第97話 父と祖父
ドルロに無理矢理に連行され、シン達の為にと用意された部屋に押し込まれて……アヴィアナは渋々といった様子で、これまでのアヴィアナの物語を静かに語り始めた。
若い頃に世界中を旅したこと。
その中で様々な祝福を身につけたこと。
祝福の裏に隠された真実を知り、それ以上魔王や神とは関わらないようにしたこと。
アーブスと出会ったこと。
そしてシンの母親というアヴィアナにとっての娘に恵まれたこと。
生まれつき病弱だった娘が森を出ていってしまったこと……シンの父がアヴィアナを恐れて結界を使い、シンの母を長年隠し続けてしまったこと。
それがなければ、アヴィアナの知識さえあれば母親が死ななかったことさえも語ったアヴィアナは……まるで何でもないような、どうでも良いような小さな事柄を報せるかのように、シンの父が生きていることをぽろりと漏らす。
それを受けてシンが、今日何度目になるのか分からない驚愕に染まった顔を披露していると……アヴィアナはため息交じりの言葉を吐き出す。
「あのロクデナシは、お前の継母連中と同時期にアタシの森に入ってきやがってね……ちょいちょいと森を細工して森の中から脱出できないよう、閉じ込めてやったんだよ。
いっそのことそのまま殺してやろうかとも考えたんだが……まぁ、アイツと継母連中がいなかったら、アンタがあの結界まみれの屋敷を脱出することもなかったんだろうし、アンタがドルロと出会うこともなかったんだろうし……アンタがアタシと出会うこともなかったんだろうし……。
その点だけは評価してやって、命までは奪わないことにしたんだよ。
アタシの気が済むまで森の中を迷わせて彷徨わせて……そうしてからバルトの方へと放り出してやったよ」
父が生きている。継母達があの家から追い出された。
色々衝撃的な事実を物のついでのように知らされたシンは、喜んでいいのやら何なのやら複雑な表情を浮かべる。
父が生きていたのは良かった。
……だが、父とあの人達は夫婦であり、家族であり……森でしばらくの間、一緒に行動したとなれば、仲直りもしているのだろうし……自分が入り込めるような場は残されていないのだろう。
そう考えると二度と父と会うことは出来ない訳で……悲しんで良いのか何なのか、シンの胸中は千々に乱れて、ぐちゃぐちゃにでたらめにこんがらがってしまう。
いないと思っていたお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが生きていて、それどころか今まさに目の前にいて……。
そのことを喜ぶ気持ちと、父が生きていたことを喜ぶ気持ちと、あの人達が父の側にいるという事実と、父が過去にしたことに対するなんとも言えない感情と。
それらは綺麗に整理しようと思っても、どんな手を尽くしても整理することのできない複雑な感情で、がんじがらめに絡まる毛糸のようですらあり……結果シンは言葉を発することすら出来ず、混乱の中でただ黙り込む。
その様子を見て小さなため息を吐き出したアヴィアナは……部屋の中にあった椅子の背もたれをガシリと掴み、乱暴に引き寄せ……その上にどかんと座ってから、ローブの中から水晶玉を取り出し、それをシンの方へと放り投げてくる。
「な、な、なんですか、これ!?」
シンがそんな声を上げながら、慌てた様子で水晶玉を……どうにかこうにか落としてしまうことなく受け止めると、アヴィアナはこくりと頷いて、ゆっくりと口を開く。
「……今からその中に父親の今を映し出してやるから、それを見て心を落ち着かせると良い。
会えないまでもその顔を見たならいくらか気持ちが落ち着いてくれるはずさ。
……ちなみにだがアタシも、今アンタの父親がどうしているかは、いちいち把握しちゃいないからね」
と、そう言ってアヴィアナが呪文を唱え始めると、水晶の中身が突然溶けてしまったかのように蠢き、流れを作り出し……その流れでもって絵画のような光景を、絵画が生き生きと動いているような光景を作り出し、映し出す。
それは懐かしき商業街バルトの光景で……シンと、元の大きさに戻ったドルロが思わずその光景に釘付けになっていると、バルトの街道を歩いている一人の男の顔が少しずつ拡大されていって……それが父親だと気付いたシンは、水晶にぐっと顔を近づけて父親の様子をじっと見やる。
少し痩せてしまっただろうか。
無精髭を生やし、マントを羽織った旅装姿で……その手にはいつの頃かに描かれた家族の肖像画が握られている。
父はそれを道行く人々や商店主に見せては、この子を知りませんか、誰かこの子を見ませんでしたかと、そんな声をかけているようだ。
だがそこに描かれた『この子』はもう随分と前の……幼くて小さな、一人で町を歩くことすら出来なかった頃のシンであり……誰もそんな子供は見たことはないと、そんな子供知りはしないと首を振るばかりだ。
あるいは父が『シン』という名前を訪ねていたならば、バルトの人々は騎士団と共に魔王と戦った少年魔法使いのことを思い出したのだろうが……そんな出来事があったとは知りもしない父は、ただただその絵画のみを頼りに人探しをし続ける。
その光景はなんとも胸が切なくなる、目の奥が痛くなるもので……シンが歯噛みしながら言い様のない悔しさに悶えていると……そんな父の前に一人の大柄な、長い白髪に白髭の男……アーブスが仁王立ちになって姿を表す。
『てめぇか、最近ここらで人探しをしている野郎ってのは』
懐かしいあの声が……アーブスのガラゴロとした声が水晶玉から響いてくる。
『は、はい。
私の子供を……この子を探しているんです。
この絵の頃より、もう随分と大きくなっているはずで……名前をシンと言うのですが』
続いて何度も何度も、赤ん坊の頃から耳にしていた父の声が響いてくる。
その声を懐かしく……思わず胸を押さえつけてしまうほどに懐かしく思っていると……『シン』という名前を耳にし、その手の中にある絵画を見やったアーブスが……アヴィアナから細かい事情を聞かされているらしいシンの祖父が、その表情を一変させ、怒りに染まった表情となって……父の下へと大股でドスドスと駆け寄り、父の胸ぐらをガシリと掴み……掴み上げて引き寄せる。
『このクソ野郎が!
まさかと思ったがやはりお前がシンの父親だったか!!
殴りてぇ、ぶん殴ってやりてぇ!! その顔が変形するまで殴ってやりてぇが……俺もお前と一緒だ。
俺も娘を守れなかったロクデナシだからな、お前を殴る権利は無いんだろうな……。
……だが良いか、よく聞け。
お前がアヴィアナから奪った娘は俺の娘でもあった、お前は俺の娘を奪い死に追いやったクソ野郎なんだ!!
今なら俺やアヴィアナの気持ちがお前にも分かるだろう! よく理解できるだろう!!
その上で言ってやろう、シンはもう一人前だ! 自分でちゃんと働いて、働いて稼いだ旅費で世界を旅してやろうと足を前に進められる立派な大人だ!
今更お前なんかが関わろうとするんじゃねぇよ!!』
そうアーブスが吠えると、目をくわりと見開き、息子のことを知っているらしい、唯一の手がかりであるらしい目の前の男に、シンの父が食って掛かる。
『なんなんだアンタは、訳の分からないことばかり言って!?
そんなことよりもシンは何処だ! 何処にいるんだ!!
ひと目、ひと目でいいから会わせてくれ!!』
『んなこと俺が知るもんかよ!!
シンは今頃まだ見ぬ光景に心躍らせて、その足で大地を踏みしめて、いろんな経験をしてるんだろうよ!
あの子はもう大人だ! 関わらずに放っておいてやれ、あの子の好きにさせてやれ!!』
シンの父が叫び、アーブスがそれ以上の声で叫ぶ。
その声を聞きつけてか人々が集まってきて、父とアーブスを遠巻きに囲い始めて……なんとも都合良く円形の、二人の戦場に相応しい場が整ってしまう。
そうして先に手を出したのはシンの父だった。
アーブスの横っ面を殴りぬけ、放せと言わんばかりに胸ぐらを掴んでいるアーブスの手を振り払う。
するとアーブスは先に手を出したのはそっちだからなとニヤリと笑い、何も言わずに拳を放ち、父の横っ面を殴り抜ける。
方や老人、方ややせ細った中年という、なんとも不安で見ていられない喧嘩がそうして始まり……周囲を囲んでいた人々は良いぞ、もっとやれと二人を囃し立てる。
そうして始まった、始まってしまった父と祖父の喧嘩に対しシンは……あわあわと慌てふためくことしか出来ず、そしてその光景を少し離れた場所で見ていたアヴィアナは、やれやれと頭を振り、その手で目元を抑えて……とても大きな、今までに無い程大きなため息を、その胸の奥底から吐き出すのだった。
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