み具合だったようで助かった。その時に解答を書いたノートを撮影して送ってきてもらったが、丁寧で可愛らしい字だった。

 ちなみに僕のテスト結果はあまり良くないものだったが、彼女は優しく慰めてくれた。

 とにかく、アカネとの日々は本当に楽しいものだったのである。

 やり取りをするうちに、いい加減アカネがイタズラ目的で近付いたのではないと確信できた。言葉遣いや雰囲気からしてたぶん女の子で間違いないと思うが、その他はほぼ不明。

 リアルではどんな容姿をしていて、どんなところに住んでいて、どんな声をしているのだろう。そもそもどうして僕に協力してくれたのだろう。彼女の色々なことが知りたくて仕方なくなった。

 しかし、所詮はネットだけの付き合いだ。変に踏み込めば嫌がられ、今の関係が壊れてしまうかもしれない。むしろ今は、このアカネとの時間を大切にしたかった。

 けれども、楽しい時はいつまでも続かなかった。

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