名探偵 VS マシュマロ

てこ/ひかり

第1話 新米探偵・岬岐ちゃん邁進!

「犯人は貴女ですね、奥さん」


 静まり返ったホテルのロビーに、凛とした女性の真っ直ぐな声が響き渡った。その途端、敷き詰められた真っ赤な絨毯の上に、ぽとりとワイングラスが落とされる。幸い割れることはなく、怪我人は一人もいなかったものの、グラスを落とした人物……たった今少女に『犯人』と名指しされた女性・ノゾミは顔面を蒼白にして、およそ無事とは言い難い表情でその場に立ち尽くしていた。集まった皆の視線が、一斉にノゾミに向けられた。


「なんだって? 今なんと……?」

 ホテルの入り口に立っていた女性は、関係者の問いかけには答えず、妖しげなほほ笑みを浮かべたままヒョウ柄のロングコートを風に靡かせた。白いニットの上からでも分かる豊満な胸元に、その場にいた数名がゴクリと唾を飲み込んだ。

「言ったはずよ。犯人は、そこにいるノゾミさんだってね」

 そんな罪深き豊胸探偵・嵯峨峰岬岐から放たれた一言に、ロビーはたちまち騒然となった。それもそのはず、今回このリゾートホテルで起きた連続殺人事件の被害者には、彼女の愛する夫も含まれていたのだ。

「まさか、ノゾミさんが!?」

「スポンジケーキを使って、地上三十メートルを瞬間移動したって言うのか!?」

「なんて奇想天外な女なんだ!」


 静けさから一転、まるで蜂の巣を突いたような騒ぎがロビーを包み込む。岬岐は大きめのサングラスを外し、片隅で小刻みに体を震わせるノゾミを見据えたまま、腰の辺りまで伸びた髪をさらりと翻した。

「ノゾミさん。貴女は昨日までにこのホテルで三人の罪なき人々を殺した。二人目は貴女の旦那さんでもあった。凶器のマシュマロもすでに発見されてるわ。観念なさい」

「……っ!!」

 弾力のあるベージュの唇から淡々と言葉が紡がれるたび、ノゾミがギリッ! と歯軋りを繰り返す。だがそれも束の間、ノゾミは顔中から汗を吹き出しながら、やがてがっくりと肩を落とし項垂れた。


「……フフ、さすがね」

「! じゃ、じゃあ……っ!?」

「まだ若いからって、正直見くびっていたわ。名探偵・嵯峨峰岬岐、か……。どうやら覚えて置かなくちゃいけない名前みたいね」

「ノゾミさん……」

「私の負けよ、探偵さん。全部、話すわ。私がどうして三人を殺したのか。どうやって殺したのか、をね。見ての通り私、胸が貧相だったの。だから夫は浮気を……」


 その場に集まった人々は皆それぞれに驚いた顔をして、訥々と犯行を自白し始めた彼女を食い入るように見つめた。岬岐は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、踵を返しホテルのロビーを後にした。ツカツカとアスファルトを叩く厚底ブーツの音が、ファンファーレのように青い空の下に鳴り響く。関係者たちがスタイル抜群の女探偵に群がって来て、大声で騒ぎ立てた。

「す……すごい! ホテルに入って来て、一秒で事件を解決してしまった!!」 

「さすが、名探偵だ! ありがとう、岬岐さん!!」

「ありがとう美しい女探偵さん!! オイ、みんなで事件を解決してくれた探偵さんを胴上げしようぜ!!」

「そうだな! よーし!! 名探偵・嵯峨峰岬岐、バンザーイ! バンザー……

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!!

 ……とそこで耳元で大きな音がして、岬岐は目を覚ました。



 彼女は現在自宅のベッドの上で、ホテルでの殺人事件などそもそも担当していないことに気がついた。ヒョウ柄のロングコートなど持っていないし、その胸はそんなに豊満マシュマロでもなかった。

「はぁ……」

 岬岐は少し悲しそうな顔を浮かべ、今しがた見た夢の内容を思い出し深いため息をつくのだった。


□□□


「もしもし、そこのお嬢さん」

「え? 私ですか?」


 その日の午後、岬岐が駅チカでチーズバーガーを食べていると、突然横に現れたスーツ姿の男に話しかけられた。整髪料ポマードを髪に塗りたくったその男は、岬岐の顔を見つめながらニヤニヤと怪しい笑みを浮かべて頷いた。

「そうです! そこの貴女! 貴女こそ、私の求めていた人物像マシュマロぴったりだ!」

「はい……?」

 男が店の中にも関わらず大声を上げたので、近くにいた数名の客たちは何事かと岬岐の方を振り返った。岬岐はと言うと、ぽかんと口を開け、言葉を失ったままその男を眺めていた。

 単なる偶然なのか、何とその男の顔は今朝夢に出てきたホテルの関係者にそっくりだったのだ。岬岐は驚きを隠しきれずも、『変な勧誘だったら速攻で逃げよう』と思いながら体を少し仰け反らせた。男は岬岐の反応を見て、胸ポケットからいそいそと名刺を取り出した。

「失礼しました。私、こういう者です」

「『マシュマロ伝説殺人事件製作委員会』。スカウト担当:池崎春樹……?」

「初めまして。スカウトをしております、池崎と申します」


 ……と言われても、意味が分からない。これはいよいよ怪しくなって来た、と岬岐が考えていると、池崎と名乗った男は大事そうにビジネスバッグを抱え、彼女の隣に座って来た。

「私こう見えて、今絶賛製作中の映画『マシュマロ伝説殺人事件』の、スカウトマンなんです。この映画に出ていただける俳優を探してまして」

「はぁ」

 口を半開きにする岬岐の前で、池崎はニヤリと唇を釣り上げた。

「見つけたと思ったんですよ、貴女を見た時」

「私をですか?」

 池崎が嬉しそうに頷き、岬岐は一層怪訝な顔をした。こう言った誘い文句で、厄介な事件に巻き込まれるケースも多いと聞く。岬岐の表情がたちまち険しくなるのとは対照的に、男は嬉々とした表情でバッグの中を漁り始めた。

「実は明日、都内で監督と一緒にオーディションをやるんです。 ……この監督がまた頑固ジジイでね、自分の好みの俳優じゃないと映画は撮らないって煩いんだ。だから一向に出演が決まらなくてね、全く。こっちの苦労も分かって欲しいよ……」

「あの……申し訳ないですけど、私演技なんか出来ません」

 岬岐が席を立とうとすると、ブツブツと呟いていた男が慌てて彼女の袖を引っ張った。


「あ!? ちょっと待って!」

「でも……」

「大丈夫、平気ヘーキ。むしろ演技できない方が、ワザとらしくなくて良いって言うか。自然体が好きな監督だから」

「ごめんなさい、興味ないんで」

「待って! せめてパンフレットだけでも」

 池崎は急いでバッグの中からチラシを取り出し、店の外へ出て行こうとする岬岐に押し付けた。岬岐は仕方なくチラシを受け取ると、思わず目を丸くした。

「え……これって」

「明日、オーディションやるから! もし気が変わったら来てよ。監督も君のこと、絶対気にいると思うからさ!」

「…………」


 岬岐の耳には池崎の言葉が入って来ず、彼女の目はチラシの内容に釘付けになっていた。

チラシの下側には、『映画・マシュマロ伝説殺人事件』の文字がデカデカと躍る。その上に描かれた、主演の、恐らく探偵と思われる女性の姿……ヒョウ柄のロングコートに、白いニットを着たスタイル抜群の女性の絵に、彼女は目を奪われていた。その姿は正しく、彼女が今朝見た夢の中に出てきた、あの豊胸マシュマロ探偵そのものだったのである。


□□□


「確かに、僕も岬岐ちゃんは可愛らしいと思うよ」

「うぅ……」

「でも……さすがにこれは違いすぎるんじゃないかなあ」

「うぅぅ……そんなの、私だって分かってるよぉ」


 家に帰ると、茂吉おじさんがパンフレットを眺めながら小さく首をひねった。岬岐は机の上に体を投げ出したまま、ほんのりと頬を紅く染めパタパタと両手で暑そうに顔を仰いだ。

「でも、映画なんて滅多に出られるものじゃないから……どうせならって思っただけだもん」

 それに、もしかしたら昨日見た夢は正夢だったのかもしれない。なんてことを話したら笑われそうだから、岬岐は喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込んだ。

「えぇと……何なに?」

 茂吉おじさんはパンフレットの裏に乗っていた女主人公のプロフィールを読み上げ始めた。



道明寺どうみょうじ揚葉あげは(18):

警視総監の父と探偵の母を持つサラブレッド。探偵兼モデル。

生まれて初めて覚えた言葉は『ルミノール反応』。女子高生ながら、その非凡な才能と実家の財力、そしてコネを発揮し数々の難事件を解決してきた。

身長174cm、体重非公表。

好きな食べ物はフォアグラとキャビア。

愛犬はチワワの『ちぃちゃん』。今まで噂になった男性は数知れず。

嫌いなものは『不完全なもの』、『汚らしいもの』。

昨年発売された著書に『女子高生探偵に学ぶ! 道明寺式フォアグラ美容ダイエット』がある】



「……岬岐ちゃん、身長何cmだっけ?」

「ひゃ、153cm……」

「体重は?」

「聞かないでぇ!」

「好きな食べ物は?」

「抹茶クッキー……とか?」

「飼っているペットは……」

「ペットはいるよ! おいで、”よもぎ”」

「にゃあ」


 岬岐の顔がぱあっと明るくなり、”よもぎ”と呼ばれたトラ柄模様のデブ猫が、ソファの向こうで尻尾を振って返事をした。岬岐は机から立ち上がると、面倒臭そうにゴロンと横になる”よもぎ”を無理やり抱き上げ、嬉しそうに頬ずりした。


「よもぎの葉の中で寝っ転がってるのを見つけたから、よもぎなんだよ。ね、よもぎ?」

「にゃあ!」

 よもぎは暑苦しかったのか気難しそうな声を張り上げ、岬岐の胸元に深々と爪痕を残すと、さっさとリビングから出て行ってしまった。

「よもぎ……そんなぁ」

「ダメだ、実態が違いすぎる」

 愛猫に見捨てられ今にも泣き出しそうな岬岐を見つめ、茂吉おじさんがやれやれと頭を振った。


□□□


「ここね……」


 次の日、岬岐は辺りに顔見知りがいないことを確かめ、こっそりと電柱の影から顔を覗かせていた。その右手に握られた紙袋には、朝イチに百均で買ってきた大きめのサングラスとド派手な口紅が入っていた。岬岐は心臓の音色をバクバクと跳ね上がらせながら、やや緊張した面持ちで雑居ビルの一角へと向かっていた。

「オーディションを受けてみるだけ、それだけだから……」

 一晩経っても岬岐の頭からは、一昨日見た夢の内容がずっと離れなかった。もしかしたら、探偵として名を上げるより先に銀幕デビュー出来るかもしれない。そんな淡い期待に胸を膨らまし、岬岐はゆっくりと会場の扉を開けた。すると、昨日会ったスカウトの池崎が岬岐に気づき嬉しそうに声を張り上げた。


「やあ! やっぱり来てくれたんですね! よかったぁ!」

「池崎さん」

 岬岐は扉の前でぎこちない笑みを浮かべ、オーディション会場を見渡した。

 学校の教室ほどの大きさの室内はガランとしていて、まだ誰も来ていないようだった。部屋の中央には仕切りが立てられ、その前にずらりと丸椅子が並べられている。きっと面接試験のように希望者がそこに並んで、一人一人奥へと呼ばれていくのだろう。池崎は岬岐の手を取ると、飛び跳ねるようにスキップしながら彼女を部屋の奥へと案内した。


「いやあ、本当に助かるなあ。今監督に紹介しますからね。監督、カントク! 昨日話してた、例の子が来てくれました!」

 池崎と一緒に、岬岐が仕切りの向こうに顔を覗かせると、そこにはベレー帽にパイプを咥えた、な白髪のお爺さんが中央にでん! と腰掛けていた。監督は岬岐の顔を見るなり、ぽとりとパイプを床に落とした。


「ね? 監督、言った通りでしょう?」

 池崎がニンマリと笑った。監督はワナワナと椅子から立ち上がり、岬岐の肩を掴んで叫んだ。

「こいつは正しく……! 、あの女子おなごそのものじゃあ!!」

「これでようやく映画が撮れますよ、監督!」

「ハ、ハハ……」

 しばらくすると、監督と池崎が手を取り合って小躍りを始めた。岬岐は嬉しいやら恥ずかしいやらで、顔を真っ赤にして愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。岬岐は頭がぼうっとしたように熱くなるのを感じた。


 ひょっとすると、あれは本当に正夢だったのかも。だとしたら私、なんて幸運なことなのだろう。きっとこれは神様からのプレゼントに違いない。ああどうしよう。まさか私にそんな才能があったなんて。もう事務所には辞表を出した方がいいのかもしれない。名残惜しいけれど、『名探偵・嵯峨峰岬岐の事件簿』は今日で終わり。探偵を辞めて、本格的に女優になろうかしら……。


 すると、岬岐の頭の中で、まるでドラマのエンディング・テーマのようにファンファーレが鳴り響き始めた。池崎が、熱にうなされる少女の背中を嬉しそうにバン! と叩いた。

「見てくださいよ、彼女の体型! この、マシュマロで人殺してそうな顔!」

「ハハハ……は?」 

 池崎の一言で、突然ファンファーレが鳴り止み、岬岐は途端に真顔になった。

「彼女ならきっと、スポンジケーキでビルの壁を登ってくれますよ!」

「はい??」

 呆然とする岬岐を置いてけぼりにして、二人の大きな笑い声がオーディション会場に響き渡った。


「そうじゃな! 彼女こそ、今度の映画の犯人ノゾミ役に、ぴったりじゃて!!」

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