第1話
ネトカノ第1話『#ネット恋愛 #同級生』
漆星【授業しゅーりょー(/・ω・)/ これから生徒会】
ゴールデンウィーク明け初日の放課後。
ざわざわと騒がしい二年B組の教室。そのど真ん中の席で、僕、天野隆盛は一人スマホを開いてSNSアプリ──ツインクラーに投稿をしていた。
ツインクラーとは、140字以内の短い文章を投稿できるSNSで、全世界で3億人以上が利用する最もメジャーなSNSの一つだ。文字だけでなく、画像や動画を投稿できたり、投票やニュースをまとめたりする機能など、その用途は幅広い。
そこでの僕のハンドルネームは漆星。中学校一年時、中二病真っ盛りの頃に作ったアカウントだ。今ではすっかりそれも卒業して、ほぼネットの友人とアニメやゲームの話をするためだけのツールとなっているものの、当初はイキリ中二な投稿ばかりをしていたため黒歴史の塊ともいえる。だから、何としても学校の友人に見られるわけにはいかない代物だ。
そういうわけでこれは、リアルの知り合いが誰もフォローしていない、いわゆる裏アカというやつである。
「天野~!」
僕の背中にトンと何者かに叩かれた衝撃が走る。大した威力はなかったのだが、ツインクラーに集中していたせいで驚いてスマホを落としそうになった。
「天野は今日も生徒会か。毎日真面目だなぁ」
そう言って後ろから僕を見下ろすようにして立っていたのは田辺という男子だった。スポーツ刈りで小麦色の肌の彼はサッカー部に所属するバリバリの体育会系だ。インドア派の僕との接点は一見無いが、一年の頃から同じクラスということもあり一緒につるむことが多い。バカなことばかり言うけれどすごくいいやつである。
僕は慌ててスマホの画面を暗くしつつ、そんな田辺を見上げて言う。
「田辺の方こそ毎日部活じゃん。このゴールデンウィークだってずっと部活だったんでしょ。大変だねー」
「オレは好きなことやってるからいいんだよ。青春の1ページなんだから」
「はいはい」
そこへもう一人の僕の友人が割って入ってくる。
「なんの話をしてるんだ、二人とも」
それは小林という男子だった。眼鏡をかけて女子のように肌が白い彼は、僕と同じで部活には所属しないが、その代わりにほぼ毎日のように塾に通っている。彼も一年の時からのクラスメイトで、やはり一緒にいることが多い友人だ。僕や田辺なんかよりも遥かに勉強ができるちょっとクールな努力家である。
この二人とはクラスでの立ち位置が同じような気がして、一緒にいて心地がいいのだ。
小林に肩を組み、田辺がふざけたような口調で言う。
「青春について語り合ってんだよ」
「なんだそれ」
小林は意味が分からないと言わんばかりの顔で眼鏡をくいっと上げた。
「そんなバカな話ばっかしてないで、明日は小テストあるらしいから対策しとけよー」
「うをわぁあああマジか!」
田辺は肩を組むのをやめ、この世の終わりといった絶望の表情で頭を抱えた。
「ノートの写真送って! 頼む小林!」
「自分でなんとかしろ」
拝み倒す田辺を小林は呆れたような目で見て、僕に笑いかける。
「天野は困ったら何でも言ってくれ。分からない問題があったら何でも聞いていいぞ」
「サンキュ、小林」
「えぇえええなんだよ、この扱いの差っ!」
田辺は不満そうに吠えていた。
このいつものやり取りを見ていると落ち着く。やっぱりこのメンバーが最高だな。
ふとそこで小林が、自分の腕時計を確認すると慌てる素振りを見せる。
「おっと、やば。今日はちょっと寄るとこがあるからもう帰るわ。じゃあな天野、田辺」
僕たちが別れの挨拶をすると、小林は田辺の腕を解いて早足で教室を後にした。
「田辺ー、部活行くぞー!」
ちょうどそこへ教室の入り口から隣のクラスの生徒が声を掛けてきた。
「先行っててくれー」
田辺はそう答えて僕に向き直る。
「お前も青春しろよ。せっかくあの生徒会にいるんだかんな」
田辺はそれだけ言い残すと教室を出ていった。
それにしても青春、か。そう言われてもあまりピンとこない。必要性すら感じない。僕は田辺や小林とだらだら過ごせればそれで十分だ。
まあ確かに、田辺の言う通り“あの生徒会”にいるのなら青春しなくてはもったいないのかもしれない。僕だってできるならしたいくらいだ。けれど、あの環境で青春をするのは僕にとって難易度が高い。あの完璧なメンバーばかりの生徒会では。
何げなく時計を見れば、生徒会の時間まであと少し。今から行けばちょうどいいくらいだ。
僕はスクールバッグを持って席を立ち、生徒会室へと足を向ける。多くの生徒たちが部活動へ行く中、僕は隣の校舎まで移動し、生徒会室の扉を開けた。
「お疲れさまーっす」
生徒会室に入ると、窓際にいた黒髪ロングの少女が振り向いて優しく微笑んだ。
「おー、お疲れさま、天野会計」
「どもです、鳥田先輩」
三年生で生徒会長の鳥田真希先輩。紺色ブレザーの制服をお手本通りにかっちりと着こなす、真面目で綺麗なお姉さん。モデル並みの体形に切れ長の目や厚い唇が魅力的で、全学年それぞれにファンクラブが存在するほどの人気がある。
しかし、意外にもその中身は無邪気で陽気な性格をしており、仕事を完璧以上にこなす能力や友人を何よりも大切にする温かさから、生徒や教師たちからの信頼が非常に厚い。
そんな彼女は裏で“完璧なる女王”なんて二つ名で呼ばれている。
「窓の外なんか眺めて何してるんですか、先輩?」
「ああ今ね、ちょっと窓際に立った時に下校中の子たちに手を振られて振り返したら、そこを通る生徒に次々に手を振られるようになって止まらなくなっちゃったんだよ」
会話をしながらも、鳥田先輩は楽しそうに窓から手を振っている。
まるで女王様みたいだ。けれどよくあることなので、今更この人気に驚くこともない。
「お勤めお疲れさまです」
僕は苦笑いで小さく敬礼をして、生徒会室の中へと進んだ。
生徒会室は普通の教室と比べてこぢんまりしている。入って右側に黒板とホワイトボードがあり、中央に机を合わせて島を作っている。僕がいつも座る席は、ドアから入って左奥の方だった。
僕は椅子を引きながら、隣に座って文庫本を読む女子生徒に挨拶をする。
「お疲れ、春風さん」
「……おつかれさまです、せんぱい」
僅かに顔を傾けて一礼すると、また文庫本の世界へと戻っていく。隣にいる僕以外には聞こえないほど小さかったが、綺麗に透き通ったソプラノボイスだった。僕は結構その声が好きだったりする。
そんな美声の持ち主は、一年生で生徒会書記を担当している春風亜衣さん。
物静かで口数の少ない彼女だが、一学年の間では何やら神秘的な存在として扱われていると聞く。銀髪のワンサイドアップに雪のように白い肌、鮮やかな青い瞳と、色素が薄くて可憐な外見が彼女の儚げで尊い雰囲気を強調しているに違いない。
そういえば、4月にこの生徒会に入ってきた当初は彼女のクラスメイトたちが同伴して、“春風さまに相応しい場所か”見定めに来ていた。入学早々そんな人気を勝ち得てしまうほど、恐ろしいカリスマ性を秘めた後輩なのである。
鳥田先輩のようなファンではなく、信者と呼ばれるような者たちがいる彼女の二つ名は“白の救世主”だ。
「おつかれさま、天野くん。はいどうぞ~」
僕が椅子に腰を下ろして一息つくと、綿菓子のように甘い声とともに脇からティーカップが置かれた。そこにはお盆を携えた制服姿の女子生徒が屈託のない笑顔で立っている。
僕と同じ二年生で生徒会庶務を務める花咲こころさん。
小柄な体形の割に、ベスト越しにも分かる豊満な胸。ふわふわウェーブの金色セミロングヘアには両サイドに華やかなリボンを着け、タレ目がちでいつも眠そうな顔をしている。
「お疲れ、花咲さん。いつも悪いね」
「うふふ、今日はね、ちょっといい香りのお茶を持ってきちゃったの」
「ほんとだ、すごくいい香り……ってあれ、全然匂いしないんだけど」
「あ、これお湯だっ!? ごめんね、ポットにお茶っ葉入れるの忘れてたみたいっ! すぐに取り換えてくるね……あっ!」
花咲さんにカップを渡す際、波が立って僕の太腿の辺りにお湯の雫が飛んだ。
「だ、大丈夫天野くん!? 火傷とかしてないっ?」
「うん、大丈夫だよ。そんなに熱くなかったし、ちょっとだけだったから」
「ほんとに熱くない? ふーふー」
「え、あの、花咲さん……おうんっ」
花咲さんが膝をついて僕の太腿に手を乗せ、雫が落ちた個所を息で冷やそうとしてくれた。きっと純粋に僕が火傷をしないか心配してくれての行動なのだろう。
でも際どいところに息を吹きかけられて、反応しちゃいけないところが反応してしまいそうなんだけど!
その上、ハンカチを使ってポンポンと太腿を軽く叩いてくるし。もう本当にどうかなってしまいそうだ。
「……ほえ? どうしたの、天野くん?」
「いや、あのね……き、気持ちはありがたいんだけど、ちょっと離れてもらっていい?」
「え……あ、わぁああ!? ご、ごご、ごめんねっ!」
花咲さんも今の体勢のやばさに気が付き、大慌てで僕から離れた。
「ううん、全然いいんだよ!」
むしろ、僕ら二人きりの状況だったらいくらでもお願いしたいくらいだった。
しかし、健全たるべき生徒会室で、僕のあれが反応してしまうのは大変よろしくない。
「お、お茶入れ直してくるね!」
花咲さんがあわあわとティーカップを持って、隅の冷蔵庫やポットの置かれたスペースへと駆けていった。
ああ、今日の花咲さんも可愛いな。天使だ。
花咲さんは少々どころではなく天然だが、誰にでも優しく接し、どんな人の心でも解きほぐしてしまう不思議な力を持っている。そのため、学校中ほとんどの者と彼女は友達だ。男女関係なく人気の高い子なのである。
そんな彼女にも二つ名がある。“笑顔の天使”。まさにその名がぴったりの子だ。
ちなみに花咲さんは僕にとっては恩人でもあるのだが、その話はまた今度にしよう。
花咲さんは僕にとってアイドルのような存在だ。遠くて、とてもじゃないけれど手が届かない尊い存在。けれど彼女がいるおかげで毎日の学校生活に潤いを感じ、生徒会室に足を運ぶ理由にもなっているのである。
ところが花咲さんの癒しに浸っていた僕を、冷たい声音が現実に引きずり戻す。
「今日も遅かったわね、天野」
「別に遅刻じゃないから」
「でも一番遅く来たのは確かでしょ。それなのに、こころとイチャイチャデレデレして……まったく、会計は気楽で羨ましいわ」
僕の正面に座る女子生徒がムスッとした顔で肩を竦めてそう言った。
別にイチャイチャもデレデレもしてたつもりはないんだけどな。
嫌味ばかり言う彼女の名前は月見里林檎。僕や花咲さんと同じ二年生にもかかわらず、生徒会副会長という役職に就いていた。
艶やかな明るい色の髪をボブカットにしていて、大きな真ん丸の瞳が印象的な整った顔立ち。花咲さんを見た後だと胸が寂しく感じるが、それでも間違いなくこの生徒会一番の美少女だった。
なんでも、流行やらファッションに詳しいため多くの女子に人気があるのだとか。その反面、異性には冷たい態度で接するので、男子たちからは恐れられる存在となっていた。ちょっと変わった性癖のやつらは別だけど。
そんな林檎の二つ名は“氷の姫”。可愛いが冷たい彼女そのものだ。
林檎とは中学校が同じで、その頃からちょっとしたことが原因で顔を合わせれば今みたいに喧嘩ばかりする仲だった。念のためいっておくが、僕の方が下の名前で呼んでいるからと言って付き合っていたとかそういうわけではない。それだけは断言する。
僕は苛立つ心にブレーキを掛け、嫌味に嫌味を上乗せして返す。
「二年副会長さまはさぞかし偉いんですねー」
「なに、喧嘩売ってるの?」
「先に売ってきたのはそっちじゃんか」
おのれ林檎め、ちょっと外見がいいからって何を言ってもいいわけじゃないんだぞ! 今日という今日ははっきりと言ってやる。
お互いに席を立ち、争いはさらにヒートアップ。というところで、それを鎮める笑顔の天使が入ってきた。
「林檎ちゃんそれっ」
「えっうぐ」
突然花咲さんが林檎の口の中に何かを入れた。
不意を突かれた林檎はきょとんとしたままそれを咀嚼する。
「イライラした時は甘いもの! チョコレートだよ」
そう言って花咲さんはパタパタと僕のところにも来て──
「天野くんもそれっ」
「はっんぐ」
──僕の口の中にもチョコレートを入れた。
って、ちょっと待って今林檎の口の中に入れた手で僕に……! ねえなんかちょっと濡れてた気がするんだけど!
僕の動揺する気持ちを全く知らない花咲さんが天使のように微笑みかけてくる。
「どう、美味しい?」
「う、うん、美味しい」
「よかったぁ」
花咲さんは顔を綻ばせた。
あぁ花咲さんの笑顔可愛いなぁ。なんか今すごく動揺していた気がするけどなんでだっけ。まあいいや。何はともあれ、すっかり毒気を抜かれてしまった。さすがは花咲さんパワーというべきか。きっと林檎の方も同じ気持ちになっているだろう……ってあれ。
「はっいま、ちょっ……!」
林檎は真っ赤な顔で口をパクパクしてこっちを見ていた。
「鯉のモノマネ?」
「違うに決まってるでしょっ!」
林檎は裏返った声でツッコみ、その後ももごもごと何かを言っていた。
意味が分からないが、たぶんまだ怒ってるということなのだろう。しかし僕の方は花咲さんのおかげですっかり気が落ち着いた。もうこれ以上争う気は起こらない。
鳥田先輩がこちらを振り返り、グッと親指を突き立てて花咲さんにウィンクする。
「花咲庶務ナイス~!」
「えへへ~」
花咲さんは照れたように頭の後ろを掻いた。
鳥田先輩は手を叩いてこの場の全員に呼びかける。
「じゃあ、そろそろ生徒会始めるよ」
林檎はまだ納得いっていないようだったが、鳥田先輩に逆らうわけにもいかず、悔しそうに下唇を噛みつつも大人しく椅子に腰を下ろした。
林檎は鳥田先輩のことを強く慕っている。彼女が生徒会副会長に立候補したきっかけも鳥田先輩に憧れてだとか聞いたことがある。
速やかに各々が自分の席に着くと、まずは鳥田先輩が今日の活動内容を確認する。
「じゃあ今日は体育委員会から上がってきたクラスマッチの企画承認と生徒会質問箱に入っていた質問への回答を行っていきたいと思います」
なんだかんだありつつも、今日も生徒会の時間が始まった。
学校の中心人物ともいうべき女子生徒たちと僕の生徒会。
この中で僕だけが人気も二つ名もない。僕と彼女たちとでは学校での立ち位置が全く異なる。その居心地の悪さは、内申点目当てで入ったことを後悔させるには十分なものだった。しかし、花咲さんのおかげでもう少し続けてみようと思い、鳥田先輩や春風さんと話すのも楽しいのでこうしてなんとか今も生徒会に所属し続けているのである。
これでお分かりいただけただろうか──この生徒会で青春をすることの難しさが。
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